夜の迷子と夏の魔法 | ナノ

「謙也やん」
「白石」
 自身の名前を呼ぶ声に謙也は振り返った。思った通り、蔵之介が小さなランプを掲げて立っていた。ここに来るまでにたくさんの人が明かりを持っていたので、もう驚かない。蔵之介のランプはぼんやりと、優しい火を灯していた。ゆらゆらと揺れる炎は、まるで蔵之介のように輝いていた。
「お前も夏期講習やったんか」
「今日は部活に顔出してただけや。あれからどんな風になってんかなあ思って」
 くい、と蔵之介はランプをテニスコートの方へ向けた。ひゅっと、自分の息をのむ音がやけにはっきりと聞こえた。途端に喉が渇く。渇いた空気が出入りしている。このまま言葉を発せば、言葉にならないだろうと謙也が確信するほどだった。
「今日は珍しく千歳もおってな。といっても金ちゃんが無理矢理連れてきたみたいやったけど」
「はは、ようわかるわ」
 謙也は驚いた。渇いた喉からは想像もつかないくらい普通に返答ができた。嫌な汗が頬を伝う。「それでな」蔵之介は先ほどの様子を話し始めた。謙也がいた頃と変わらない、テニス部の様子が伝わった。謙也はそれをいつも通り、普通に返答した。ここが昼の時間帯なのに風景は夜などといったあべこべな世界でなければ、謙也が暮らしていたあの世界とさして変わらぬ風景だった。
「白石ー!ワイまた勝ったで!たこ焼きおごってーな!」
 蔵之介に飛びついたのは話の渦中の人である、金太郎だった。
 金太郎は他の人と違い、明かりを持っていない。金ちゃんのことだからどこかへ忘れてきたのだろう、と謙也は推測していたが蔵之介が何も言わないところを見ると、どうも金太郎は明かりを持っていないらしい。明かりを持っていなくても平気そうな人、暗い明かりを持つ人、やけに明るい明かりを持っている人、暗い中ふらふらしているのに明かりを持っていない人、謙也と涼乃が見てきた中でも様々だった。どういう法則性があるのかは、謙也には全く見当もつかなかった。
「金ちゃん相変わらず元気やなあ」
「白石がたこ焼きおごってくれるからな!」
「ちょい待ち、まだええよって行ってへんぞ」
「えー」
「また今度な」
「約束やで!謙也もや!」
「何言ってんねん」
 不貞腐れた金太郎がラケットを握り直し、駆け足でテニスコートの方向へと戻って行った。三人でそれを見送った後、少しの沈黙が居座った。次第に気まずさに変化していく空気に、見切りをつけたかのように蔵之介が言葉を発した。
「じゃ、次の講習あるから行くな」
「ん、おお、頑張れよ」
 ひらひらと手を振る蔵之介の片側で、ゆらりとランプが揺れた。

 

「何にもわからへん。なんで夜なのかも、ランプ持ってるやつも、持たずにふらふらしとるやつも、平気な奴も…」
 口に出して考えをまとめようとするも、何も解決には至らなかった。全く帰れる兆しもないまま、謙也は涼乃と歩いていた。
「っと、危ないな」
 暗がりに目が慣れたとはいえ、明かりを持たない謙也がいつものように歩くことは少し難しかった。小さな段差につまずいたり、よく見えるように目を細めていたりと、この世界の生活は今の謙也には少し困難だった。中途半端でも、全く見えないよりはましか、と自分を納得させるように一度深く息を吸った。冷たい空気が喉を通って行く。しばらく歩いたあと、涼乃が止まった気配がしたので、涼乃のほうを振り返り、声をかけてみた。薄暗い中で、涼乃はどこか遠くを見ているように見えた。
「あっちはテニスコートだね」
 涼乃の視線の先には確かにテニスコートの方向だった。もうこんなところまで歩いていたのかと、謙也は少し驚いた。休憩中なのか、部員たちの姿は見えない。先ほど金太郎が来たのは区切りがついたからなのだろう。部活動をしていないということで、電灯は付いていない。月と星、遠くの明かりで薄暗くテニスコートが佇んでいた。このフェンスの向こうに、自分はいたはずだった。自分がこちら側にいるのは、誰のせいでもないはずだった。ここにきて今更、どす黒い感情が謙也を襲った。見たくないとでも言うように謙也は目を閉じた。
「忍足くん、テニス部だったんだよねえ」
 目をそむけるなとでもいうように、涼乃のことばが謙也にささる。
「そうや」
「ちょっと見ていこうよ」
 ずんずんと進んでいく涼乃を追いかけるように謙也も後をついていく。以前監督が腰かけていたと記憶している、古ぼけたベンチに涼乃は座った。謙也も涼乃に倣うように座る。
「忍足くんは、遠慮して、我慢して辛くないの?」
 涼乃が足をぶらつかせ、問うた。蔵之介の言葉と重なる。
「…自分、えらい踏み込んでくるなあ」
「忍足くんが見ようとしないから」
 涼乃の言葉は痛いくらい謙也に突き刺さった。ひゅっと喉が鳴る。落ち着かせるように、謙也は一度目を閉じた。
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