反転メランコリー




正直に言おう。ボクはセックスが得意じゃない。
それはボクの体格のせいもあるし、相手の体格のせいもあるし、ボクが不器用なせいもあるし、ボクにそういった経験が少ないせいでもあるし、相手の経験が絶対豊富だろうからそのプレッシャーのせいでもあるし…。
とにかく、セックスが得意じゃない理由はこのヘルサレムズ・ロットが世界存続の危機を引き寄せる数ほどあった。まあおよそ星の数の百倍くらいかな。
そんなこんなでボクはすっかりセックスに嫌気が差してしまっている。

けれども相手のことを嫌いになっただとか、他の人を好きなったとかそんなことはない。出会った頃と同じく大好きなままで、それどころかなんだか日を追う事に「好き」が増えていっているようで、自分の心のことなのに上限のなさに戦々恐々とする日々だ。
抱きしめ合ったり、手を繋いだり、彼の無防備な笑みを見たり…。それだけでボクは幸せで満たされる。

実は、ボクは彼と出会うまで、恋人になるのはセックスというゴールのためだと思ってた。…けれどそれは違った。全然違う。今までの彼女達に感じていたのは恋愛感情ではなくてただの性欲だったのだと知った時の衝撃たるや。自分がまさかこんなプラトニックに恋人を愛することができる人間だとは思わなかった。

ちら、と愛しい人を見る。

出会いは職場なので当然彼はボクの目の前のデスクにいて、なにやらむつかしいことを色々としているらしい。ああ、今日もボクの恋人は最高に格好良い。



「…___くん、見過ぎじゃない?」

「えっ、ご、ごめん」

「や、オレはいいんだけど…。スティーブンさんさっきから手が止まってるから」



コソコソと内緒話のような音量の声に慌てて視線をレオくんに移すとそんなことを言われたので、やっぱりスティーブンさんをもう一度見る。確かにいつも軽やかにタッチタイピングする指先は定位置から動かない。ギルベルトさんが淹れたコーヒーカップにもそういえば触れていないような……。
え、ボクのせい?
なんて声を掛ければ良いのか、それとも迷惑なら部屋を出るべきか、と悩んでいると、レオくんのゲームを奪ってカチャカチャしていたザップさんが噴き出した。



「ブフゥーッ!ギャハハ!マジかよ番頭!カワイーとこあんすね!」

「…少年、これは考え事をするために意図的に手を止めてるんだ、意図的にね。」

「ア、ハイ、スイマセン」

「あとザップ、お前はこの仕事行ってこい」

「後で行きマース。今チョーいーとこなんで」

「そうか、なら仕方ない。エスメラル
「アーーッ!そう!ちょうど外の空気吸いてー気分だったんす!!オラッ行くぞ陰毛頭!!」 ちゃんと少年見とけよ」

「エッ!オレもでグエッ」



ザップさんはスティーブンさんが差し出した1枚の紙切れを奪い取り、レオくんの首根っこを引っ掴んで出ていった。慌ただしいなあ。ザップさんはこの目まぐるしいヘルサレムズロットに一番似合う男だと勝手に思っている。そんな彼に振り回されるレオくんの気道を心配しながら、開けっ放しの扉を閉めに立ち上がる。



「___、」

「っ、はい」

「こっちに来て」



あからさまに色気を滲ませた表情に、どぎまぎしてしまう。なんで、そんな顔を。

クラウスさんは温室に行ってしまっていて、ギルベルトさんはその付き添い。チェインさんは諜報活動中だし、他のみんなも外出中。つまりは、この部屋にはボクとスティーブンさんの二人きりということだ。何も別におかしなことじゃない。今までだって二人きりなんて数え切れないくらいあった。なのに、ぎしり、と身体がまるで金縛りにあったよう。



