夜の迷子と夏の魔法 | ナノ

 忍足謙也は誰かに触れるのが怖かった。なぜそう思うのかは、謙也自身分からなかった。ふと自然にボディタッチを試みるも、何故か一瞬動作が停止し、触ることを躊躇ってしまう。なので、のばした手は相手に届かず、空気を掴んで終わることが多かった。何をしたいんだ俺は、と思考を回すことスキンシップ程度のボディタッチは可能である。
「謙也は極力距離とってんなあ」
 白石蔵之介の言葉は謙也のことを言っていたが、とても自分のことのように思えず、他人の感想を聞かされている気分だった。意識していないことなので、何と返事していいか分からず、生返事しかできなかった。
「なんか距離とってんなあと思ってんねん。色んな人間と普通に喋ってんし、仲よさげだし、他人が苦手って感じでもないのに、不思議やなあって思ったんや。他人全員に遠慮してる感じはあるねんけどな。千歳とか顕著に出てると思うで。本人は気付いてないだろうけどな遠慮しすぎて色んな事我慢してるんちゃう?」
 蔵之介はそれだけ言うと、「次移動教室やな」と席を離れて行った。
 謙也は蔵之介のいう距離とは何なのか、よく分からなかった。物質的なものでもないので、精神的な距離だろうか。しかし「仲よさげ」と形容しているからにはそこにあまり距離は感じない。遠慮しているつもりは、全くなかった。蔵之介は謙也のどこを「遠慮している」「我慢している」と思ったのだろう。せっかくならどういうことか説明してくれたらええのに、と謙也は心の中で呟いた。



 そんなことがあってから数日後、夏休みが始まった。とはいっても、謙也は夏期講習があるので学校に来ていた。じわじわうるさい蝉の声と運動部の掛け声が遠くに聞こえる。夏だ、と意識するとこめかみから汗が流れるのを感じた。照りつける太陽がじくじくと皮膚を刺激する。特に現在、真昼の太陽は一段と輝いていた。
「忍足くんも夏期講習?」
 ふと自分の名前を呼ばれたので振り返ってみると、夏川涼乃がそこにいた。涼乃は謙也を確認するとゆっくりと謙也の隣に並んだ。
「まあな。めっちゃ暑いから、今から図書室でも行こうかって思ってん」
「今日はもう終わり?わたしも終わりだし、本を返しに今から図書室に行くところなの。一緒に行っていい?」
「ええよ」
 涼乃は謙也と同じクラスの女子だった。とても親しい間柄、恋仲というわけではない、普通のクラスメイトだった。この学校では珍しい、大人しく地味な女の子で休憩時間は本を読んでいるような女の子だったと謙也は記憶している。中学入学と同時に大阪へきたらしく、ここでは珍しい標準語で話していた。謙也と同じく夏期講習を受けていて、今回初めて席が隣になったということで少し会話したことを思い出す。
 ふたりで歩きはじめ、他愛のない会話をした。この間の蔵之介の言葉が引っ掛かってちらりと涼乃を見てみれば、すぐにでも触れる距離に涼乃がいる。蔵之介の言う距離とはなんなのか。ぐるぐると考えているうちに図書室に着いた。
 涼乃が本を返すと言うことで、返却カウンターへ行った。鞄から取り出した少し大きめの本は、綺麗な夜空をまとっていた。季節の星座、と書かれたその本にはきらきらと星たちが輝いていた。
 涼乃は星が好きなのか。
 この辺は繁華街やビル街ではないものの、あまり空は広くない。ロマンティックな趣味があるのだなと、謙也は涼乃に関する情報を書き加えていく。
「どこに座る?」
 ひそ、と声を潜めて本を返し終えた涼乃が話しかける。謙也はぐるりと一周見渡した。
「あそこ、奥の席空いてるからあそこにせえへん?」
「うん」
 二人で席に着くと、涼乃は読書を、謙也は問題集を取り出した。遠くで夏の声がする。去年は自分もあそこで練習をして、夏の一部になっていたのだと不意に懐かしくなる。数か月前は自分もあそこにいたのだと、寂しく感じた。ああ、あのとき、そんな考えが頭をちらつく。そんなことないだろうと、考えを否定すべく謙也は問題集のページをめくる。まっさらなノートに数式を書き写していく。自分は精一杯やったのだ、悔いなどないのだ。あれは自分の力不足ではないか。謙也は何も考えないように、ずっと数式を書いていく。そうだ、そうなんだ…………。蔵之介の言葉が、嫌に繰り返される。遠くの声が、やけに頭に響いてくる。やめてくれないか、謙也は懇願するように手を速めていった。
 
