だってだってなんだもん | ナノ

 なぜ鼻血に興奮するのか、花嶋あかねは覚えていない。他人の鼻血には何も思わず、どすぐろい色に眩暈すら覚えるのに、なぜか黄瀬涼太の鼻血は湧水のように綺麗なものに見えたのだ。そもそも他人の血を舐めると言う行為に、あまり抵抗がない。黄瀬限定で、だ。その理由はいまいち、自分でも分かっていない。
 
 中学生になってから付き合う様になった。
 きっかけは、花嶋の鼻血だった。
 乾燥からかよく鼻血を出していた花嶋が、黄瀬の部屋で鼻血を出した。チョコレートを食べて鼻血出すなんて漫画かよ、と思った覚えがある。ゆっくり垂れてくるそれは、下校途中転んで作った傷口から滲むそれと同じ色だった。同じ味がするのだろうかと考えた瞬間、黄瀬は花嶋の鼻孔を舐めていた。鼻血を舐めるなんて行為は初めてで、中々うまくいかなかった。滲む血とは違って結構な量があり、味も鮮明になった。すこし、あたたかい。角度を変えるのを失敗して、苦みを噛みしめたまま花嶋に接吻してしまったこともあった。「ファーストキスはレモンの味とかいうけど、わたしは甘い方がいいな」なんて笑っていた花嶋を思い出してちょっと申し訳なくなった。やはり苦いのか、キスをしたときちょっと苦しそうな顔が見えた。それからまた鼻に口付け、舌を鼻孔にねじ込みながら啜った。しばらくして、苦みが我慢できなくなった黄瀬が口を離せば、ぽうっとした花嶋の顔が見えた。両方から赤い血を垂れ流していた花嶋がとても可愛いと思ったのは、黄瀬はこれが初めてだった。
 そこから、黄瀬は苦みですこし顔を歪めたまま、口元を花嶋の血で汚したまま、「付き合おう」と言い放ったのだった。

 黄瀬は花嶋ほど鼻血を出さない。たまに出すときに限って、花嶋が傍にいる。花嶋は黄瀬がしたように、黄瀬が鼻血を出すと舐めとるようになった。それはもう、とてつもなく丁寧に。
 いったいどうしてこうなったのかと、黄瀬は少し悩んでから、まあいいかとその疑問を頭の中のたんすにしまいこむのだった。
 
「あかねはチョコレート好きっスね」
「うん、だいすき」
 板チョコにかじりつく花嶋は、満面の笑みを浮かべた。ちょっと頭が良い花嶋に板チョコという報酬を与えて、ちょっと頭が悪い黄瀬に勉強を教えている途中だ。一通り教え終わり、黄瀬が練習問題を解き始めると花嶋は板チョコにかぶりついたのだった。
「人が勉強してる途中にもの食うの止めてもらえないっスかね」
「気にしないで」
 あれから、ちょっと伸びた前髪をヘアピンで留めた花嶋は相変わらずチョコを食べている。結局パッツンは似合わなくてはやく止めたいらしい。溜息をついてノートと向き合った黄瀬の視界に、黄色が顔を出した。そう言えば前髪が伸びていた。いつもはそれとなく横に流すなりしていたが、下を向くと結構邪魔になる。明日切ろうか。そんなことを考えていても、邪魔なものは邪魔にしかならなくて、腹の底に苛々を募らせるばかりだった。
「あかね、ペアピン持ってないスか?」
「あー、ああ、あーあー、あるよ、はい」
 質素なヘアピンを花嶋から受け取ると、黄瀬は前髪を上へねじり上げた。そのまま後ろへ倒し、ヘアピンで留める。すっきりとした視界に黄色はもう映らない。
「涼太くん……?」
 突然呼ばれた自分の名前に驚いて振り返ると花嶋が、あのぽっとした顔で黄瀬を見つめていた。先ほどまで夢中になっていた板チョコは机の上に置き去りにされている。
「あかね…?」
「お」
「お?」
「おっおおおお、おおっ、おおおっおっ、おでこが…………!」
「ハア?」
 心の中で留めておこうと思った言葉が口に出てしまった。花嶋は嬉しそうに両手で口元を押さえ、黄瀬のおでこを陶酔しながら見ている。おでこ。ひたい。眉の上から髪の生え際までの部位。硬く滑らかな、わずかに曲線を描く部位。それがなんだというのだろう。
「あっ」
 花嶋が少し上擦った声をあげる。次の瞬間にはつう、と鼻血が垂れ始めた。
「ごめ、鼻血でた」
 両方の鼻孔から赤い血を垂れ流す花嶋は恥ずかしそうにそう言った。ティッシュ、と言いながら鞄の中を探り出す。横を向いた花嶋の肩を、黄瀬は何か思う前に掴んだ。驚いて振り向いた花嶋の鼻血は、もう上唇を伝い始めていた。
 ああ、下に垂れる。
 おそらく二人ともそう思った。
 黄瀬は花嶋の唇をべろりと舐めた。少しかさついた花嶋の唇に、リップクリームを塗るかのように、黄瀬は花嶋の鼻血ごと下を這わす。驚きから口をあけた花嶋から、言葉なのか驚きなのか良く分からない吐息が当たる。それすらもなぜか黄瀬を興奮させるのだ。そのまま流れ続ける血を、花嶋のようにねっとりと舐めあげる。ぺろぺろと舐めていたのでは追いつかないので、そのまま鼻孔に舌をねじ込んだ。意外と熱を持ってるんだな、と苦みの中で黄瀬は思う。あの時初めて花嶋の鼻血を舐めたときと同じような味だ。鼻孔に口づけたまま、息を吸う。勢いよく流れ込むそれは、板チョコのように甘くはなく、決して美味しいといえるものではなかった。鈍い苦みに少し眉間にしわが寄るのが分かる。ぢゅ、ぢゅ、と下品な音と、花嶋が必死に口呼吸する音だけが響く。喉を通るのは、花嶋の体内を流れていた液体だ。そう思うと、黄瀬は頭の中で星が瞬くようだった。そのまま、口を鼻から、花嶋自身の口へ移す。苦しくて半開きの口に齧り付くのは容易かった。この苦い、熱い味。花嶋にすり込むように、黄瀬は自身の舌で花嶋の舌を絡め取っては舐めあげた。目を開ければ、花嶋はぎゅっと固く目を閉じて眉間にしわをよせている。あの時と同じ顔をしていた。ああそうだ、オレはいま、恋に落ちた時の味を、もう一度味わっている。恍惚で頭が蕩けそうだ。嬉しいのに、味覚は正直だ、苦みは顔を歪めていく。息継ぎしたとき、花嶋の瞼が上がる。黄瀬が苦みに負けて目を閉じるとき、その目が微かに笑ったのを、黄瀬は確かに見た。 
 一頻り舐め終わると、黄瀬は少しあがった息で花嶋を見つめる。花嶋は寝起きのような、蕩けた目で明後日の方を見ていた。口の中に残る苦みと、ちょっとの熱。
 なんで花嶋は毎回鼻血を舐めてくるのだろうと言うのが、黄瀬の中で疑問として残っていた。それが今、少し理解できた気がする。花嶋は何度もあのときの恋に落ちた味を味わっていたのだと、思うのだ。
 それならすこしわかるし、花嶋も、黄瀬も、どこも変ではないと思えるのだ。

怪我には気をつけましょう。
恋の怪我は中々治りません。

20120914
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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