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 最近ハルが気付いたことといえば、金髪のお兄さんが黒いお兄さんを追いかけ回していること。黒い人はにやにやと金髪の人をかわすときもあれば、結構必死な顔で逃げているときもあった。今日も鬼ごっこかあ、とハルは公園のブランコから眺めるのが日課になっていた。


「こんにちは」
 ぎぃこ、ぎぃこ、ハルが夕暮れの公園でブランコに揺られていると、胡散臭い笑顔と一緒に、黒い人が目の前にやってきた。ハルはいつも追い掛けられている人だ、今日は鬼ごっこしないのかな、とぼうっと黒い人を眺めていた。そういえば挨拶されたんだった、と間抜けなことを考えながらハルもこんにちはと返す。少年の少し短く切られた前髪の下、額というより、こめかみのあたり、ぶつけたのか掠ったのか血が出ていた。白い肌に赤い血、真っ黒な髪のコントラストに目を奪われる。
「お兄さん、血が出てるよ」
 少年の怪我部分をハルが指す。それから、同じ場所をハルの頭でも指す。少年は手を当てると、痛かったのか顔を歪めた。
「掠ったのか…」
 忌ま忌ましい、悔しそうな顔をする少年はぶつぶつと文句を独り言のように吐いた。ハルは背負っていたランドセルを前に持ってきて、中を探る。よく怪我をするハルに、とハルの兄がくれた簡易救急セットが入ったポーチ。絆創膏とか、消毒液とか、いろいろ入っていた。それを少年に差し出す。
「絆創膏とか、あるから。水道あるし、消毒したほうがいいよ」
「……ありがと」
 受け取るかどうするか迷ったのか、少年は素直に受け取らなかった。ハルからポーチを受け取ると水道へ歩いて行った。どうやったらああやって怪我するんだろう。なんでお兄さんは話し掛けてきたんだろう。ぎぃこ、ぎぃことブランコをこぐ。金属が擦れる音が静かな公園に響く。
 しばらくすると怪我のところに少し大きめな絆創膏を貼った少年が帰ってきた。またハルにお礼を言うと、ハルの隣のブランコに座る。明らかに身体のサイズに合わないブランコに、少年は少し窮屈そうだった。
「これ、ありがとう。準備いいんだね」
「お兄ちゃんがくれたの」
 へえ、そうなんだ。少年は相変わらず胡散臭い顔をしている。
「君、名前は?」
「ハル」
「ハルちゃんね。ハルちゃん、いつもここにいるよね」
 お兄さんはわたしに気付いていたのだ。
「お兄さんも、いつも金髪の人と鬼ごっこしてるよね。仲良しさんなの?」
 一瞬だった。ぴたりとお兄さんの動きが止まる。それから何事もなかったかのように、しかしひくりと歪んだ笑顔で否定した。
「あのお兄さんはね、俺が唯一嫌いな人間だよ。あと鬼ごっこじゃなくて殺し合いだよ」
「ころしあい」
 そう。少年はにっこりと笑うと地面を蹴る。ぎぃこ、ぎぃこ、ブランコは苦しそうな音を出して少年を揺らす。ハルもゆっくりとブランコを漕ぎ出す。
「ハルちゃんはいつもここにいるね?家に帰らないの?」
「なんとなく。でも、いつもは鐘が鳴ったら帰るよ。今日は特別遅いだけだよ。お兄さんこそ、帰らなくていいの?」
「俺はハルちゃんより大人だしいいんだよ。それに鬼ごっこも途中なんだ」
「鬼さんに、捕まらない?」
 少年は動きをまた止めて、わたしを見る。鋭い眼光が、赤い瞳が、ハルを捕らえた。
「俺はね。それより、ハルちゃん、もう六時過ぎてるし帰ったほうがいいよ。夜は危ないしね。途中まで送ってあげる」
 ぴょん、と軽快にブランコから降りた少年はハルの目の前に立つと手を差し出す。沈みかけた夕陽を背に、少年の表情はよく見えない。ハルはゆっくりと少年の手を取った。
「早く帰らないと、ハルちゃんが鬼に捕まるよ」



 閑静な住宅街。人気のない道路にのびる二つの影。繋いだ手と手、他愛のない会話を続ける。
「こんな遅くまで外で遊んじゃ駄目だよ。夕方になったなら早く家に帰らなきゃ、悪い妖怪に連れ去られちゃうよ」
「そうなの?」
「そうさ。現世と常世の境界が曖昧で魑魅魍魎が姿を現すのさ」
「むずかしいねえ」
「大人になればわかるさ」
「うん」
 ハルは曖昧に頷いた。それを見た少年は満足げに笑った。
「この世は色々なモノで溢れている。その中に非現実が顔を覗かせているのさ」
「お兄さんは、見たことあるの?」
 少年はきょとんとハルを見た。それからまた笑い、「見たいとは思うけどね」と答えた。それから真っすぐ前を見つめた。ハルも倣って前を見た。いつもの通学路が夕暮れに包まれ染まっている。
「ハルちゃんは、見たいと思う?」
 少年の突然の問いにハルは少年を見上げた。少年は真っすぐ前だけを見つめていた。
「…見たいと、思う。おもしろそうだもん」
 ハルの答えを聞いた少年はお揃いだねと楽しそうに笑い、繋いだ手を握り直した。



「おにいさん、もうここでいいよ」
 どちらからともなく自然に繋がれた手をゆっくり離す。四つ辻の中心で二人は止まった。少年はそう、と笑ってみせた。
「ハルちゃんがこのままずっと非日常に興味を持っていられるのなら、俺はこちら側に歓迎するよ」
「…お兄さんはむずかしいことばかりだね」
「そうかな」
「そうだよ」
「いつか分かる日が来るさ。そうそう、俺の名前は折原臨也。お兄さんじゃないからね」
 いざやさん。ハルは臨也の名前を復唱してみた。なんだか不思議な感じがする、と思っていると臨也が頭を撫でてきた。くすぐったい感触に目を閉じる。
「またね」
 臨也はひらひらとハルに手を振って見せた。ハルも同じように手を振る。臨也に背を向け、また歩き始めた。ひとつになった影を追いかけるように、ゆっくりと歩いていく。ハルは臨也の言ったことを完全に理解したわけではないが、そのことについてぐるぐると考えていた。ふと、自分以外の気配がした。住宅地なのだから誰か帰るのだろう、そうは思っても何か不思議な感じがした。後ろで誰かが手招いている気がする。いつも歩いているはずの道路が、まるで知らないどこかの気がしてならない。どくんどくんと心臓の音が聞こえてきそうだった。
「だれか、そこにいるの?」
 ―――いざやさん?
 名前は呼ばなかった。しかし、ハルの口は確かにそう動いた。
 今まで歩いてきた道は何も変化などなくて、ましてや人もいない。ハルは勘違いなのだ、と自分に言い聞かせる。そして嫌に脈打つ心臓を落ち着かせるように深呼吸をする。そして、誰もいないことを確認すると駆け足で帰路についた。

こっちにおいで

20100716 title"氷上"

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テーマ「人外ファンタジー」
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