漢?達の輪舞






 普段様々な議論を交わす場として設けられている事もあり、その室内は多くの人を難なく収容できる広さを持っていた。壁に掛けられた団旗は旗頭である団長が纏う色と同じ、目の醒めるような青。その意匠は複雑な文様を組み合わせたものであり、天かける竜のようにも、天から穿たれる閃光のようにも見えるもので。そして、中央に設えられた重厚な造りの円卓を囲むように、椅子が整然と並べられていた。
 本来なら両手では足りない程の人々がひしめき合うこの場所。だが今この場に響いているのは、二人分の声のみであった。
 だが二人ともかなりの声量の持ち主で、いつもの会議よりも余程煩く感じられた。
 白熱する議論、飛び交う意見の応酬は激しく。両者とも一歩も引く気はないのがひしひしと感じられた。
 時折何かの拍子に静かになったかと思えば、両者ともに口を噤んでの睨み合いが始まる。それはある意味言葉を介するよりも激しいもので。だがすぐにその口から堰を切ったように溢れ出した言葉の数々に、議論は紛糾するのだった。互いに舌鋒つくして相手を論破しようとするのだが、その力は拮抗しているのか、今のところこの場が静かになる気配は皆無と言ってもいい。
 だが不思議な事に、二人の間にお互いに対する嫌悪や憎悪と言った類の悪意は全く感じられず。ともすれば互いを立てようとする場面も暫し見られて。それは、どんなに激しく言い合いをしていても二人の間にはきちんとした仲間意識があり、相手を傷付ける意思は全くなかったのだ。その証拠に、この議論の根本にあるのは戦の折はいかに協力して被害を最小限に食い止めるか、ただそれだけで。
 だが、だからと言ってこの言い合いが早々に終結するかと思えばそう簡単にはいかないようで。時を増すごとに、激しさを増す一方であった。

「君も分からん奴だな。わしにはどう考えてもその意見が正しいとは思えん」
「あんたこそ何言ってるんだ?効率の面から言ったって、この方がいいに決まってるだろうが!」
「それが正しいという根拠が分からんと言っているではないか!」

 二人分の力のこもった一撃を受け、丈夫な筈の円卓が悲鳴を上げる。その衝撃は室内を振動させるほどのものだった。互いの目の前に置かれていた器が跳ね、音を立てて転がり。満たされていた液体が流れ出し卓上を濡らす。だが、互いしか見えていない彼等がそれに気付く筈もなく。僅かに上がっていた湯気はたちどころに冷え、器は本来の役目を放棄させられたまま哀れな姿を晒していた。
 その時、不意に伸びてきた手が不承不承といった体で器を取り上げ、零れた液体を乾いた布で拭き取っていく。その段になって漸く、この場に実は二人でなく三人いたのだと気付かされる程気配の希薄な男、レギウスは、音も立てずにそれを為すと速やかにその場を退いた。二人に気付かれないよう、一言も発する事なく座っていた椅子へと再び腰を下ろし。ただひたすら、この時間が過ぎるのを待つのだった。二人の様子を見つめる眼差しには欠片の温もりも感じられず、また常とは違い一つの感情をその顔に浮かべている。それは即ち呆れ。
 どう好意的に考えても、遠征を控えたこの忙しい時期にわざわざ無い時間を割いてまでかわす意義のある議論とはどうしても思えず。結果、積極的に議論に加わろうとする意識は一切芽生えてこない。ともすれば、二人が互いに対してのみ意識を向けているこの隙にさっさとこの場から立ち去ってしまいたいとも思うのだが、如何せんこの場を提供してくれたのが他ならぬ団長その人であることを考えれば、何の結果も出せずにこの場を去るというのも気が引ける。だからこそ、未だこの場に留まり続けているのだから。だが、何故自分が彼等とここにいなければならないのかと、自分と彼等を同じと見なす『美中年』という括りに溜息しか出てこないのもまた事実だった。

「だから、ここはわしがまずガーンッ!とだな」
「いや、そうじゃなくてよ。まず俺がこうドカッ!とよ」

 言葉だけでは物足り無くなって来たのか、完全に腰を上げた二人は身振り手振りを交え、議論は益々白熱の一途を辿っていて―だが端で見ているレギウスには、全く意味が通じていないのだが―尚も二人は互いに掴みかからんばかりの勢いで言い合いを続けており。レギウスの存在など端から無かったかのように振舞われているにも関わらず、彼の表情に不満の色は無く。冴え冴えとした眼差しを向けるのみだった。

 いい加減にただ眺めているのも飽きてきたレギウスが、そろそろ結果を諦めて立ち去っても良いのではないかと思い始めたその時、変化は容赦なくレギウスを巻き込む方向で起こった。
 彼等は良くも悪くも単純で、故にレギウスの予想を遥かに超えた突飛な行動に出ても可笑しくは無いのだと気付いた時には既に遅かったのだと、軍師は後に零していたのだという。

「大体よ、俺が思うに一番問題なのは遠距離がいないって事なんじゃねえか?」

 どこをどうしてその結果に辿り着いたのか、デューカスが今までの剣幕はどこへやら、あっさりと身を引き腕を組む。そしてボールドンまでもが然りと言わんばかりに頷いたのだった。

「確かに、我が拳の近距離。そして君の槍は中距離だ。ここまでの流れは完璧となれば、最後の仕上げに必要なのは遠距離。だが、残っているのは軍師殿だけ。しかも君は近距離だ、これでは纏まるものも纏まらんでは無いか」

 二人の視線がレギウスへと向けられる。何故そうなったのか、常識では説明出来ない展開にレギウスは僅かに顔を顰めた。

「なあレギウス、お前って確か忍者だよな。なのに何でこう、飛び道具とか使わねえんだ?」
「…はあ……」

 ありえないほど間の抜けた音が口から漏れる。なのにと何での間に存在する理論が破錠し過ぎていて、レギウスには全く理解が及ばない。だがボールドンには通じているのか、デューカスに同意する姿勢を見せていた。
 暗器を使う者もいるし、その中には確かに飛び道具と呼ばれる類も存在している。だが、自分がそれらを使うかどうかはまた別の問題で。

「何故君はそんなにも頑なに刀に固執するのかね」

 心底不可解だとでも言いたいのか、疑問を乗せた眼差しを浴びせられたレギウスは深々と溜息を吐いた。
 別に固執している訳ではない。と、寧ろ何故そこまで己を遠距離に仕立てようとするのか全く理解に苦しむのだが。と、彼らの言動に喉まで出かかったそれらの反論や疑問を寸でのところで飲み込んだ。
 自分が何を言ってもきっと二人は二人にしか分からない超理論を振りかざすであろう事は明々白日。たとえそれを論破する方向に持って行ったとしても、常識をどこかに置き忘れてしまった彼等の前では何の役にも立たないだろう。そして、ここで混ぜ返しても単には、二人の勢いに拍車がかかるだけならば、沈黙を貫くのが賢い選択というもので。レギウスは内心盛大に頬を引き攣らせながら、そんな事は億尾にも出さず再び彼等の思考が自分から離れるのを待った。
 だが考えてみて欲しい。レギウスも知っていたではないか、今の彼等に常識を期待するだけ間違っていると。よってそんな努力も、結局は何の役にも立たないのだった。
 面倒事になりそうな雰囲気を感じながら、レギウスそっと溜息を吐くのだった。


 そして、結局は口を出さずにいられない状況に陥る事となったのは、この場から早々に立ち去らなかった時点で決まっていた流れなのかも知れない…