「と、びらが、開けっ放しで、」

「はは、うんそうだな、閉めてくれ。鍵も頼むよ」

「……鍵なんて、いつも掛けてないですよね?」

「そうだったか?」



白々しい。異界と入り乱れているこの混沌の地で扉の鍵なんて何の意味も持たない。特別な術式が掛かっていれば話は別だけれど…。
とりあえず扉を閉めようと足を踏み出したその時、



「うあっ!!!?」



ーーーいや、踏み出そうと足を持ち上げようとしたのに、ボクの足は地面にくっついて離れなかった。薄い氷が接着剤になっている。おかげでボクは体勢を崩して前のめりになった後、情けなくも後ろに倒れ込んだ。勿論、足はビクともしない。



「___は最近、僕から逃げだそうとすることが多くなったな? でもさっきみたいに熱心に見てくるし、キスもハグも嬉しそうだし、僕のことを嫌いになったなんてことはーーー」

「まさか!ヘルサレムズ・ロットが平和になるくらい有り得ません!」

「……うーん、それは僕らの仕事的に成し遂げたいことではあるんだけど。まあ、良しとしよう」

「す、みません…」

「いや?きみの素直なところ、好きだよ」



そっと後ろから抱きしめられる。いつもすかすかしている胸のあたりが、彼と触れ合うと温かく埋められるような心地がする。



「さて、ホテルに行こうか」



………。



「んえ!?ほっ、えええ!?」

「あはは、どうしたんだ一体。元気だなあ」

「いや、えっ?、あの、お仕事は…?」

「今日はお終い。ほら立って」



脇の下に手を入れられて立たされる。子供扱いにしょげながら、手を引かれるまま歩き出す。
氷はとっくに消えていた。



「扉は一緒に閉めようか。鍵は掛けれないけれど」



閉める直前、ザップさんが放り投げたレオくんのゲーム機が光ってるのが見えた。誰かがこの部屋に来るまで、電池はきっと、持たないだろうな。





▽▽▽





「ん……、___、もう…、な?」



何度も何度も色んな場所にキスをして、ぎゅうと抱きしめて、でも触れない。そんなボクにとうとうスティーブンさんが痺れを切らしたらしい。言葉少なに先を促す彼に、ボクはさっきまでの幸福な気持ちがどんどん萎えていくのを感じた。
ああ、ヤバい。今からまたセックスしなきゃいけないんだ。当たり前だと思う。恋人が色っぽくベッドの上で笑っていて、その唇に口付けたなら、そのリップ音は情交の始まりの合図と同義に決まってる。

……でも、億劫だ。とても。こんなこと思うのは申し訳ないけれど。
だってボクの身長はレオくんとほとんど変わらない。スティーブンさんを抱くには少々不便だ。ボクがそれを手腕で回避出来ればいいのだけど、手先も器用な方じゃないし、そんなテクニックなんて残念ながら持ち合わせていない。
事実、スティーブンさんは苦しそうなばかりで、毎回ボクが1回出して終わりだ。彼は我慢汁くらいは出てるみたいだけど、射精はしてないしあんまり勃起もしてないし…。
一度申し訳なくてボクが出した後彼のペニスを触ったら、触るな!と大激怒させてしまったことがあって軽くトラウマだ。正直気持ち良くさせれてる自信がまっっったく無い。
そもそも彼が受け手に回ってくれているのも、自分の方が頑丈だから、なんて怖い理由からだった。頑丈さが求められるセックスとかただの拷問ではと思うのだけど、どうだろう。スティーブンさんはその拷問を受けることこそがボクへの愛の証明だと思ってるんじゃないだろうか。
それならもう、セックスなんて。



「___?」

「あの、スティーブンさん、ボク…その…」

「ん…?どうした…?」



するり、彼の腕がボクの首に回る。まるでセックスを強請るようなそれにボクは彼の健気さに泣きそうだ。優しい声音。そう、いつもスティーブンさんはボクのことを気遣って、優先してくれて、甘やかしてくれる。優しすぎるんだ。こんなのおかしい。恋人なのに、スティーブンさんばかりが割を食うなんておかしい。ボクは彼の優しさを食い潰す化け物に成り下がりたくない。
もう、振られてもいい。言おう。



