だが断る!



「テッド?」

 自分を呼ぶ声に意識を引き戻され、視線を向ければ不安げにこちらを見るティルの視線とぶつかった。どうやら自分の思考に沈んでいて、ティルの事を放ってしまっていたらしい。ティルの表情に彼が何を考えているかが手に取るように分かり、テッドは照れ臭そうに笑う。親友殿は随分と正直だ。
 テッドは身体ごとティルへと向き直ると、小首を傾げるティルに向けて満面の笑みを浮かべた。

「俺はお前に沢山の隠し事をしてる。それでお前が不安になってるのは知ってるけど、俺が此処に居たいって思ってるのは紛れもない事実だぞ」
「っ!?」

 己の心境を言い当てられたからか、ティルは息を呑んで素早く顔を伏せた。テッドからは前髪に遮られて見えなかったが、その頬が赤くなっているだろう事は想像に難くない。テッドはティルのそんな素直さに口元を益々引き上げて、ティルの頭に手を置いた。その手は紛れもなく右手だった。

「俺がいなくならないって知って安心したか?」

 ほんっと可愛い奴だよな、と笑うテッド。無遠慮に頭を撫でられるティルが抵抗しない事を照れと判断している彼は気付かない、ティルがやけに静かなの事に。

「…テッド?」
「ん?何だ…って、げっ」

 何気なく視線を落とせば、おどろおどろしい空気を纏うティルの姿に、思わず手を離して後ずさる。だが元々窓を背にしていた事もあり、引いた身体は直ぐに壁にぶつかってしまった。

「さっき…何て言った?」

 ティルは音も無く立ち上がると、視線を合わせる事なく口を開く。その手にはいつの間にか愛用の棍が握られていて。

「え?あーっと、安心したか?って…」
「その後、だよ」

 後?テッドはよくよく自分の発言を思い返して、甦ってきた一言に固まった。
 少女めいた、と称される程整った顔立ちのティル。だが中身は流石あの帝国五将軍、テオ・マクドールの息子とでも言おうか。その性質はまごう事なき益荒男であった。
だからだろうか、容姿に関する事には酷く敏感で。手弱女などと言おうものなら実力行使も辞さない構えだった。ティルにとって「可愛い」は女子供に言う言葉。つまり、男たるティルにそれは禁句だった。そしてそれを堂々と言ってのけたテッドに対して、どういう行動に出るかは火を見るより明らかというもので。

「ちょっ、まあ落ち着け?な、一生のお願いだからさ?」

 テッドは何とかティルを宥めようと両の手の平を顔の前で合わせ、秘儀『一生のお願い』を発動する。それは大抵の場合、相手の感情を宥めるのに結構な威力を発揮するのだ。主に脱力という意味で。

「一生…ねえ」
「そ、そう。な、お願いだからさ!」
「それ、一回位本当にしてみない?」
「は?」

意味が分からず間抜けない顔で呆けるテッドに、ティルはそれはもう晴れやかな笑みを浮かべた。

「ここでぽっくり逝ったら叶えてあげるよ、その『一生のお願い』ってやつ」

 それじゃあ遅いだろう!という突っ込みは、今のティルには通じない。それは短くもない付き合いの中で痛い程理解していた。だから、

「冗談!まだ死んでたまるかっての!!」

 三十六計逃げるにしかず。テッドは弾かれたように立ち上がり駆けだす。無駄と知りつつ扉を閉め、少しでもティルの足を遅くしようとする。それもまた今までの長い時間で学んだ(いらない)知恵だった。


 何故だろう、時代も場所も違う。しかも血縁ですらない彼等が酷く似通っているように感じられる。それは曲がりなりにも宿星だったが故の直感というものだったのだろうか。だが、残念ながら今のテッドにそこまで思考を傾ける余裕は皆無だった。
 確実に迫る後ろの気配に、心の中で寧ろお前の方が死神だと叫びながら、テッドはひたすら走り続けた。

「だから俺を体力馬鹿と一緒にするなって言ってるだろうが!」
「別に僕は逃げてくれなんて頼んで無い!」

 追いかけて来る声に、だが素直に立ち止まる事など出来ない。何故なら立ち止まった時が最後だと思っているし、確実にそれは事実だから。
 結局、マクドール家を飛び出しても尚続く彼等の追いかけっこは、グレッグミンスターを囲む塀に突き刺さったティルの棍によって収束する事となる。
 テッドの土下座を見下ろすティルの姿に、若かりし頃のテオの姿を見た……かどうかはまた別の話だった。

 グレッグミンスターは、今日も今日とて平和であった。