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 唐突に途切れた夢。目を開ければ溜まっていた涙が堪えきれずに溢れ出す。ぼやけた視界の中には見慣れた天井が映っていて。
 ああ、また同じ夢だ、と。このところ毎晩のように見る夢で、己の死を体験する。それはまるで実際にあった記憶を追体験しているように思える程現実味を帯びていて。だが、乱れた息も、重く沈む身体も、汗が伝う不快感も、酷く乾いた喉も。身体が訴えるその全てが、己が今ここに生きている証のようでもあるのだ。
 だが、だからと言って自分が死ぬという場面はいつ体験しても慣れず、不快さしか残らない。そして気分が悪くなるのもまた、いつもの事なのだ。
 だからいつもそうしているように、纏わりつく夢の気配を振り払うべくわざと勢いよく上体を起こす。そしてそのまま寝台から降りると、外へ続く扉の方へ。
 木戸を押して外に出れば、まだ完全には夜が明けていないようで。空の色はまるで薄墨を流したように曖昧な色をしていた。まだ誰も触れていない清涼な空気を肺いっぱいに吸い込めば、キンとした冷たさに、胸の奥に燻っていたものが浄化されていくようだ。
 何度かの深呼吸の後、ジーノは歩き慣れた道筋を辿らんと足を踏み出した。少し肌寒さを感じるものの、目が覚めて丁度良いとばかりにそのままの格好で。ミュラに見咎められたらすごい剣幕で怒られそうだな、などと想像しジーノは一人笑う。だがその笑みはすぐに引っ込み、後には痛ましげな色が浮かぶ。
 一度だけ、夜毎の悪夢を冗談交じりに話した事があった。夢の中にミュラやルセルが出て来たから、ただそれだけの理由で。だがその話を聞いた途端、ミュラの顔からは一瞬にして血の気が失せ、ルセルはまるでこの世の終わりのような顔をした。
 その時は冗談で済ませ、以来その話題は避けて来たが、二人の中に僅かな緊張を感じ取っていた。
 元々、100年目の怪物が初めて目の前に現れた一件以来、妙にミュラが心配性になり、ルセルが常にジーノを気にする素振りを見せていたのは知っていて。だから夢の話をした時の二人の顔に、浮かんだのは一つの仮定。
 それは、自分が本当は死んでいたのかも知れないという事。それを意識して情報を集めてみれば、面白い位に見えてきた。特にルルサの話はジーノに確証を持たせるのには十分過ぎて。そして何より、過去に干渉できるという時代樹の存在と百万世界の話が、それを決定的なものにしていた。
 そうこうする内に目的の場所、湖の辺へと辿り着く。が、いつもの特等席には先客がいた。水面を滑る風に髪と服の裾を揺らしながら黙って立っている姿は、どこかこの世のもの有らざる雰囲気を纏っていて。薄暗い中、彼、ゼフォンの白は余りにも眩しかった。
 普段からあまり友好的な関係を築いていない事もあり、精神的に参っている状態で相対するのは躊躇われた。だからそのまま踵を返して立ち去ろうとしたのだが、一瞬考え、止まっていた足を再び動かし、そのままゼフォンの傍らに立つ。そして互いに何を話すでもなく、黙って湖面を見つめていた。

「今日は星が随分騒がしくてねえ…」

 目が覚めちゃったんだよ、と。不意にゼフォンがジーノの方を見ずに口を開いた。だが、別にこれといって返事を期待している訳でもないのか、それきり黙ってしまったゼフォンに、ジーノも結局は何も言わずに口をつぐんだ。

 湖の向こうにそびえ立つ山々の頂が、うっすらと光を纏いはじめた。きっともうすぐその光はここへも届くだろう。そうすれば、仲間達もそろそろ起き出す時間だ。
 ミュラは朝に弱いから別としても、ルセルの朝は早い。彼が目を覚ます前には戻らなくては。そんな事を考えていると、

「…随分と変な夢を見るんだって?」

 黙って湖面を見つめていたゼフォンの口から零れた問いに、一瞬反応が遅れる。口を開く気配が全くなかっただけに、その言葉を脳が処理するまでに少し時間がかかってしまったのだ。 その間に、ゼフォンは湖からジーノへと視線を移していて。そのどこか探るような眼差しに思わず怯んでしまった。が、すぐに気を取り直すと、事もなげに頷きを返す。

「あーでも、夢…ってか過去…だよな」

 苦笑を浮かべおどけたように言えば、ゼフォンは僅かに目を見張る。すぐに表情を取り繕ったが、いつも食えない笑みを浮かべているだけに、その変化は非常に分かり易かった。だからこそ、ジーノは確信を持つ。やはりあれは実際あった事であり、自分は一度死んでいるのだと。だが、それは思った程の衝撃ではなく。寧ろずっと気になっていた答えが出たのが清々しくすらあった。
 ジーノの、まるで憑き物が落ちたようなすっきりとした表情に、ゼフォンは訝しげに首を傾げる。

「ねえ、何でそんなにすっきりした顔してるの?」

 理解できないと言ったようにこちらを見るゼフォンに、ジーノは晴れ晴れとした笑顔を向けた。

「もう一人の俺の人生がそこで終わったっていうなら、俺はそいつの分も生きるしかないって事じゃないか?」
「単純だねえ…」

 呆れたように肩を竦めるゼフォン。それに対し、ジーノは快活な笑みを崩さない。そう、どうしたって自分が生きている事実は変わらない。それは枝分かれした先の自分を踏み台にした、酷く傲慢な行為なのかもしれない。でも、ここで今生きている事実まで否定してしまったら、過去を変えてまで自分を助けようとしてくれたルセルやミュラの想いを踏み躙ることになってしまう。
 ジーノは目の覚める思いで天を仰いだ。徐々に明るくなってくる空には、一点の曇りも見られず。それが、新しい朝の訪れを示しているようで…。

 だからもう、夢は見ない。