 

「忍足くん、忍足くん」
 自分の名前を呼ぶ声に気付いた謙也は意識をそちらへ集中させた。自分でも気付かない内に眠っていたらしい。ぼんやりと目を開けると、涼乃が真っ青な顔で謙也を揺すっていた。ここまで青ざめた涼乃をあまり見たことがない、と謙也の意識は叩き起こされた。
「ねえ、外見て」
 震えるような声で涼乃に言われ、窓の外を見れば、まっくらである。どれだけ自分は寝ていたんだ、と半ば呆れかえった。涼乃も起こしてくれたらええやん、と明るく伝えると、涼乃は頭を横に振った。それから、鞄の中から携帯をとりだし、待ち受けを謙也に見せた。何かのアニメのキャラクターが謙也に笑いかけている。下の方に数字が映されている。数字は今日の日付と、時刻を表している。その数字と、謙也の記憶が正しければ図書館にきてから三十分も経っていない。つまり、まだ昼なのであった。涼乃の携帯を見て、外の景色を再び見てみる。外はまっくらで、窓に近づいてみれば小さく星が輝いているのを確認できた。紛うこと無き夜の風景であった。涼乃の携帯が可笑しいのではないかと思い、自分の携帯を見てみたが涼乃の携帯と同じ時刻を表示している。図書室内の時計も、同じ時間をさしていた。
「どういうこっちゃ…」
 謙也と涼乃以外の人たちは平然としている。時刻が昼であるのに外が夜であることに違和感がないらしい。
「さっき図書室の人に時間聞いたんだけど、やっぱりお昼なんだよね…でも外は夜だし…」
 おろおろとうろたえる涼乃はどこか震えていた。
「とりあえず、ここじゃ話せないし外で話そう」
 謙也は涼乃の手を引いて図書室を後にした。図書室を出るとやはり電灯が付いており、外は本当に夜だった。外を歩く人達は皆ランタンや懐中電灯を持ち歩いている。明かりを持ち歩いて移動する様は、異国のように感じた。何せ謙也はランタンの実物をみたことがなかった。アウトドアで使用するようなものならともかく、ゲームや漫画にでてくるようなファンタジーなものを掲げて歩いているのだ。中には提灯をぶら下げている人までいる。電気で光るものから、ゆらゆらと揺れる蝋燭で辺りを照らしている。
「ここ…………どこなのよ………」
 半ば絶望したような声で涼乃は呟いた。

 

 校舎近くにあるベンチに腰掛ける。傍にはなかったはずの電灯があり、あたりを照らしていた。
 涼乃の話によると、涼乃もいつの間にか眠っていたらしい。起きて外を見ればもう夜で、驚いて時計を見ると、昼だったので再び驚いたと言うことだ。景色が夜と言うだけで、他は何も変化はないようだった。いつもの学校だし、時折すれ違う生徒も見知った顔である。
「結構暗いね…だからみんな明かりを持って移動してるのかな」
 確かに電灯はついているものの、それらは最小限であり、上を見上げれば星が綺麗に輝いているのを確認できた。それでみんな明かりを持ち歩いているのかと、謙也は納得した。しかしちらほらと、明らかに暗がりでふらふらしている人もいた。反対に、暗くても関係ないとでもいうかのように走り回る学生もいた。
「なんでこんなとこおるんや」
「拉致されたわけじゃなさそうだね」
「はあ…………」
「………ちょっと学校を見てみようよ」
 突然の提案に謙也は驚いた。涼乃の視線はぶらつかせている自身の爪先へと注がれている。
「自分なんでそんなに冷静なんや」
「よくわかんないけど。夏って不思議なことたくさんあるじゃない。もしかしたら帰る手掛かりが見つかるかもしれないし」
 決して楽観視できる状況ではないにしろ、涼乃の言うことも一理ある。謙也はそうやな、と自分に言い聞かせるように返事をした。
「夏って、不思議だよねえ」
 涼乃がぽつりと呟いた。
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