だが断る!



「のどかだなあ…」

 午後の日差しは程良い温もりが何とも心地良く、窓枠に肘を付いて手の平に顎を乗せながらぼんやりと外を見ていれば、どこかのんびりとした様子に何とも心が和む。
 いっそこのまま昼寝と洒落込んでしまおうか。これから出掛ける予定だったが、この眠気を追い払ってしまうのも勿体無い。どうせ明日もこんな天気なのだし、今日くらいのんびりしても良いじゃないか。
 自分の中でそう結論を出して、誘われるままに意識を委ねようと目を閉じる。が、

「なあテッド」
「んー?」

 夢現に返事を返しながら、同じ部屋の中にいた親友の存在を思い出す。だが脳は半分眠りに落ちていて、別に今更気を使う関係ではないと眠りを欲する脳は勝手にそう判断する。

「お前、もしかしてまた旅に出たくなったんじゃないか?」

 意外な一言に、意識が急速に引き戻された。目を瞬かせながら振り向けば、真剣な眼差しとぶつかる。その瞳には核心めいた色が浮かんでいた。

「何でいきなりそんな事」
「だって、父上に会うまでずっと旅してたんだろ?一つの所に留まった事無いって言ってたじゃないか」
「そりゃそうだけど…」
「それに、最近良く窓の外見てボーっとしてる。俺が話しかけても上の空で。そろそろ他の土地の空気が恋しくなったのかと思って」

 ふっと目を逸らすティル。上手く隠しているように見えたが、その表情は寂しいと言っていた。
 だからテッドは窓に凭れ掛かっていた身を起こすと、ティルの方に身を乗り出し頭へと手を伸ばす。そしてバンダナを着けていないのを良い事に、その髪を遠慮なく掻き回した。

「ちょっ何するんだ!」
「安心しろ」
「え?」
「俺はどこにも行かない。お前が俺をいらないって言うまでは」
「そんな事」

 思うはずが無い。そう続けようとした言葉は、テッドの「分かってる」と言わんばかりの笑みに、最後まで言葉にならなかった。

「だからさ、当分厄介になると思うからヨロシク」

 快活に笑うテッド。その表情にほっと息をついたものの、疑問はまだ残っていた。

「じゃあ、何でそんな顔してるんだよ」

 テッドの手を乱暴に振り払いながら言えば。何のことだと言わんばかりの呆けた顔。

「だから、最近しょっちゅうボーっとしてる理由だよ!」

 何度も言わせるなと声を荒げるティルに対し、テッドは小首を傾げ、やがて何の事か思い至ったのか、照れくさそうに頬をかいた。

「あーっと、それはだな。えーっと…」
「なにニヤニヤしてんだよ気持ち悪い。まさか、変な妄想でもしてたのか?」
「んなわけあるか!」
「じゃあ何だよ」

 誤魔化しは許さない。そう、目が語っていた。誤魔化すとかそう言うんじゃないんだけどなー、と苦笑いを浮かべるテッドに、ティルは無言で顎をしゃくる。

「だから、その、何だ。ちょっと古い知り合いのこと思い出してさ」
「知り合い?」
「ああ、俺が何もかんも放り出そうとしてた時に、ちゃんと前を見ろって言ってくれた奴がいたんだ」

 テッドの表情が途端柔らかいものになる。その相手を思い出しているのだろう。ティルはそこでピンと来た。

「へー、テッドにもそんな甘酸っぱい思い出がねぇ。道理で誰にも靡かない筈だよなあ」
「ば、そんなんじゃねえよ!」

 ニヤニヤと笑みを浮かべるティルに、慌てるテッド。いくら違うと言ってもティルはもう確信したというように頷くのみで。
 からかう気満々のティルを前に、テッドはさてどうしたものかと頭を掻いた。確かに少女めいた顔立ちはしていたが、決してかの人物を女性扱いなど出来よう筈も無く。そんな事をしたら双剣を閃かせるのは目に見えている。はっきり言おう、あの体力馬鹿と渡り合える程の体力は持ち合わせていない、と。そして、あの船にいた連中は揃いも揃って良くいえば個性的、悪く言えば灰汁の強い連中だったなと、懐かしい過去に思いを馳せた。
 だが確実に、自分はあの中で人間として必要なものを取り戻すきっかけを得られたのだと思う。

「テッドの顔見れば分かるって」
「年上をからかうもんじゃないぜ」
「年上ったって大してかわらないだろ?」

 ティルの一言に、一瞬表情を変えるテッド。だがすぐに、取り繕ったように笑う。
 ティルは勿論あからさまなそれに気付かぬ筈がないのだが、このような表情をするテッドを幾度と目にしていたので、この話題についてこれ以上詮索するのをやめた。そこは踏み込んで良い領域を越えていると知っているからだ。

