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 不意に浮かぶのは、初めて個として彼を見たあの日の事。シュウは彼を軍主としながらも、その心の中では子供など如何様にも御せるという侮りがあった。だが、今思えばそれすらリオウは薄々感じていたのではないかと思う。

 シュウが軍師として最初の采配をした日の夜、自室へと戻ろうと通りかかった庭先に、リオウはいた。煌々と輝く月を見上げ、降り注ぐ銀色の光に惜しげもなくその身を晒しながら透明な雰囲気を纏わせて佇む姿に、どうしてか不安が頭を擡げたのだ。
 わざと音を立てて縁側へと足を踏み出せば、僅かに肩が揺れゆっくりとこちらへと振り返った。そこにいるのはただの子供、一瞬前の気配など微塵も感じさせない様子で人好きのする笑顔を浮かべている。

「こんな時間にどうしたのですか?お疲れでしょうから、早めにお休みください。明日から忙しくなります」

 隠してしまったそれを追及するのは簡単だったが、旗頭として担ぎ上げる事はしても別段その心情まで踏み込む気は無かったシュウは、隠したならばそれまだと素っ気なく就寝を促す。そんなシュウの態度に、だがリオウは特に何の反応も見せなかった。

「すいません、こんな夜中に迷惑かとも思ったんですが、どうしても聞きたい事があって待たせてもらいました」
「聞きたい事ですか?」

 ならばさっさと話せと言外に告げれば、それを察したのか否かリオウは曖昧に小首を傾げて見せ、浮かべていた笑顔を消した。

「何故、僕なんですか?」

 あなたほどの才があれば、何も僕でなくとも良いでしょうに。どこにでもいるような少年は、ただの少年らしからぬ空気を纏い、まるで他人事のように問いかけた。昼間のどこか頼りない雰囲気を払拭する真っ直ぐな眼差し。シュウは知らず息を呑んだ。
 少年を見た目通りの子供と侮っていた自分に気付き、シュウは内心顔を顰める。己の思惑を綺麗に隠し、耳触りの良い言葉を連ねておけば誤魔化せるような子供ではない、それを知った瞬間だった。だがそれでも、シュウは表情を変えない。生きた時間と知識、そして経験の多さはこちらの方が圧倒的に上だと知っているからこそ、こんな年端もいかぬ子供に屈するのは我慢ならなかったのだ。その時点で、既に負けているとは露程も思わずに。

「では、何故貴方はこの話を受けたのですか?」

 わざと問いに問いを重ねる。そう簡単に腹の内を見せるつもりはない。
 すると案の定リオウは僅かに目を見開いた後、困ったように眉根を下げる。その様子に、ああやはり子供だと脳が勝手に冷えていく。そして、そんな精一杯の虚勢も見抜けなかった自分もまだまだ未熟であると。だが、

「正直、僕はどうでもいいんです」

 余りにもあっさりとした一言に、シュウは今度こそ呆気にとられた。だが、直ぐにふつふつと怒りが湧いてくる。この子供は一体何を言い出すのか。戦をする事が、命を奪い奪われる事がそんなに軽いとでも言うのかと。

「僕が大切なのは国なんかじゃない。ジョウイとナナミとピリカ、それだけだから」

 シュウから向けられる怒気に苦笑を返しながら、リオウは言い切った。その瞳に、揺るぎない光を宿して。その強さに気圧されたのは一瞬、シュウは被っていた仮面を捨て、目を眇めた。

「…お前が何を思っていようが、一度頷いたものを簡単に覆せると思うな。今更拒否したところで全ては動き出している。そうだな、どうしても嫌だというのならその器だけあればいい。お前が何を思っていようと関係ない。頭として据えられていればいい」

 年端もいかぬ子供に対して、余りにも情のない物言い。だが、子供の我が儘にいちいち振り回されてやる道理などこちらには無い。だからこそ、拒絶を封じ、ただの傀儡であれと宣告する。形だけの軍主の後ろで糸を引くのもそれなりに遣り甲斐がありそうだ、そんな事を考えながら。
 しかし、直ぐにそれは全くの勘違いだと知る。何故なら優しさの欠片もないその言葉を受けて、リオウがふわりと笑ったのだ。

「やっと本当の貴方を見られました」
「っ!?」

 はめられたのだと気付き、シュウは驚愕に目を見開き絶句した。どうして気付かなかったのか、初めからリオウの狙いはこれだったのだ。

「僕にとって大事なものがあの三人なのは本当の事です。でも、だからこそ彼等が嘆く世界は許せない、そうも思っています。シュウさん、あなたの問いに答えるのならば僕は僕の目指す平穏の為、この話を受けました」

 晴れ晴れとした笑顔を浮かべたリオウは、これから宜しくお願いします。と一言、シュウの言葉を待つでもなく、あっさりと踵を返し立ち去った。リオウの姿が闇に溶け、砂利を踏む音が聞こえなくなっても、シュウはその場から動けなかった。



 くっ、とシュウの口から笑みが漏れる。孤児として幼い頃から世間の冷たい目に晒されて生きて来たリオウには、見破られても仕方が無かったのかも知れないと今なら思えるが、あの時の自分はそうでは無かった。子供にまんまと言い包められた事が悔しくて、だからこそこれ以上呑まれてなるものかと躍起になった。どうにかして見返してやろうと思ったのも今では懐かしくすらある。それだけ己が成長したのか、それともリオウを認めたのか。後者であるのは分かり切った事だったが、だからこそ拭えない罪悪感というものもある。
 リオウはそんなシュウの侮りを知りながら、それでもいつだって真っ直ぐに。よく言えば大人びた、悪く言えば非常に子供らしさのない少年だった。
 そして、リオウをそんな風にしてしまったのは他ならぬ自分。彼から故郷と、そしてナナミというたった一人の姉を奪った。

『リオウはきっとあたしがいたら迷うから』

 か細い息の下、涙と共に零した声がいつまでも頭の中に残っている。瀕死の重傷を負いながら、彼女はいつだってリオウを想っていた。そして、そんな二人の絆を引き裂いたのも自分。その影でどれ程の孤独な日々を過ごす事になるのを知りながら。
 だが、それももうすぐ終わるのだ。リオウの行く手を阻む障害を、自分も含め完全に取り除く。それがリオウに出来る唯一の贖罪だと思っている。

 願わくは、彼が今後の人生を憂いなく過ごせるように。