恋人と二人っきりの部屋は夕暮れのせいでオレンジ色になった。平日の放課後である今、父親は勿論会社だし、母親は夕ご飯の買い物に出掛けた。弟はまだ部活中で、大会前だから八時過ぎまで帰ってこない。そう、つまり今家には俺と快斗の二人しかいない。 それが快斗も分かっているからか、さっきから忙しなく時計に目をやったり、座り直したり、気まずそうにジュースを飲んでいる。挙動不審だな。まあ原因は俺にあるんだけど。 「快斗」 「っな、なんだよ…」 恐る恐る、といったふうにチラリと俺を見る快斗は、さながら天敵に怯える小動物だ。可愛いというより可哀想に見える。何だか悪いことをしてる気分になるが、俺は快斗の恋人なんだから何も悪いことではない筈だ。 「快斗」 もう一度名前を呼ぶ。今度はなるべく優しく、甘く声を出した。……あ、しまった。快斗は唇を震わせて、今にも泣きそうな顔をしている。これは失敗したな。 「だからっ、なんなんだよ…っ」 その唇から発せられた声は、その唇と同じように震えていて、泣いているのかと思う程だった。俯いてしまったためよく見える旋毛をあやすように数回撫でて、そのまま手を輪郭に滑らせる。ビクリと快斗の肩が跳ねたのは見なかったことにして、頬に当てた手を使って顔を上げさせる。 「キスしてもいい?」 じわりと手から高くなった熱が伝わってくる。熱いなあ、快斗の顔真っ赤だ。たかがキスで、とまでは言わないけど、世の中には街中で平気でちゅっちゅしてるカップルもいるというのに、この差は一体何なんだろう。 八の字になった形のいい眉、薄く涙を滲ませた目尻、きゅっと引き結ばれた唇。赤い頬と相まって、泣き出しそうになるのを耐えているように見えた。…このまま無理矢理口付けたら本当に泣いてしまいそうだな。快斗には悪いけど、それはそれで少し見たい、なんて。 チッ…チッ…チッ…。秒針が滔々と時間を刻む音だけが聞こえる。何も答えない快斗に焦れったさを感じて、頬に触れている手の親指で目の下をそっと撫でる。ピクリと反応した快斗はゆっくり深呼吸すると、不安げに揺れていた目をぎゅっと閉じた。 …あ、いつもこのときの表情なんか見たことあるなと思ってたけどあれだ、予防接種受けるときの顔だ。高校生にもなって注射が怖いのかと揶揄ったことがあるのを思い出した。痛いもんは痛いんだよ!と拗ねる快斗を思い出してクスリと笑うと、快斗が怪訝そうに目を開けた。焦点が俺に合ったのを見届けてから、キスをした。だってその方が、俺とキスをしてるんだって意識するだろ? 「ッん……!」 ふに、と柔らかい感触が気持ち良い。快斗の唇好きだなあ。柔らかい、と思う。快斗以外としたことなんてないから比べようもないけど、比べたいとも思わない。だって快斗とのキスは柔らかくてふわふわして気持ちいい。きっとそれは、快斗としてるからだ。 もう一回したいな。ゆっくり口を離して、快斗が息を吸い込んだタイミングを見計らってまた顔を近づける。 「っな、やめ、___…っ!」 ぐい、と軽く押し返された肩に構わず快斗の唇に触れようとすると、べちりと口を快斗の手で押さえられてしまった。あー、今日も1回しかできなかったか。涙目のまま睨んでくる快斗に仕方なく引き下がる。まあ理由は知ってるし。 「そろそろ俺とのキスに慣れてよ」 「っ、俺だって慣れるもんなら慣れてーよバカ___!」 べしべし叩かれながら、いつになったらセックス出来んのかな、なんて下世話なことを考える。まあ、待つのも楽しいから良いんだけど。 初めてキスをしたとき、快斗はぼろぼろ泣き出してうずくまった。俺はファーストキスの感動もおざなりに、下手だったか?ごめんな?大丈夫か?なんて情けない言葉を掛けながら快斗の背中を摩ってやることしか出来なかった。今思うとバカバカしいな。泣きやんだ快斗は恥ずかしそうにこう言った。 ___とキスしてるって思ったら、心臓痛くて死にそうだったんだよ…っ! 「焦らなくてもずっと一緒だろうから、いくらでも待ってやるよ」 あの時のことを思い出して緩む顔もそのままに快斗を抱きしめる。まだ落ち着かないのか、それとも今の俺の言葉でか、髪から覗く快斗の耳は赤い。ぎゅ、と腕が背中に回った感覚にまただらしなく顔を緩めていると、ぽつり、快斗が俺の腕の中で呟いた。 「『だろう』じゃねーよ。ずっと一緒に決まってんだろ」 「……快斗、心臓痛い」 「は…、な、なんっ、うるせーよバカ___!」 痛いくらいに抱きしめられながら笑う。俺に黙って欲しいなら、早くその口で俺の口を塞げるようになってくれよ、快斗。 to list |