「で?」
「で、って?」

 そして、ティルにとって目下気になる話題は唯一つ。

「どんな娘?」
「だ〜か〜ら〜」
「だってさ、興味あるじゃん。テッドにそんな顔させる相手がどんなかって」

 言葉とは裏腹に真剣な表情のティル。正直テッドの事なんか何一つ知らないと言っても過言ではないのだ。テッドは色々な知識を持っていて、それを披露される度凄いと思うのだが、その知識をいつどこで身につけたのかは教えられた例がない。だから、踏み込んでもいいと判断できたこの話題について、ティルはとことん追求してみることにしたのだ。
テッドはティルのその眼差しに込められた気持ちを感じ取ったのか、僅かな逡巡の後、諦めたように溜息をついた。

「別に、たいして面白い話じゃないぞ」

 そんな前置きに、それでも良いと勢い込むティル。テッドは思わず苦笑を漏らした。

「あれは、まだ人の気持ちなんか考えようともしない、ガキだった頃―――」

 懐かしむように青空に視線を転じるテッド。ティルは、何となく姿勢を正してテッドの声に耳を傾けた。
 自分に託された物の重要性を理解しながら、一人抱えていける程強くもなくて。

「あん時はほんっと馬鹿みたいにいきがっててな〜。今考えると頭抱えたくなる位にさ」
「今だってそうじゃないのか?」

 茶々を入れるティルに、だが怒るでもなく笑っておく。そんな風に流せるようになったのも今までの日々が無駄ではなかった証拠なのかも知れないと、そんな風に思いながら。

「まあ、単に捻くれたガキだったって事かな?んで、その捻くれたガキは極端な行動に出たわけさ。物を盗ったり、人を傷つけたり。ま、人殺しだけはしなかったからそれ位の理性はあったのかもな。でもそんな事をしたって気が晴れるわけもなくて。んで気が晴れない事で、俺の行動はエスカレートしちまった」

 今思えば、死という解放に走ろうとしなかったのが不思議な位だった。生きる事を止めなかった事だけは褒めても良いかも知れない。
 だが、そんな自分を受け入れようとしてくれた人はいて。反発しながらもその優しさに甘え、小さな村で新たな生活をしようとしたその矢先、村が野党に襲われた。

「馬鹿だよな、こんな縁もゆかりも無いガキまで守ろうとしてさ、結局みんな死んじまった」

 目の前で繰り広げられた惨劇。そしてその事が、紋章の暴走を引き起こしたのだった。テッドはあの時初めて自分が何を抱えているのか、その一端を知りその力に恐怖した。
 テッドは手袋に包まれた右手をそっと押さえる。この布の下には世界の真理、その一柱が在る。生と死を司る紋章『ソウルイーター』強大過ぎるこの力は、人の手には余る代物だ。大きすぎる力は、持つ者の身を滅ぼすだろう。そして、力を持つ者に悪意があれば滅びは加速する。その者自身も、そして世界そのものも。だからこそ、これは誰にも渡す事は出来ないし、その存在を知られる訳にもいかないのだ。
これに関しては、例え気の置けないティルにも言う事は出来ない。だがそれはティルを信用していないから、ではなく。彼を、そしてこんな得体の知れない自分を受け入れてくれたこの家の者達を巻き込みたくないから。長居するべきではないと思いながら、それでも余りの心地良さにもう少しと離れる時を先延ばしにしている自分に出来る唯一の事だと思うから。
 だが、昔はそんな事を思いもしなくて。ただただこの力を持っていたくなくて。挙句、力が無い事を言い訳にして全てを捨てた、弱い自分。

 今思えば、あの惨劇もこの紋章が引き起こした事だったかも知れないのに、大勢の人を犠牲にしながらそれを償おうともせず目を閉じ、耳を塞いだ。そして導者の思惑など考える事も無く、ただ楽になりたくてあの船に乗った。それが逃げだったと今ならはっきり分かる。だがあの時の自分はただあの運命から解放されたかったのだと思う。
 そうして現実を直視する事から目を背け続け、ただ時が過ぎて行くだけの空虚な生き方。
 だが、そんな自分にもう一度現実を見ろと諭してくれた、彼等。正確にはそんな意図は無かったのだろうが、それでも再び自らの足で立とうと決意できたのは彼等のお陰だとはっきり言える。

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