text | ナノ


「テツくんの夏休み、ちょっと時間をわたしに頂戴。後悔はさせないし、わたしが素敵にテツくんの夏休みをデザインしてあげる」
 梅雨真っ盛りのじめじめした空気を吹き飛ばすかのように、ハルは騒がしい教場でそう告げた。突拍子の無いことにはなれっこだったが、こう宣言されるのは初めてだった。テツヤはわくわくする気持ちを抑えて、鞄からスケジュール帳を取り出して、ハルに手渡した。
 夏は、二人の手帳に予定を書きこんだ瞬間から始まった。

 
デザイングサマー





 何もかも鮮やかに見えた。痛いくらいの色彩が、網膜に焼きつけられる。ここは映画の中じゃないかというくらいに、黒子を取り囲む風景は非現実的に見えた。写真展の写真の中に閉じ込められたような感覚だった。
 自分が今まで見てきた空はなんだったのだろうか、と疑いたくなるくらいだった。そもそも、青の色が違うような。じりじりと照りつける太陽、帽子をかぶっていても木漏れ日が眩しい。
「テツくん、おまたせ」
 先にレンタカーを借りてきたハルが到着した。トランクに二人分の荷物を詰め込むと、暑さからか足早に車内へ乗り込んだ。
「暑い?」
 慣れた手つきでエンジンをかけるハルは、本当にあの自動改札で戸惑うハルだったのだろうか。幼さを残した、ハルは影を潜めている。「シートベルトしてね、はい」その言葉と同時に手渡されたスポーツドリンクを、テツヤは一口、二口、と煩雑に喉へ流し込んだ。唾液さえも気持ち悪いくらいに乾ききった喉を通る水分に、テツヤは眩暈を覚える。
「むしろ、痛いですね」
「テツくん、色白だからこれで健康的な色になるかもよ。青峰くんみたいな」
「青峰君はちょっと遠慮したいですね」
 失礼、と言いながらハルはからからと笑った。この土地の日差しはとても、痛い。まるでテツヤに帰れと言わんばかりに景色も日差しも攻撃してくる。冷房がきいた車内だけは、テツヤに優しい。
「ちょっときついかもね。あれだったら日焼け止めした方がいいよ。わたしのポーチに入ってる」
「いただきます」
 ハルの日焼け止めを塗りながら、外を見る。平坦な道で、高い建物がない。見渡す限り緑だった。平野が長く続き、山裾あたりに家が広がっている。海沿いを走ると、ここは日本だろうかと疑うような景色が再び広がる。海の青が、とても綺麗だった。
「日中の海、綺麗なんだけど砂浜が熱くてあんまりお勧めできないの。夕方行こうね」
 じりじりと熱を蓄える砂浜にはだしで駆けこんだら、そう想像するとぞっとした。きらきらと宝石をちりばめたような綺麗な海に行くには、それなりの試練が必要と言うことか。
「飛行機でちょっと食べちゃったし、おやつ食べない?ジェラートのお店があるの」
 今まで見渡す限り畑で、今は左が海、右は山という何もない道を走っている。ジェラートのお店、と言われて本当にそんな店があるかも疑わしい。顔に出ていたのか、ハルは噴出した。
「随分と詳しいんですね。ジェラートのお店は、市街地のほうですか?」
 だいたい空港と市街地は離れている。予めハルに聞いていた話だと、空港から五十分もかからないと聞いた。ハルはまっすぐ前を見て「この道の先。集落の入口ちょっと前にね、ぽつんとあるの。白いメルヘンな建物だよ」と応える。家など見えてこないので、まだ当分先だろうと思う。こういう田舎ではぽつんぽつんと家が建っていたりするものなのに、ここでは集合して建っている。集落を出たらしばらく緑に囲まれながら車を走らせるの繰り返しだった。
「何回か来たことあるの」
「どことなく、植物が南国系ですね」
「街路樹とかね。でも鹿児島の南あたりもこんな感じだったかな」
 夏休み、明けたらどうするとか、ゼミの話だとか、バイトの話、友達の話、おおよそこの土地に似つかわしくない話をした。テツヤの話すテツヤの友人、というのは面白い。ハルが知っているのは青峰という色黒い男と、桃井という可愛らしい女の子だけなのだが、テツヤの話に出てくる色とりどりの友人たちはお伽噺のように楽しい人たちだった。一度、モデルの黄瀬涼太が友達と聞いて驚いたが、見せてもらった写真には嬉しそうにピースをする黄瀬涼太と、相変わらずの無表情でピースするテツヤが写り込んでいた。
「とうちゃーく」
 ハルが車を止めた先には、芝生の庭にテラスがある、白い小さな店だった。そこまで大きい店ではないが、今まで見てきた景色とはまた打って変わって内心テツヤは驚いた。
「ここ、二種類頼む決まりなの。一つのカップで二つの味が楽しめるの」
 冷房で涼しい店内は、見た目通り白を基調にした質素な作りだった。それでもテーブルであるとか、インテリアは木の温かみを感じられるデザインだ。ここは東京のとあるおしゃれなカフェです、なんて言っても遜色はないだろう。ジェラートのショーケースを前に、二人で思い悩む。ショーケースに映り込む二人の姿は、どこか幼げに見えた。
「じゃあ、わたしはヘーゼルナッツとパッションフルーツ!」
「ボクは…そうですね、黒糖焼酎とミルクにします。あ、会計一緒でいいです。ボクが払います。運転手さんは席でもとっててください」
 少し申し訳なさそうにありがとう、とハルが言うとハルはテーブルの方へ向かった。
会計を済ませ、差し出された色とりどりのジェラートを受け取りハルがいるテーブルに向かう。
「お待たせいたしました、お嬢様」
 芝居がかった口調でジェラートを差し出せば、ハルは笑顔で受け取った。
「テツくん、いきなり黒糖焼酎かあ」
「有名だと思ったので」
「夜になればいくらでも飲めるよ」
「そうします」
 一口どうぞ、と差し出されたスプーンの上には鮮やかなオレンジ。すこし、黄瀬を思い出すような鮮やかで明るい色だ。差し出されたスプーンをそのまま口に入れると、酸味のある味が口に広がった。甘さは控えてあるのか、それでも酸っぱいとまでは思わない、適度な酸味。甘いかな、と思うけれど後味を残さないさっぱりとした味だ。おいしい、と感想を零したテツヤを見て、ハルはいたずらが成功した子供のように笑った。
「パッションフルーツ、美味しいでしょ」
「いいですね、甘すぎず、さっぱりで」
「テツくんのミルクも頂戴」
「黒糖じゃなくていいんですか?」
「一応、ドライバーだから」
「…ああ」
 ぺろりとしたを出して笑って見せるハルは、子供の笑顔ではなかった。