「っボク、下手でしょう…。だ、だから、こういうの、やめません、か……」



………。

沈黙。
ヘルサレムズ・ロットにあるまじき沈黙だ。
彼の顔が見れない。どんな表情をしてるだろう。解放されてほっとしたって顔かな。それとも優しさを無碍にされて怒ってるだろうか。嬉嬉として、じゃ!別れよう!なんて言われたら明日出社出来ないかもしれない。ああもうだめだ、いつか世界が終わるなら今がいい。


………………。

沈黙。
終わって欲しいときに終わるやさしい世界なんてなかった。
おそるおそる、意を決して彼の顔があるだろうあたりを見上げる。かくして、ボクの予想は全部外れた。



「………す、スティーブンさん…?」

「!、あ…、ああ、すまない。…ちょっと、理解が……。君が、下手って、その、やめたいって言ってるのは……セックスのことか?」



聡明で明晰な頭脳に反して、本当に理解が追いついていないらしいスティーブンさんに、言葉もなく頷く。彼の表情は、安心でも怒りでも喜びでもなく、ただただ不思議そうだった。



「嘘だろう…どうしてそう思ったんだい。ザップに何か吹き込まれたのか?」



心配そうな顔をしてるスティーブンさんは格好良すぎていつもなら照れるところなのだけど、こればかりは残酷じゃなかろうか。拷問か、とまで思ってからハッとする。
そうだ、今まで彼に拷問並みの苦痛を味合わせておいて、自分だけ許されるなんて、そんなこと。



「ザップさんは関係無くて……。その、スティーブンさん、いつも苦しそうで、ボクばっかり気持ち良くなって、ボク、スティーブンさんに甘えてて、……すみませんでした…」



頭を下げる。泣きそうだ。情けなさ過ぎる上に、こんな情けない姿を大好きな人に晒してしまうなんて。
もしスティーブンさんがボクと同じように、抱きしめ合ってキスをして、そんなプラトニックで満足してくれるのなら嬉しいけど、そうじゃないならボク達は、別れるしか、



「…………、」

「?スティーブンさん?今何か、」

「ッ、だから!、僕も、……き、もち、いいよ…」

「………ボク、貴方にいつも気を遣わせて…」

「そうじゃない、ああもう、どうしたら分かってくれるんだ…!」



スティーブンさんが頭を抱えている姿に希望がちらちらと姿を見せる。
まさかまさか、本当なのだろうか? あれだけ苦しそうなのに? いつも枕にかじりついて、肩で息をして唸っているのに? 本当は気持ち良かったの?

……だめだ。あの姿を思い出すと素直に希望は引っ込んだ。いや、というか、ボク達は男なのだ、気持ち良いのか良くないのか、そんなの火を見るより明らかだろう。



「…でも、スティーブンさん、ボクを受け入れると萎えちゃって、結局ボクしかイってないですし……」



ピシリ。

彼の動きが止まる。
ああ、やっぱり、そうだよね…。また悲しみのブラックホールに呑まれそうになる。

……あれ?待った。
その前に、なんかスティーブンさん顔が赤いような、



「………イってるよ…、出さなくてもイけるようにしたのは君だろ…!」



はああもう知らなかったのか、と大きな溜め息とともに大きな身体に抱き締められる。
ださなくてもいける、?
出さなくても、イって、気持ち良くなってくれてた?
つ、つまり、ドライオーガズムってやつだろうか?

かあっと身体が熱くなる。
だって、だって、そんな。スティーブンさんがまさかそんなことになってるなんて夢にも思わなかった。それより嫌がってると言われる方が納得するに決まってる。いや、いや、もうなんかそんなのどうでもいい。
どうしよう、セックスしたい。



「すっすみませ…っ」

「ん、もういいよ。僕も自分のことながら信じ難かったし、それより……こんな身体にした責任、取ってもらわないとな?」

「っ〜〜〜!!」



いくらでも喜んで!


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