今日は私の誕生日。
年に一度の特別を日を、大好きなあの人の「おめでとう」の一言で飾って欲しいって。
そう思うのはわがままじゃ…ないですよね…?


いつもの私のアパートよりも格段に広くて、天井も高い。
調度品も豪華なこの部屋で、私はいつもよりも念入りに化粧をしていた。
大きな窓から燦々と差し込む朝日が、少しだけ上気した頬を明るく照らしている。
髪も丁寧にブローして、でもやりすぎないように、自然に仕上がるように気を付けて。


もうすぐやってくるあの人に、この特別な日に少しでも可愛い自分を見て欲しいから。


コンコンと、規則正しいノックの音が聞こえて来た時には、
すっかりと準備が出来ていた私だったけど、
いざ自分の耳がその音を拾うと途端にドキドキしてしまう。


「はーい」

上擦ってないよね?
今の声、いつも通りだったよね?

自問自答をしつつも返事を返した私の声に応えるように、静かに部屋の扉が開いた。
紅茶の香ばしい香りと共に部屋に現れたのは、私の大好きな…ジャンさんの姿。


「おはようございます、紗良様。モーニングティーをお持ちいたしました」

「お、はようございますジャンさん…」


いつもの笑顔と、いつものちょっとだけ低めの声。
それはこの城に来た時にいつも見ている風景なのに、何だか今日は違って見える。

自分の気持ちが、いつもとは違うからなのかも?

朝一番にジャンさんに会えた嬉しさを噛みしめつつ、
テーブルに無駄の無い動きで紅茶の用意をしてくれるジャンさんの手元を眺める。
その美しい所作も、ジャンさんの好きな所の一つ。
思わずじーっと見つめていたら、視線を感じたらしいジャンさんの声が頭上から降って来た。


「ずいぶんと熱い視線を注いでいらっしゃいますね、そんなに紅茶が飲みたかったですか?」

「あ…!す、すいません…つい…」

「いえ、紗良様にそんなに見られていると、緊張してしまいます」


困ったような口調だけど、ふと盗み見た表情は何だか照れているようにも見えて。
私の都合の良い思い込みかもだけれど、それだけで心がふわふわして来る。


「ではお待ちかねの、モーニングティーです」

「ありがとうございます…いい香り…」


少しずつ口に含んでこくりと飲む込めば、喉を下りて行く琥珀色の紅茶は、
相変わらずとっても美味しくて。
至福のため息をつきながら、ジャンさんに笑顔を向ける。
『美味しい』の言葉を込めて。


「本日はとても良い天気ですので、城の庭園を見て回ってみてはいかがですか?
ジョシュア様もしばらくはお忙しいみたいですし」

「そうですか…あの、ジャンさんは…?」

「私、ですか…?本日は特に外出しなければならない執務は無いのですが…」


そう言って一瞬言葉を区切り、次の言葉をどう言おうかと悩むような素振りを見せた。


「ジャンさん…?」

「あぁ…失礼しました。本日は一つ、大切な用事がございまして…」

「あ、そうですか…」

「…紗良様?」

「いえ、何でも無いです!」


不思議そうに首を傾げ、私を見つめるジャンさんに、慌てて笑顔で向き直る。


本当はちょっとだけ…ジャンさんと庭園をお散歩出来たらいいなって思った。
たった一言でいいから、ジャンさんに「おめでとう」って言って貰いたいって思った。

でもジャンさんは、今日が私の誕生日だって知らない。
私の希望を伝えたら、まるで『祝って欲しい!』って強請ってるみたい。
いつも忙しくて、そんな中で自分の我儘を言うなんて、何だか申し訳なくて。


(とても…言えないや…)


本当は今日と言う日を一人で過ごす筈だったアパートから、
ジョシュア様の要請を受けてドレスヴァンにやって来ただけでも。
ずっとずっと好きだったジャンさんの居るこの国で、
しかもこうやって顔を合わせて、美味しい紅茶を淹れてくれただけでも。

会話を交わせるだけでも、それだけでも幸運だって。

おめでとうが聞けないのはちょっとだけ残念だけど、
傍に感じられるだけでも、私は十分幸せなんだ。

そう思って、自分の気持ちに区切りをつけた。





執務が立て込んでくると下されるジョシュア様のおにぎり要請に応えた後、
ぽっかりと時間が空いてしまった私は、朝のジャンさんの言葉を思い出して、
ドレスヴァン城の庭園をのんびり散歩する事にした。