「ボクたちはどこへ向かっているのでしょう」
「山道ですよ」
 ぐるぐると、山道を走っているのは間違いなかった。ディスカウントストアの裏側を通って、本当に誰が使うんだか分からない道を走っているとおぼろげに感じる。おそらく、この先に集落があるとは思えない。カーナビはもはや案内することを諦めている。山道は、普段あまり目にしないものの、テツヤの知っているものと変わらないようだった。ひたすらぐるぐると登っていくと、アスファルトが途切れた。
「少し先なの。道はここで終わりなんだけどね」
 そう言い残すとハルは軽い足取りで車から降りた。テツヤもそれに倣い、降りる。ほんとうの山道とはこういうものだという、木で覆われ薄暗く、舗装なんてされていない不安定な砂利道を歩いていく。先行くハルはずんずん進んでいく。歩き慣れていないとはいえ、自分はこんなに歩くのが遅かったのだろうかと思うくらいだ。
「眼を閉じて!」
 訳が分からず、はい、と言われたとおりに目と閉じる。行くよ、と言われたものの、知らない、しかもこんな道を目を閉じて歩くなんてできたものじゃない。目を閉じたまま躊躇していると、手を引っ張られた。
「わたしが手を引くから、ゆっくり歩いて」
 真夏の日差しの下、手を繋ぐと、どちらかわからないけれどじっとりとしていた。ホッカイロを真ん中に握り込んでいるのではないかと錯覚しそうだ。それでも不快感は不思議と感じなかった。ゆっくり、と言うけれど、ハルは歩くのが速い。少し速めに歩くと、風が横をすり抜けていく。目を閉じて、何もかもをハルに委ねている。テツヤは少し強くハルの手を握った。黒い視界に、少し明るみが差した。途端に歩くのを止めたハルが、ふと手を離す。
「目、あけていいよ」
 耳元で風と一緒に吹き込まれたハルの声に恐る恐る目を開けた。飛び込んできたのはさっきまでいた場所だ。あの道を、さっきまで走っていた。平野に広がる畑や家、様々な景色をアレンジするもの。それらを挟むような海は、思った通りどこまでも続いている。
「山の神様はね、山の尾根道を散歩するの。わたしたちが来た道を歩いてるの。ここから見える景色は、神様の見る景色なの。もっと天気がよかったら、隣ってほど近くは無いけど向こうに島が見えるの。ふたつの海を同時に見れるなんてそうそうないでしょ?左に見えるのが東シナ海、右側、わたしたちが通ってきた道があるのが太平洋。ここね、パラグライダーが飛ぶの。ほら、そこの台」
 ハルが指さす先には、今にも崩れそうな木の台がある。ここから、飛んでいくのか。原色で彩られたこの景色に飛び込んでいく気分はどんな感じだろうか。濁った色の無い世界が、目下広がっている。自分は、この世界が続く先で生きていたのだろうか。到底同じ世界だと思えない。
「綺麗でしょ?わたしの、お気に入り」
 そうやって下を見つめるハルの目には今同じ世界が写っている。ハルの目にも、この透き通った色の景色が映り込んでいる。




「中心部は意外と都市っぽいんですね」
「商店街の方にはお洒落なお店もあるし、勿論居酒屋だってたくさんあるんだよ。服屋さんも結構お洒落なの。コンビニだってあるしね。フェリーでくると最初にこの街に着くんだよ」
 一息ついて、ふたりはコンビニを出た。東京ではあまりみないコンビニで、ソフトクリームまで買ってしまった。飲み物と、アルコール、ちょっとのつまみを片手に宿泊先であるビジネスホテルに向かう。先ほど居酒屋で夕食を済ませたのだが、いかんせん眠らない街のような歓楽街の風貌を携えたこの街で静かにご飯と言うのはなかなか叶わない。そもそも、居酒屋でそんな願いはするほうが可笑しいのだが。乾杯と、珍しい島野菜、島豆腐、あまり目にしない料理を食べた。マンゴーだのパパイヤだの、フルーツはそのまま食べると思っていたので、漬物と言われた時は驚いた。素麺を炒めるという発想も無かったし、海ぶどうだって、テツヤは初めて目にした。目に入るものがすべて珍しい、そんな夕飯だった。
 コンビニから帰り、ビジネスホテルの部屋に帰ると部屋は蒸し暑かった。急いで冷房を入れて、買ってきたものを冷蔵庫に詰める。
「ハルさん、さきシャワーどうぞ。ボクはテレビ見てますから。水もらいます」
「わかった」
 最低限の着替えを持って、ハルは浴室に消えた。
 ぴ、とテレビを付けるとローカルのニュース番組が始まっていた。知らない土地のニュース、しかも大半はいまいる土地と関係ないことばかりだ。最後に明日の天気を確認する。多分晴れ。急な雨にご注意を。当たり障りのない予報をしたあとは、よく見るバラエティ番組が始まった。
 冷房がきいてきたのか、ひやりとした空気が肌を撫でる。今でも顔が暑いのは日焼けだろうか、それとも焼酎だろうか。すこし重い頭を動かすために、テツヤはペットボトルの水を胃に流し込んだ。
「ごめん、出たよ」
 風呂上がりだと言うハルは、見事に下着姿だった。ハルが寝る前に下着だけで寝るのは知っていたが、なんとなく、今日は目を合わせづらかった。そんなテツヤの気はいざしらず、ハルは乱暴にタオルで髪を拭いている。少し薄暗い、温かみを帯びた照明がハルの肌を照らし出している。
「今日暑かったし、テツくんもシャワー浴びた方がいいよ。さっぱりする」
「お言葉に甘えて」




 ハルの言葉通り、大分さっぱりした。日焼け止めを塗ったものの、すこしひりひりする。露出した部分は赤くなっているので、おそらく焼けたのだろう。
 浴室から出ると、ハルはあのままベッドに寝そべっていた。サイドテーブルにドライヤーがあるので乾かしたのだろう。
「テツくん、座って」
 ハルに言われるがままにベッドに腰掛けると、ドライヤーの暖かい風が髪を揺らした。されるがままにハルに任せると、暫く髪を乾かしたあと、ご丁寧にブローまでついてきた。
「焼けた?」
 そう言って、ハルはテツヤの腕をさすった。ちょうど半袖から伸びるだろう腕あたりを、何回か往復する。ほんやりと、二の腕が真ん中辺りから赤くなっているので日焼けしたのだろう。
「テツくんは白いから目立つね、結構赤い」
「ハルさんは…………顔が、赤いですね。またお酒飲みましたね」
「ばれた」
 テレビの横にはコップと、すもものリキュール、ペットボトルの水にカルピスの原液。わりと本格的に飲んでいたようだ。テツヤはそのままベッドに乗る。押し倒されるがままにベッドに背中を預ける。そのままハルが口付けしてきたので、それに応える。甘いような味はカルピスだろうか、このアルコールはすももだろうか。見た目の可愛い瓶とは裏腹にどぎついアルコール濃度に、折角醒めた酔いが復活しそうだ。ハルもテツヤも、下着以外身につけていないので、肌と肌がくっつく。じゃれつく犬のように愛撫を施すハルは、相当酔っているようだ。行為は大人なのに、漏れる声だけは子供のように無邪気だ。一通りやって気がすんだのか、ハルは抱き枕でも抱きしめるように、テツヤに抱きついた。
「今日はすごい人ですね、浴衣の人もいますしお祭りですか?」
「うん、そう。ほんとうは昨日からやって、全部で四日間あるの。この時期、中々レンタカーも飛行機もとれないんだよね、もちろんホテルも。わたしたち随分早く夕食食べたからね、もうすぐ花火のはずだよ。わざわざ海側の部屋とったんだから」
 ほら。窓を指さしだハルは身体を起こして、ベッドから降りた。コップを手に取ると、カーテンを勢いよくあけた。いくらここが九階だからといっても、今のハルは下着姿なのだから、もうちょっと慎みを持ってほしい。カーテンから顔を見せる窓は、真っ黒だ。
 今日一日だけでも、結構島を回った。明日はマングローブ林に行って、滝を見に行って、自然を満喫する。自分の知らないことを、ハルは教えてくれた。あれだけ英単語を覚えるのは嫌だと言っていたハルが植物の名前をすらすら言うのだから。明日からも、二人でこの島を満喫する。ここから、段々南下していく予定らしい。地図を見ながら説明するハルの楽しさは、テツヤにも伝わってくる。
 ドォン。大きな音が鳴り響いた。花火が始まったようだ。ハルはそこから落ちそうなほど身を乗り出して、外を見ている。正直なところ、ハルで花火は殆ど隠れているのだが、そんなことも知らずにはしゃぐハルが可愛くて、ハルごと窓の方を見つめた。くるりと振り返り、ハルはまた幼い笑顔で微笑んで見せた。花火が、後ろで咲いている。
「綺麗でしょう?」
「綺麗、ですよ」
 テツヤの言葉に満足したのか、ハルはベッドに戻った。テツヤの隣に座り、肩を並べて外を見る。
「わたし、ここ好きなの。綺麗で、落ち着くし。大事なものってたくさんあるけど、この島もその一つなの。別に生まれ故郷じゃないし、何の縁があるんだって感じだけど、すごく好きなの。大好きなところで、テツくんとこうやって花火見れるし、幸せ」
「ボクもです。ハルさんが、そうやって大切なものをボクに教えてくれるのが嬉しいです」
「わたしもテツくんの好きなものとか知りたい」
「そうですね、まずはハルさんですかね」
 ハルの視界を遮るようにキスをすれば、今日初めてのしおらしいハルが顔を出した。紅潮した頬は、きっとアルコールだけではないだろう。その間にも花火はどんどん煌めいている。恥ずかしそうなハルの顔を見て、なんだか愛おしくなって、テツヤは笑った。羞恥心からか、アルコールのせいなのか、ハルは目のふちに宝石を溜めこんで、瞳にはホログラムを張っていた。薄暗い部屋の中、ハル自身宝石のようにきらきらしていて、飴玉のような涙をぺろりとテツヤが食べてやると、ハルはくすぐったそうに笑った。ゆるやかに掴まれている腕が、とても可愛らしい。日焼けした部分、服で隠れていた部分、オセロのようにくっきりとわかれた部分に、ハルの手が触れている。ビジネスホテル、南の島、下着姿、アルコール、花火。ちぐはぐな空間を作り出す二人は、また肩を並べて、窓の外を見つめる。
 ひとつ、ふたつ、と真っ黒なキャンバスに瞬く花が咲いていく。



20120911 title"氷上"

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