いつかどうしても悲しいときに | ナノ

 少し眠いな、そんなことを思いながらのそりのそりと廊下を歩いていく。本当はいけないことなのだけど、仮病と言うやつを使おうと、オレは保健室に向かっている。眠いものは眠いししょうがない。クラスの女子がくれた、まいう棒をいくつかポケットに突っ込み教室を出た。
 保健室のドアには職員室にいます、という言葉か印刷されたプレートがかかっている。ドアを開ければ確かに誰もいない。問診票に気分がすぐれないだとか適当なことを書いた。ベッドを見れば、誰かいるのかうっすら影が見える。起こしてしまったのだろうか、ぼうっと見ているとカーテンがゆっくり開いた。
「い、いま、先生、職員室です…」
 真っ白い顔で目線を床に定めていた女の子の顔には見覚えがあった。同じ部活の、マネージャーの子だ。同じ学年の桃ちんはよく見るけど、この子はあんまり見ない。返事が無いのを不安に思ったのか、その子は顔をあげた。オレの顔を覚えているのか、あ、と口を開けた。声はここまで届かない。
「バスケ部のマネージャーだよねー」
「う、うん…」
 問診票を書き終え、たところで、その子のベッドに近づく。この子の声はとても小さくて聞こえない。多分声を張るのも苦手そうだから、オレが近くで聞いた方がいいと思う。その子のベッドに腰掛ける。その子はずっと慌てふためいて、え、とか、あ、とかよく分からない声を発しては顔を赤くして目線を泳がせている。なんだか面白い。
「先生帰ってこないの?」
「よ、用事があるんだって…この時間だけは、どのクラスも体育ないし…職員室に、いるって…」
 思った通り、至近距離じゃないと聞き取れない。
「じゃあ、ちょっとお話しよーよ」
「えっ…う、うん」
 この子は藍川ユズルって言うらしい。バスケ部では主に雑用をしていて、桃ちんと青ちんの幼馴染みらしい。さつきがね、大ちゃんがね、と話すこの子は楽しそうだ。話を聞きながら、ポケットからまいう棒を取り出す。お菓子は美味しい。
「むっ、紫原くん…いつもお菓子持ってるね」
「オレお菓子好きだからね〜」
 わたしも、と笑ってその子はポケットを探りだした。遠慮がちに差し出されたその子の小さな手のひらには飴がいくつか乗せられていた。
「ひとつ、あげるっ」
 聞けばこの子は身体が弱いらしい。保健室にお世話になるたびに、桃ちんや青ちんが飴をくれるのだという。青ちんが飴を持ってるって、ちょっと面白い。
「じゃーオレも!」
 もう片方のポケットから、まいう棒を取り出す。それを彼女に渡して、オレも飴を一つもらう。
「ユズルちんは青ちんも桃ちんも大好きなんだねえ」
「うん、ずっと一緒だから…」
 少し考えた後、ユズルちんはほろほろと泣きだした。涙をぽとぽと落とす。本当に小さな声で「さつきと大ちゃんはわたしのこと好きじゃないかもしれない…」と言いだした。ユズルちんは自分のダメなところを言っては悲観している。根本的にダメなわけではないと、思う。
「そうやって悲観して楽しい?」
「楽しくはないし、こわい」
 嫌われることが怖い。
 いまだ涙を落とすユズルちんの頬に手を添える。微かに熱を帯びた頬は柔らかかった。
「青ちんも、桃ちんも、本当に嫌いだったらああやって一緒に帰ったりしないと思うなー。青ちんや桃ちんが好きなユズルちんを、ユズルちんが貶してたら悲しいと思うなー」
 青ちんも、桃ちんも、ユズルちんと同じでよくユズルちんのことを話す。ほんとうに、楽しそうに。ユズルちんがとても優しいことも、心配性なことも、泣き虫なことも知っている。本当に泣き虫だとは思わなかったけど。ユズルちんは涙を溜めながら、オレを見る。きらきら光るユズルちんの瞳は、飴みたいだ。「う、うう、うぇっ」と泣き続けるユズルちんだけど、オレの言いたいことは伝わったらしく、泣き声に混ざってありがとう、も聞こえた。それでもぽろぽろ零れ落ちる涙も、飴みたいだ。べろりと舐めてみると、飴とは違って少ししょっぱい。それでも流れる涙をべろりべろり舐めていると、ユズルちんがオレの腕を掴んだのがわかった。ひょろくて小さいユズルちんの手が、オレの手に重なる。ユズルちんの顔を見てみれば最初見た真っ白い顔ではなく、真っ赤な顔だった。
「む、紫原くん、あの、ちょっと…恥ずかしい…」
 止まったと思ったユズルちんの涙は、ユズルちんが少し俯いたときにまた流れた。仕方なくオレの指で涙を拭うことにした。
「ねーねーオレはユズルちんって呼ぶし、ユズルちんもオレのこと名前で呼んでよ」
「う」
「オレはねー紫原敦だよー」
 きらきら涙で輝く瞳をもっと輝かせて、ユズルちんは頷いた。そのあと、「敦くん」と笑いながら、小さな声でオレの名前を呼んでくれた。
「敦くんのこと、知ってたよ。だって同じバスケ部だもん」


20120529
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