国王の居る城の庭園だけあって、
広さもさることながら綺麗に手入れをされた花々がとっても綺麗。
まるで定規で図ったような規則正しいその花の列だけが、
ここの王子様のカラーを物語っているようで、
ジョシュア様の厳しく、でも優しい人柄を想ってくすりと笑いが零れた。


それでも等間隔に並んだ庭園の道を進んでいると、
ふと迷路に迷い込んだかのような錯覚に陥ってしまう。
振り返れば見える城の白い城壁に、流石に迷子になるような事は無いけれども、
急に一人になったようで心細く不安になってしまう。

そんな私の耳に、ふいに自分の名前を呼ぶ声が聞こえて来た。


「…紗良さーー…」

「…ジャンさん?」


聞き間違えたりしないその声は、今朝も会話を交わしたジャンさんの、私を呼ぶ声。
名前を呼んでくれる大好きな人の呼びかけに、
さっきまで少しだけ感じていた心細さがどこかに消えて行く。
代わりに残ったのは、私を知っている人が居てくれる安心感。

何かあったのかと思いつつも、今のこの状況で私を呼んでくれる事に頬を緩ませつつ、
踵を返して元来た道を戻る。


「紗良様、いらっしゃいますかー?」

「ジャンさん!!」

「お、っと…!」

「きゃ…!」


だんだん大きく聞こえてきた声に応えるよう、速足のままで通路を曲がると、
思ったよりも近くに見えたジャンさんの姿。
寸での所で急ブレーキを掛けた私とジャンさんは、ぶつかる事は辛うじて避けられたけれども、
その距離は今までで一番近く…お互いの息遣いが頬に掛かりそうな位に近づいてしまった。


「あ…すいません…!」

「いえ、こちらこそ…!」


思いがけない距離の接近に、2人してしばし固まってしまって、
次の瞬間には2人して同じように距離を取ろうと仰け反った。

体を離しても尚、私の周りを包むジャンさんのいつもよりも濃く立ち上る香りに、
一気にかぁ…っと顔が赤くなるのが自分でも分かる。

どうにか誤魔化せないかと下を向きつつも、さっきまで私を呼んでいたジャンさんの声を思い出した。


「あ、の…どうされました?ジョシュア様から何か…?」

「あ、いえ…そうではなくて…執務がひと段落つきましたので、紗良様にお茶でもと思いまして…」


貴重な時間の合間を縫ってまで、私に心を砕いてくれるジャンさんのその言葉。
嬉しくって赤い頬のままで上目でジャンさんを見てみれば、
目に映ったジャンさんもうっすらと頬が赤くなっている。




外は寒いので。
そう言われて温室に用意されたテーブルセットに案内されながらも、
初めて見たジャンさんの表情に胸がドキドキして止まらなかった。


連れてこられた温室の中には、元々備え付けられていたのだろう、
ゆったりと寛げる大きさの椅子とテーブルがあった。
てっきり先に用意されていると思ったティーセットが無い事に不思議に思っていると、
しばらくここで待つよう言ったジャンさん。


「にしても…ジャンさん、どこ行っちゃったんだろう…」


温室を出て行ったジャンさんの背中を見送ってから、一人ぽつんと座っていると、
さっきまでのジャンさんの姿が頭をぐるぐると回り出す。


(あれはびっくりしたから、だよね…?それとも寒かったからかも…)


恋をしてしまうと、自分に都合の良いように物事を見てしまいがちだから。
自分の気持ちと少しでも通じるものがあればいいなと、思ってしまいそうで。

ふるふると頭を振って思考を追いやっていると、
聞きなれた靴音が温室にやって来るのに気付いた。


「お待たせしました」


そう言って温室に入って来たジャンさんの手元には、ティーセットが乗った銀のトレー。
でもいつもと違うのは、一緒に乗っているつり鐘状のクロッシュの存在。


「あの、それは…?」


てっきり紅茶だけかと思った私が問い掛けると、
言葉では無くにっこりとほほ笑んだ表情だけでジャンさんは答える。

朝と同じように素早くテーブルに紅茶の準備を整えたジャンさんは、
おもむろに腕時計に視線を落とした。

つられて私の自分の腕につけていた時計を見ると、ちょうど長針が12の文字を差そうとしている。
頭に疑問符ばかりが浮かぶ私を少しだけ面白そうに見ていたジャンさんが、
時計の針の動きを確認してから、恭しく銀のトレーを目の前に差し出した。


「紗良様…よろしければこちらを」

「何ですか…?」

「蓋を取って頂けますか?」


やっぱりよくわからないまま、ジャンさんの言葉に促されててっぺんの持ち手を取ってそろそろと外すと…。


「これって…」

「お誕生日おめでとうございます、紗良様」


にっこりと笑ったジャンさんの声。
それを聞きながらも、私の視線は目の前に現れた白いケーキに釘付けになった。

そこには、大きくはないけれど、手が込んで、一目で手作りだと分かる可愛いケーキが乗っていた。
生クリームのデコレーションの上には、
器用にもチョコで書かれた「HAPPY BIRTHDAY」の文字。


大好きな生クリームたっぷりの、苺のショートケーキ。
いつだったか、ホール丸ごと食べてみたいってジャンさんに言った事をふいに思い出す。



「ハッピーバースディって…え、何で、え?え??」

「本日は紗良様のお誕生日という事で、僭越ながら私が作らせて頂きました」


いきなりの出来事に、完全に訳が分からなくなってしまった私を見て、
ジャンさんが楽しそうにくすくす笑いながらも、ケーキをテーブルに置いてくれた。


「種明かしをしますと…紗良様がドレスヴァンを出国する為に大量に書かれた書類…」

「あ!そう言えば誕生日を書く欄がありました!」

「えぇ…それをしっかり覚えておりましたので…」


合点が言った私は思わず大きな声を出してしまったが、
そんな振る舞いも気にする事無く、ジャンさんは更に言葉を続ける。


「今朝、紗良様のお部屋に伺った際にお話ししても良かったのですが…」


そこでまた腕時計に視線を落としたジャンさんが、そのまま視線を私に投げかけてくる。


「紗良様の生まれた国の時間に合わせて、おめでとうを伝えたかったので」

「あ…時差…?」


そのジャンさんの言葉で、先ほどまでのジャンさんの行動にようやく合点がいった。
距離だけでなく時間の違いもある、私の国とジャンさんの居るドレスヴァン。
遅れて時を刻んでいる私の国の時間を考えて、こうやってケーキを用意してくれるなんて…。


「もしかして、朝言っていた大切な用事って…」

「はい、このケーキを作る事でして…」


そう言って眉根を下げて笑うジャンさんの頬は、
さっき庭園で見た時と同じようにほんのり色づいていて。


「ジャンさん…ありがと、ございます…」

「いえ…紗良様に喜んで頂けるのであれば、こんなに光栄な事はございません」


サプライズのプレゼント、そしてジャンさんの言葉。
何より、私の為に時間を割いて準備してくれていたその心遣いに。
幸せで嬉しくて。



「正直に申しますと…今日のこの日にジョシュア様が紗良様を城に呼ぶと分かった時から…
どうにもソワソワしてしまいまして…」


大切な誕生日、もしかしたら予定があったのではないか。
断りきれずに城に来てしまったのかもしれない。
そう心配したけれども、昨日私に笑顔を向けてくれた紗良様の表情を見て、
少しだけでもお祝いをさせて頂けたらと。


恥ずかしそうにはにかみながら言うジャンさんの。
執事としてじゃない、素の彼の表情に触れられた気がして胸がいっぱいになってしまう。


「本当はもっときちんとしたプレゼントをご用意したかったのですが…」

「いいえ…!こんな素敵な…ジャンさんが私の為に作って下さったケーキなんて…嬉しい…」

「紗良様…」

「本当に…本当にありがとうございます、ジャンさん…」


胸いっぱいにあふれてくる感情を噛みしめるように言えば、
ジャンさんが安心したかのように息を吐き出した。


「こちらこそ…こんなに喜んで頂けて…ありがとうございます、紗良様」


目線を合わせるよう、椅子に座る私の足元に膝まづいて微笑むジャンさんの、深くて青い瞳。
その奥底に、小さいけれど私と同じ感情を見たような気がして―。



ジャンさんが用意してくれた紅茶と共に食べた、
私の為に作ってくれたそのバースディケーキは。

まるで私達2人の気持ちを練りこんだかのように甘くて…ほんの少しだけ爽やかだった。




紗良ちゃんへ♪



→管理人より♪


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