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 雨の日はどこか寂しく感じる、と椿大介は薄暗い風景を切り取る窓を見つめながら思った。かたかた、しとした、びゅうびゅう、さまざまな音が外で犇めいている。
 
そんなに?

 肌寒くなったので何か羽織るものを、と昨日ハルが干した洗濯物の中から自分のトラックトップを探した。ハンガーでぶらんとぶら下がるそれに手が触れると、湿り気を感じた。まだ乾いていないのか、と大介は渋々クローゼットから新しい服を探すことにした。
 リビングに行くと今朝ハルが残した『今日は早く帰ります』というメモが寂しそうに机の上に残っていた。余程急いでいたのか、文字は荒く歪んでいた。
 大介はもう二十歳である。子どもではない。ハルと暮らして暫く経つし、二人の時間が中々合わないことも多かった。留守番を寂しがる年齢ではないことは、大介も自覚している。しかし、雨の日は別である。どうしようもなく寂しくなるのである。こんなことをチームメイトに言えばきっとからかわれることは目に見えて分かっていた。男であるという事実がこのことを更に情けなくさせた。なので誰にもこのことは話していない。
 三時。大介はしきりに時計を気にしていた。ハルに言われて初めて気付いた大介の癖である。何か嫌なこと、悲しいことがあるとしきりに時計を気にし、ちらちら見ているらしい。やっと三時か。大介はのろのろと動きだした。出かけることも億劫で、室内でできる簡単なトレーニングも終わり、することがないと動き出したのである。ハルと色違いのマグカップに牛乳を注いでいく。マグカップがさらに熱を失い、更に冷たく感じる。レンジに入れて数十秒。雨や風の音に機械音が参加した。ぐるぐると中で回るマグカップをじいっと目で追う。ぴぴぴ、ぴぴぴ。温めすぎたのか、マグカップは熱を持っていた。「あちっ」思わず声も出た。静かな部屋の中で、自分の声に違和感を感じた。そこで大介は今日初めて声を出したことに気付いた。大介が起床した時、既にハルは出かけた後だったのである。ゆっくりとマグカップを取り出し、部屋の中へと戻っていく。口を付けるとやはり熱く、猫舌の大介には飲めるものではなかった。テーブルの上に置いて冷ますことにした。
 三時半前。まだ三十分も経っていないことに大介はうんざりした。ざあざあ、がたがた、雨音が強くなって窓を叩く。大介の不安を増長させるかのように外はひどくなる。かち、かち、と時計の音が嫌にはっきりと聞こえる。
 そろそろいいか、とホットミルクを飲んだ。まだ少し熱いものの、飲めない温度ではない。ゆっくり飲んでいく。温かい温度が喉を通って落ちて行く。再び窓を見ても変化はなく、大介は時計に目を移したり、部屋の中をぐるっと見回したりした。何回か時計を見たあと、ふとハルが読んでいたのだろう雑誌がぞんざいに置いてあった。ゆっくりページをめくっていくと、よくわからない煌びやかな化粧品を特集したページのようだ。大介には縁がなく、よく分からない単語が散りばめられている。ぺら、ぺら、と進めて行くと見覚えのある化粧品が現れた。ハルが持ってたやつだ。最近買ったのだと、大介に見せたグロスである。ピンク色のそれはこのページのモデルも使っているらしく、モデル仕様色と書かれていた。ぷるんとした艶やかな唇が笑みを形どり、大介に微笑みかけている。そういやハルもこんな唇だったよなあ。すごい柔らかかった、と先日のことをぼんやりと思いだす。大介が思い出に浸っていると、現実に引き戻すかのように雨脚が激しくなった。

そんなに?

 はっと我に帰り時計を見ると四時を過ぎた頃だった。どれだけ浸っていたのか定かではないが、雑誌から名前を連想し、思い出と言うよりも妄想に浸っていたことは大介に罪悪感を与えた。俺は変態なのかもしれない。心の中で名前に謝罪した。
 すっかり冷めきってしまったホットミルク―――冷めてしまったのでもうその名前で呼ぶのは可笑しいのかもしれない―――を一気に飲み干す。すぐに洗い物を済ませ、時計を見やると四時三十分を少し過ぎた頃だった。早ければもうすぐハルが帰ってくるだろう。雑誌を片付け、部屋でハルを待つことにした。少し目を閉じると、あのグロスを塗ったハルが思い浮かびあがり、大介は再びハルに謝罪した。再び目を閉じればまたハルが出てきて、ハルが誘惑するのが悪いと、理不尽な理由を付けてハルに口づけて、一緒にベッドへ倒れ込んだ。

…………

「ただいま」
 六時。大介は飛び起きた。
「おかえり」
 ハルは少し水を滴らせるレジ袋をテーブルの上に置き、濡れた上着を脱いでハンガーにかけた。そのハルの姿じっと見ていた大介は、ゆっくりとハルの後ろへ近寄り、そっと抱きしめた。
「濡れてるよ」
 身を捩って大介から離れようとしたハルに、気にしないとでも言うように抱きしめる力を強くした。ハルも観念したのか、大介にされるがままに身を任せた。
「ハル冷たいね」
「大介は………ちょっと温かい。ご飯作るよ、今日はオムライス何だけどいい?」
 そう言って振り返ったハルの唇は、あのグロスで彩られていた。ごくりと生唾を飲み込んだ。中々返事をしない大介を不思議に思い、大介と向き合い、自分より背の高い大介を見上げた。だいすけ?その唇から自身の名前を呼ぶ声が漏れたとき、大介はハルに口づけた。大介は思った通り柔らかい、とじっくり堪能した後、口を離した。それから少し気まずく感じたのか、大介は顔を伏せた。突然のことで驚いたハルは少し息を切らせながら大介の顔を覗いた。真っ赤な頬で、子どものように拗ねたような表情の大介を見て、ハルはにっこりと微笑んだ。それから、大介の頬に手を重ね、もう片方の手は大介の手に重ね、繋ぐと、大介はハルの行動に少し驚いたのか、顔をあげた。
「寂しかった?」
 そうハルが聞くと、大介は更に顔を紅潮させた。熱を持った頬は、名前の冷たい手を温めた。ゆっくり大介が頷いたのを見ると、ハルは微笑んで大介を抱きしめた。

さびしいです。


20110503 title"ダボスへ"

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