夜の迷子と夏の魔法 | ナノ

 もう一度目を開けると、太陽の下にいた、なんてことはなく薄ぼんやりと輝く月の下にいた。テニスコートに顔を向けると、ほとんど何も見えない。真っ暗なその先を謙也はじっと見つめた。
「でもな、自分がやったらあの時変わってたとも思えん」
 ひゅうひゅうと、渇いた空気が喉に張り付いて痛みを生み出す。
「俺がやるより、千歳みたいに上手いやつがやったほうがまだ可能性あったと思うんや。それに、多分、監督もそう思ってた」
 なぜ今になってこんな泣きごとのようなことを、しかも今日仲良くなり始めたクラスメイトに打ち明け始めたのかは謙也には分からなかった。ただ真っ暗で、テニスコートも何もかも見えなくしてしまう暗闇に不安を募らせていたのは事実だった。
「忍足君は」
「…………」
「仕方ないって、諦めて、遠慮して、辛くない?そうやって逃げようとして、他人と距離とってさ」
 頭を鈍器で殴られるような衝撃だった。辛くないと言えばうそになる。あの試合、例え無理だと思っていても自分がプレイしたかった。千歳が帰ってきたとき、まるで自分は必要ないとまで思えてきてしまった。『あの時謙也じゃなくて千歳だったら』そんな言葉をぶつけられるのではないかと恐怖した。謙也は耐えきれなかった。自分が千歳にD1を譲れば、万時解決なのだ。不必要だとかそんなレッテルを貼られることもない。全ては自分の実力不足のせいなのだ、と言い聞かせた。あの黒い感情の正体も、他人との距離感も、謙也はもう分かっていた。ずっと見て見ぬふりをして抑えてきた。何も見えない世界に逃げ込んだことも、謙也は知っていた。距離をとっておけば自分の世界に踏み込まれることもない。自分が我慢すれば、誹謗中傷はこない。そしてなにより、周りに期待され、必要とされ、帰る場所を用意してもらえる千歳のことが
「羨ましくて、妬ましかった」
 千歳と距離をとることで、どす黒い感情に蓋をしてきた。千歳への感情を言葉にした途端、謙也の頬に涙が伝った。隣にクラスメイトがいることも忘れて、謙也は噎び泣いた。今まで思い蓋をして閉じ込めていた感情が、堰を切ったように謙也の中で溢れだした。汚いと思っていた感情はぼんやり輝いては消えてを繰り返す。
「…………忍足くん」
 どのくらい謙也が泣いていたのかは分からない。顔をあげると月が顔を出したのか、あんなに真っ暗で何も見えないテニスコートがぼんやりと姿を現していた。
「手、出して」
 突然の涼乃の注文に戸惑いながらも、謙也は恐る恐る右手を差し出した。涼乃は制服のポケットから、何かを取り出し謙也の掌に乗せた。小さな袋のようなものが掌に乗った感触がした。ゆっくりと右手に目を向けると、小さな袋の中に金平糖らしきものが発光していた。何も言葉が出なかった。なぜ金平糖が光っているのか、なぜ涼乃がそんなものを持っているのか。刹那的に生まれた疑問は金平糖の光に溶かされるように、謙也の中で消えてしまった。ちかちかと様々な光を放つ金平糖はとても綺麗に謙也の手の中で輝いている。
「あげるよ」
「…ええの?」
「いいよ。金平糖って、小さくて、なんだか星みたいじゃない?」
 そう言って涼乃は夜空を仰いだ。謙也も倣って顔をあげる。きらきらと無数の星が、夜空に散りばめられている。
「真上にあって、ひときわ輝いてるのがベガ。天の川をはさんだ所にあるアルタイルと、ベガから東の方の…えっと、あれね」
 涼乃の指を追う様に謙也も星を眺めていく。聞きなれない星の名前に苦戦しながらも、涼乃の挙げた星を見つけていく。
「そうそうそれがデネブ。デネブ、アルタイル、ベガを繋いで夏の大三角形って言うんだよ」
「夏の大三角形…そういや涼乃は星の本借りてたな、星好きなん?」
「うん、好きだよ。……いつもはじっくり見ないけど、何か悩み事があったりしたとき、こうやって星を見るの。根本的な解決にはならなくても、ちょっと気分が落ち着くから」
「………せやな。デネブ、アルタイル、ベガ?それで夏の大三角形か」
 掌の金平糖はまだ小さく輝いていた。それから、星の名前を呟いて指を差し、繋いでいく。ぼうっと星を見ているだけなのに、急に目蓋が重くなった。腫れぼったい眼を擦ってはならないと思いつつも、謙也は少し擦ってしまう。だんだんと遠くなる星空を目蓋の裏に焼きつけるように、謙也は夜空から視線を外さない。逆らえぬ重力に負けてしまい、目蓋を閉じるとぬるま湯のような心地よさが謙也を包み込んだ。それから意識を失うのに時間はかからなかった。涼乃の「眠たくなった?……おやすみなさい」と言う声を合図に、謙也の意識はフェードアウトしていった。
 


 
「君、もう閉館時間だよ」
 自身を呼び起こす声にはっとして意識を集中させると、誰もいなくなり最低限の電灯しか付いていない図書室を認識した。時計を確認すると、もう夜になっており、起こしてくれた教師も呆れ顔であった。謝罪をしつつ、荷物をまとめ始める謙也に、早くしなさいと忠告すると教師は窓の戸締りをチェックし始めた。
「あ、それと図書室は飲食禁止だよ」
 なかなか可愛いもの持ってるね、でも駄目だよ、そう付け加えると教師は更に奥の窓へと移動していった。何のことだろう、と机を見ればラッピングされた小さな袋に入った金平糖が目に入った。手の上に乗せてまじまじと見てみると、様々な色の金平糖が数粒入っている。誰かが自分のところに忘れていったのか、置いていったのか、定かではないが謙也が初めから所持していた記憶はなかった。不思議に思いつつも、なんだか懐かしいそれを鞄の中へ入れ、教師以外誰もいない図書室を後にした。
 なんだかずっと長い夢を見ているようにふわふわと不思議な感覚のまま謙也は帰路についていた。何か忘れている気がする、と思いながら先ほどの金平糖を取り出す。夜空に翳してみると、住宅地の明かりと、星の明かりとまじりあって、綺麗に見えた。そう言えば今日は星が綺麗に見えている。頭上の明るい星を指さして、ベガ、アルタイル、デネブ、と心の中で星の名前を呼んで繋いでいく。わずかな既視感を覚えつつも、謙也は空を見上げた。誰かと一緒に星を見たような、そうでないような。
「夏って、不思議やんなあ」
 そう呟くと、謙也は金平糖をポケットに入れて、再び歩き出した。
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -