きっとどこにもどこへも帰れない | ナノ

 衣替えを迎え、空気が湿りを帯びてきた。太陽の日差しは日ごとに眩しさを増し、いよいよ夏が姿を現し始めている。太陽が沈むのも遅くなり、夕方といえども明るい。明かりを付けなくとも窓から差し込む光でも薄暗いものの、それでも明るい。

 東雲は今日も早く帰宅した。活動もあまりしない、名前ばかりの天文部は書店で新刊を何冊か買って今に至る。いいのだ、まだ季節じゃないから。そのときになったら活動はするし、部室に集まってる部員だってどうせ漫画を読むなりゲームするなり好きなことをしている。部屋に戻ると、暑さのせいか少し水分を含んだ制服を脱ぎ棄てタンクトップに着替える。外ではこのたるんだ二の腕など見せることは出来ないが、自室なら何ら問題はない。着替え終わると東雲はベッドに飛び込んだ。窓を開けて、風を入れると少し涼しい。鞄から新刊を取り出し、楽しみにしていた続きを読み始めた。
 日が傾いて少し部屋の中が暗くなってきた頃、チャイムが鳴った。はいはい、という母親の声と足音を聞きながら、東雲はページをめくる。知り合いでも訪問してきたのか、楽しそうな声が聞こえる。ページをめくり続けていると、足音がこちらへ近づいてくるのか、段々と大きな音になった。お母さんかな、と思いながらもページから目を離さない。
「いづろっち、ジュース持ってきたっスよ!」
 扉の方を向けば、幼馴染みの黄瀬涼太がお盆にジュースの入ったペットボトル、それとコップをふたつ載せて登場してきた。
「…なんであんたここにいんの」
「今日は撮影があったんで、東京にきてたんスよ。それで、せっかく東京でいづろっちの家の近くだし、今日はうちの両親いないしいづろっちの両親にお願いして泊まらせてもらうことになったっス」
「聞いてない」
「うちの両親からいづろっちの両親へメールで了承とってるっス!」
「えー…」
「まあまあいいじゃないっスか。前もこうやってオレが泊まりに来たりいづろっちが泊まりに来たりしてたじゃないっスか!」
 家が近く、同じ年齢ということで東雲と黄瀬は仲が良かった。両親同士も仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしていた。出張やらなんやらで家を空けることの多い二人の両親は、よく東雲を黄瀬の家に預けたり、黄瀬を東雲の家に預けたりしていた。お陰で東雲の部屋には黄瀬の着替えや私物があるし、黄瀬の部屋にも東雲の私物がある。
 はいはい、と適当に返事を返し、また漫画を読む作業に移る。今日はー、とうきうきしながら今日の出来事を話す黄瀬の声を流しながら、漫画を読み進めていく。勝手にクローゼットを開けて、制服をかけ、置いてあった服に着替える黄瀬を横目に見る。身長はあるし、モデルをやるくらいなのだから、確かに顔はいいんだよなあとぼんやり思う。黄瀬に背を向けるようにして寝転がると、漫画を置いて携帯電話をポケットから取り出す。先ほど受信したメールに返信をしていると、ベッドがきしんだ。着替え終えた黄瀬が飛び込んできたらしい。にゅっとのびてきた腕が東雲に絡まる。加減を知らない腕はぎしぎしと東雲を締めつけた。肌と肌が触れ合う部分が、じとじとと暑い。
「涼ちゃん、暑い。離れてよ」
「えー、その涼ちゃんってどうにかならないっスか?オレ男なのにちゃん付けはちょっと…」
「涼ちゃんのナントカっちっていうネーミングセンスもそうかと思う」
「いづろっちひどいっす…」
 すんすんと東雲の後頭部あたりに顔をうずめる黄瀬から泣きごとが漏れた。携帯を構える状況ではないので、そっと携帯を横に置く。少し緩んだと思った黄瀬の腕が、腹部から上にのびた。あろうことか泣きごとを連ねながら黄瀬は東雲の胸を揉み始めた。
「涼ちゃん、うざい」
「ええ、まだそんなこと言うんスか…ひどい…」
 ひどいのはどっちだ!ずっと揉みしだいている黄瀬は、相変わらず柔らかいっスなどと子供のようにはしゃいでいる。東雲が視線を下に持っていくと、自分の手よりも骨ばった、大きな掌が自分の胸に被さっている。正直、下着を付けているし、こちらは迷惑極まりない。何が楽しいのか。そんなことを思っていると、黄瀬の子供のように明るい声で「ブラジャー外していいっスか?」と聞こえた。返事をする前に外されるのも、もう慣れっこである。子供に着替えさせるように、はい手を抜いてーなどというから可笑しい。スースーする、と思ったのもつかの間ですぐに熱い掌が胸を覆った。
「楽しい?」
「楽しいっス」
 何が楽しいのかは、さっぱり分からない。黄瀬はただ胸を揉む。こうやってぴったりくっついて抱きしめてきたり、後頭部や首元に自身の顔をうずめたり、くっつきたがる。たまに肩や耳を噛む。噛まれた時は本当に犬のようだと、思った。
「女の人っていいっスよね」
「わたしは分かんないよ、そんなの脂肪じゃん」
 こんなに密着して暑苦しいはずなのに、東雲の意識は段々と揺らいできた。背中から伝わる温度だけは、どの季節でも暖かく気持ちがいい。まっ平で少し固い黄瀬の胸板から、小さく心音が響く。
「でもさ、なんかこうやっていづろっちをぎゅうってしてるとすごい安心するんスよね。胸も、なんでこんなに柔らかいんだろーって。あったかいし。理由とかそういうのよく分かんないけど、ずっと触ってたいし、気持ちいいし、安心するし…これはきっとオレにしか分かんないっス、いづろっち残念っスね」
 あはは、と笑う黄瀬の声に、何か言ってやろうと口を開いたが、急に襲い来る眠気に勝てそうにもない。
 わたしも、涼ちゃんにぎゅうってされるの好きだし、この背中から伝わる体温の心地よさとか、きっと涼ちゃんには分かんないよ。これはわたしにしか分からないから。
 東雲の胸を揉む黄瀬の手に、ゆっくりと東雲は自分の手を重ねると、意識を睡魔に手渡した。

20120526
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -