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トラベルプランナー


 いつも黄瀬を起こすのは携帯のアラームだ。
 黄瀬は流行りの音楽なんて正直分からないから、初期設定のまま。きっとパターン1とかそういう無機質な音。ピピピピと同じ音を繰り返す携帯を手にとって、手探りでアラームを止める。朝練でもないのに早起きするなんて、気分が悪い。なんでもいいから一秒でも長くオレを寝かせてくれと、黄瀬はいつも思う。
 試験期間になって部活動禁止にされて、正直暇を持て余していた。こういうときは自主練もあまり出来ない。軽く走ったりするくらいだ。モデルの仕事もテストに合わせてかあまりない。ぼやぼやとした頭のまま、黄瀬は空想に耽る。
 もしもキセキの世代でまたバスケができたら。
 もしも黒子が海常にきていたら。
 もしもを繰り返す虚しい遊び、以前撮影に行った場所のこと。わりとどうでもいいことばかり考えてしまう。最近は地図帳をひたすら眺めるのがブームだ。以前行ったことがある場所を眺めたり、知らない場所を想像したりしている。そうだな、ここは新幹線で行って、温泉が有名だから一回は入りたい、そのあと…到底無理な旅行プランを次々にたてていく。草津に行って、天王寺に行って、札幌に行って、アメリカ、カナダ、ルーマニア、ボリビア…すごろくのように飛びまわるのは楽しい。せっかくたてた旅のプランは、大抵部活が始まると忘れていってしまうのだった。
 バスケができない、何もできないときはいつもこうやって到底無理なことを考えて頭の中で実現させるとこで、黄瀬はどうしようもないぽっかりと空いた穴を少しずつ埋めていった。
 テスト最終日、ついに部活動解禁となる日も黄瀬は地図帳をめくっていた。周りの喧噪も頭に入らないくらい、この作業が好きなのだとここ数日で気が付いた。でも今日はさすがに東京神奈川から出ることはなかった。よほどバスケがしたいらしい、気付けばロードワークの道のりをなぞっていた。
 
 ピイイ、と笛の音が鳴り響く。笠松の休憩だという声に合わせてコートの中からどんどんと人が出ていく。黄瀬もそれに合わせて、体育館を出た。タオルを首にかけて、水道のある渡り廊下までゆっくりと歩く。体育館を出てすぐの水道はいつも部員で溢れかえっている。少し離れた、中庭の水道まで行くのが黄瀬の習慣だった。日陰に入り他の部活動の音も少し遠くに聞こえる中庭。園芸部でもあるのか、いつも綺麗に花が咲き、手入れされている。
 頭から水を被り、犬のように頭を振る。火照った身体がゆっくりと冷えていく。タオルで汗を拭いていると、花壇にかがんでいるような影が見えた。人がいるの、初めてみた。黄瀬はぼんやりそう思うとその人物を目で追っていた。立ち上がったのは女子生徒みたいで、上はジャージを着ているが下はスカートというちぐはぐな姿だった。スコップとジョウロを持っている。くるりと振り返ると、その女子生徒も驚いたようで黄瀬を見て目を丸くした。少し気まず気に、黄瀬の方へ歩いていく。そうだな、オレのところに水道があるもんな。
 知らない女子生徒はスコップとジョウロを置くと、手を洗った。潔癖症なのか、石鹸まで用意してあった。どうしてかその場にとどまって不躾に女子生徒を見る黄瀬は、ふと地図帳を思い出した。そうだな、花が綺麗に見えるところ。梅雨だし、鎌倉でもいい。それとも夏を待って向日葵を見に行くか。
「あの、あの花、キミが育てたっスか?」
 やっと口を開いた黄瀬に驚いたのか、ぴたりと女子生徒は身体を強張らせた。それから黄瀬のほうを振り向いた。黄瀬はこの女子生徒の顔を思い出そうとしたが、出てこないので同じクラスではないという結論を出す。
「えっと、はい。園芸部なので…」
「いつも綺麗に咲いてるっスね」
「あっ、ありがとう!…ございます」
 照れ臭そうに女子生徒は笑った。短く切りそろえられた爪が、彼女の努力の一部だろう。よく見る綺麗な色に彩られたものや形のよい爪とは違っていた。彼女が咲かせている花のように明るく笑う彼女につい黄瀬も笑顔になってしまった。
 彼女の笑った顔は、好きだな。
 纏っている、ふんわりとした、それでいてぬるま湯のように心地良い雰囲気も好きだ。多分こういうのを一目惚れというのだろう。漠然と恋をしてしまったと、黄瀬は他人事のように感じていた。先ほどのトラベルプランに、彼女を追加。鮮明に描かれる風景に黄瀬は満足した。
「黄瀬ー」
 遠くから自分を呼ぶ声がした。休憩が終わりに近付いているようで、誰かが探しているらしい。「じゃあ、オレはこれで」笑いかけると、彼女も笑い返して、小さく手を振ってくれた。
 

 心地よい疲労感に、黄瀬はベッドに横たわっていた。
 今日出会った名前も知らない彼女のことを思い出す。彼女は園芸部で、同じクラスではない。もしかしたら違う学年かもしれない。目を閉じて、彼女の笑った顔や雰囲気を瞼の裏に描いてみる。行けもしない旅行のプラン、プラス彼女。
 ああ、でも、共通の話題がないなあ。
 フェードアウトしていく意識と、少しずつ崩れていくトラベルプラン。このまま朝を迎えると何もかも消えてしまうのかもしれない。恋も、卓上旅行と一緒に忘れてしまうかもしれない。最後に、彼女を忘れないように、彼女の姿を瞼の裏に描いて、黄瀬は明かりも付けたまま、眠り、シーツの海に身を沈めていった
 
20120525 thanks "ハヌマーン"

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