まだ雪もちらほら降るような寒い季節であるというのに街は色めきたっていた。商店街を歩けばそこかしこに目に痛いピンク色の看板が陣取っているし、最寄りのコンビニやスーパーにも特設コーナーが設けられ、あらぬ期待とプレッシャーを行き交う人々に与える。バレンタインなるものが近づいているのだ。あれほど閑静だった商店街は学校帰りの女生徒たちで溢れ、その後ろをちらちらと気にしながら通り過ぎる男生徒たちはなるほど滑稽である。商業戦略に踊らされているのだ馬鹿馬鹿しいなどと言ってやりたいところだったが、しかし自分もまた今年のバレンタインは他人事でないのだ。きりきりと胃が痛むのがわかった。 「もうすぐバレンタインデイってやつなんだろう?」 バレンタイン特設コーナーの前ではしゃいだ様子の女生徒たちを横目に、なに食わぬ顔で彼は言った。なるほどいつも閑散としている商店街が異常なまでの熱気に包まれているわけだとひとり納得しつつ、マフラーに埋もれた首を縦に振る。なんとなく彼のバレンタインデーの発音のぎこちないことから、クリスマスや正月同様彼はバレンタインを知らないのだろう。 「バレンタインってなに、か」 「ううん、僕知ってるよバレンタインデイ」 これまたなに食わぬ顔で発された少しばかり意外な答えに面食らうも、しかし彼もまたひとりの年頃の少年であったと気を持ち直す。 「……大丈夫だ、心配しなくともお前ならたくさん貰うだろう」 しかしお前も意外とそういう、世間体ともまた違うが、他人からの評価のようなものを気にするのか、なんて言うのはさすがに失礼だろうか。急にじっと黙り込んでしまった隣を歩く彼のその横顔をちらりと見やる。そこにいつもの整った横顔はなく、代わりにうんと歪んだ視線が俺を出迎えた。 「君はばかだ」 「…はあ」 「ああ白竜、知っていたけれど、やっぱり君はおおばかものだ」 じっとりと責めるような視線と口調に、悪戯の見つかってしまった子どものようにぐっと言葉がつまって出てこない。なにか悪いことでもしただろうかなんて白々しく考えるふりをするも、彼の視線にだんだんいたたまれなくなって逃げるように口元まですっぽりとマフラーに埋めてしまう。彼の視線同様歪んだ口元から、盛大なため息がこぼれた。 「わからないかいばかな白竜、バレンタインデイを楽しみにしてるよって、僕は君だけにそう言っているんだよ!」 ばかな白竜、もう一度そう叫ぶと怒りを隠しもしないその背中がずかずかと大股で遠ざかってゆく。白く細いため息をマフラーの間からこぼしつつ、その背中が通りの向こう側に見えなくなるまで見送った。 バレンタインを知っていると得意気に言ったあたりから、なんとなく嫌な予感はあった。俺もそう馬鹿ではない。だから上手くはぐらかしてやろうと思ったのに、そんなこと知るかとでも言いたげにバレンタインデーを楽しみにしていると彼は俺に言ったのだ。男の俺に、あの目に痛いピンク色の中に混ざれと彼は言ったのだ。なんて残酷なことだろう。やはり彼は、バレンタインというものを知らない。 バレンタイン・デイ ---------- さすがの白竜だってこれには究極に困ります でもシュウくんに言われたら無下に出来ないからやっぱり究極に困ります |