いつかどうしても悲しいときに | ナノ

 帝光中学のバスケ部は、強い。部員もかなりの数で、一軍、二軍、と続いていく。ボクはまだ一年で、あまりバスケは上手ではないのでまだ三軍だ。バスケは好きなのだけど、上達に繋がらない。練習時間をいくら重ねても、比例するわけではない。青峰くんだとか、そういう人達を見ていると、ボクはどれだけ練習しても無駄なんじゃないかとすら、思える。まだ一年だし、身長は伸びると信じている。やっぱり身長があるほうがいい。女子生徒の、身長が高い子と並ぶとボクは大体同じくらいで、とても悔しくなる。ボクだってやっぱり男なのだから、身長は欲しい。身長があれば、もっとバスケだって上手くなるはずだと、信じている。
 そんなこんなでボクは相変わらずの日々を過ごしている。授業を受けて、図書室に行って、本を読んで、部活に行って。入学してからそれなりに時間を経て、この生活にも慣れてきた。三軍といえども、練習から手を抜くことはしない。ボールが跳ねる音、バッシュがすれる音。部員の掛け声が体育館にこだまする。笛の音が、遠くでするたび、少し悔しい。この体育館以外でも、練習は行われている。別の体育館ではまさに一軍の人達が練習している。一年で一軍入りしたという青峰くんをはじめ、数人いるらしい。だから同じ一年だけれど、部活の時は滅多に顔を合わせることはない。部活が終わったとき、自主練でたまにみかけるのだが、いつか自分もあそこでプレイできるのだろうか、と途方もないことを考えたりする。最近は自主練も人が多くて、他の体育館に行くことにした。少し離れているからか、あまり人がいないということを発見したのだ。
 ダウンも終えて、自主練する人や帰る人が入り混じって、一番ごちゃつく時間がやってきた。ふと、隣の人がビブスを付けているのを見た。そういえば、と自分も付けていたのを思い出す。友達らしき人に言われて気付いたその人は、立ち上がってビブスをもどしに行った。そういえばこれはどこに返せばいいのだろうか。いまいちよくわからないから、早く誰かに聞いた方がいいかもしれない。ボクも立ち上がって、さっきの人の後を追いかけた。
「あっ、マネージャーもう行っちゃったから、洗濯機のところな」
 ボクが追いかけたときはもう遅かったらしく、早くな、と付け加えられたので枷を付けたように思い足に鞭打つように駆けだした。洗濯機、とその場所を目指していく。薄暗い渡り廊下は嫌いだ。お情けといわんばかりの、ぱちぱちしている電灯、体育館からの光くらいだ。暗いのが怖いわけではないが、この寂しい渡り廊下は嫌いだ。先を行くボクの影を追いかけるように走っていく。
 体育館を抜けた先、人の気配がした。洗濯機と、洗濯物。いくつものビブスやタオルが干してあり、水道の横にはスクイズボトルが並べてある。洗濯機の近くに人がいるのを発見して近づいた。
「すみません、渡しそびれたみたいで」
 ボクが声をかけるとその人は驚いたみたいで、漫画のようにビクッとはねた。その人はボクの手の中にあるそれを見て理解したらしく、ああ、と蚊の鳴くような声で呟いてビブスを受け取った。
「いつも洗濯終わるまで待ってるんですか?」
「えっ、と…今日は当番じゃないから、洗濯機回したら、干してあるの取り込んで、当番の人に任せて終わりなの」
「そうなんですか」
 全く目を合わせず、洗濯機と話してるんじゃないかと思うほど、その人は洗濯機から目を離さなかった。ちらりとボクのほうを向いたと思えば、すぐに目線をもどす。声の小ささといい、この行動といい、きっと話すのが得意な方ではないのだろう。ボクのことを気にしながら、いそいそと籠に乾いた洗濯物を詰めていく。その子が持つには不釣り合いな大きな籠を持ち上げる。
「ボクが持ちますよ」
「えっ」
「そっちの籠も持っていくのでしょう。一番大きなものはボクが持ちます」
 傍らにあるもう一つの籠は、サイズ的にはいつも使っているようなノートくらいで、タオルがいくつか入っていた。籠とボクを交互に見ながら、何か考えているのか、中々その子は喋ろうとしない。
「で、でも、これを運ぶのはわたしの仕事で…両方持っていかなきゃならなくて…」
「…そうですね、じゃあこうしましょう」

 ボクの左手は大きな籠の右の取っ手、左の取っ手は女の子の右手、左手には小さな籠。大きな籠を二人で持つことで妥協した。それがいつもの仕事なのだろうけど、なんとなく、手伝うことにした。マネージャーと一緒に運ぶ部員の姿なら何度か見たことがある。さっきのやりとりといい、彼女は責任感が強いのだろう。薄暗い渡り廊下を歩いていく。部活の時ほどではないが、声や音が体育館から漏れている。
「………黒子くん、ありがとう」
 今度はボクが驚く番だった。クラスでは見たことのない顔だし、あれだけ人数の多いバスケ部で、正直名前と顔なんて覚えられているとは思わなかった。あまりにもびっくりした顔をしていたのか、彼女はボクのほうを見た。
「わたし、さつきみたいにできないから、せめて顔と名前くらいはみんな覚えていようと思って…わたし、体育館回ってるから…」
 全員覚えたわけじゃないけど、と彼女はつづけた。大量の洗濯物も、顔と名前を覚えるのも、彼女なりの精一杯なのか。
 こんなボクでも、名前を覚えてくれたことがちょっと、嬉しい。影の薄さには(そんな自信は捨ててしまいたいが)自信があるボクの、顔と名前を一致させてくれたということが、とても嬉しい。緩む口元を空いてる方の手で隠す。ずうっと黙っているボクを不思議に思ったのか、ちらちらとボクのほうに視線がくるのを感じる。
「…もしかして、名前、間違ってた、り…?」
 さあっと顔を青ざめさせて俯く。いいえ合ってますよ、と言えば安心したように一息ついた。
「ボクは黒子で合ってますよ、黒子テツヤです。ええと…」
 しまった、彼女の名前が分からない。大抵マネージャーを呼ぶときはマネージャーと呼んでいるし。ちょっとまずい。言葉が続かないボクを不審に思ったのか、彼女はチラリとボクを見た。そして、また俯いたかと思うと、相変わらずの小さな声で話しだした。
「わたしは、藍川ユズルです」
「…藍川さん」
 ボクが名前を呼べば、藍川さんは恥ずかしそうに笑って見せてくれた。「黒子くん、テツヤって言うんだね」「そうです、ユズルさん」「テツヤくん」お互いに下の名前で意味もなく呼び合っていると、ユズルさんも普通に笑ってくれるようになった。薄暗い渡り廊下を歩くボクらを体育館から漏れる光や電灯が照らす。後ろを見れば、少し伸びる影は同じくらいの長さだった。影はひとつじゃなくてふたつだけど、ボクは別に嫌な感じはしない。
 ボクは隣のユズルさんと笑いながら、影を置いていく。
 
 
20120604
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