さよなら、と言うのは思ったよりも簡単で、僕は呆然とした。昨日あれほど苦しんだというのに、今は涙のひとつも出やしないのだ。無機質に、その他大勢と何ら変わりなく、彼に別れを告げた。 「おん。___も気張りや」 そう笑う彼の隣には、幼馴染だという少女が立っている。 「志摩くん、ちょっといいかな」 「はぁい、何でしょか___センセ」 優しい色合いの桃色の髪を見つめながら声を掛ける。いつもしている眼鏡も、この時だけは胸ポケットでおやすみだ。顔を、見たくないのである。本当は名字を呼ぶこともしたくないのだけれど、流石に下の名前で呼ぶわけにもいかない。桃色の頭をがしっと掴んで口を開く。 「この前の小テスト、やってしまったね?」 「いで、いだだだ、や、やっぱしですかぁ」 「分かってるなら勉強すること。また再来週小テストあるから、挽回するんだよ?」 「う、気張りますぅ」 ひんひん泣く彼を解放してやって、僕が作った小テスト対策のプリントを渡す。途端キラキラと目を輝かせる彼から顔を逸らす。 「さっすが___先生!優しいわあ〜!愛してますえ〜!」 「はいはい。で、君と同じく挽回が必要な奥村燐くんどこか知ってる?」 「ああ、さっき出ていきはってそのままですわ。何処かまではちょっと、」 「分かったありがとう。小テスト頑張れよ」 「はぁい」 踵を返しながら、奥村くんの分のプリントを持ち直す。知らないうちに力を入れていたらしく、シワが寄っている。弟くんならまだしも、奥村くんはどちらかというと無頓着だから、まあ大丈夫だろう。 彼は…、桃色の頭の彼でなく、その兄である彼は、近々幼馴染のあの人と結婚するらしい。同じ代の塾生みんなに送られているらしい結婚式の招待状は、その日の内に返事を出した。見たくなかった。何もなかったことにしたかった。結婚なんて、嘘だって、思いたくて。 それならいっそ欠席すれば良いのに、この期に及んでいい顔をしようと出席に丸をした。塾生で連絡をとって、サプライズも用意した。欠席でも良かったのだ。特殊な職業柄、欠席しても何も可笑しくない。それでも、彼に少しでも笑って欲しくて、不快な思いをさせたくなくて、それで、こんな、馬鹿みたいに苦しくて。 悪魔の囁く声がする。 それなら奪えば良いと。奇妙な笑い声と、汚く甘い言葉が耳にこびりつく。 それでも、理性的に、悪魔を祓える程度には、僕は彼を愛していないらしい。 それが分かるから、だからこそ、哀しい。僕の、一生分の恋は、自分の命を賭せる程のものでは、ないのだと。そんなの、負けるに決まってるじゃないか。あーあ、やっぱり欠席にすれば、良かったかなあ。 to list |