反転する現実






 始まりは、視界を埋め尽くすおびただしい数の100年目の怪物と云われている化け物達。そして、それに立ち向かう幼なじみと姉の背中。共に戦うという申し出に対して里に危機を知らせるようにと促がされ、自分の力など高が知れていると理解しているから、出来る事をしようと里を目指して駆け出した。自分の無力さを嘆くばかりで前に進めないのではいつまで経っても成長しないと知っているから、自分に出来る事を全力で成さなければと思えるのだ。

 普段魔石の材料を調達する際は、最高のものを探し当てたいのと何より人に任せきりというのはどうにも性に合わないこともあって、自ら進んで野山に分け入っていた事もあり、それなりに体力はある方だと思っていた。だが、危機的状況に晒された精神の摩耗は、同時に余計な体力の消耗に繋がっているようで。冷静でない分普段なら何の事もなく走破できる里までの短い道のりが、随分長く感じられた。冷静になれと自らを叱咤しても、それを上回る不安にすぐさま塗り潰されてしまう。不自然に乱れる心臓が痛みを訴えているが、だからと言って止まってなどいられない。とにかく一刻も早く里の皆に知らせて守りを固めなければ。そして、あの状況では託すしかなかったとはいえ、置いてきてしまった大事な親友と家族の助け手となる人員を派遣してもらわなければ。


 漸く里の入り口に至ったジーノの足は小刻みに震え、その口からはぜいぜいと耳障りな音が漏れる。足の震えは、疲労かそれとも恐怖故か。動かすのも億劫な状態だったが、ここで止まる訳にはいかなかった。まだ本来の目的を何も果たせてはいないのだから。それなりに修行してきたとはいえ、彼等だけで100年目の怪物たちを全てを退けるのは無謀というもの。それを見越していたからこそ、ルセルは里に応援を頼む為自分に戻れと言ったのだから。
 こんなところでへばってなどいられないと気合を入れ、屈んでいた上体を勢い良く起こすと頬を伝う汗を乱暴に拭う。その視線の先にあるのは、里の中心に建つ頭領の家。頭領が留守なのは知っているが、あそこに行けば留守を任された者がいる筈だ。重く感じる足に活を入れ、ジーノは力強く地面を蹴った。

 咎められるのを覚悟で、ジーノは勢い良く戸を開け中に飛び込んだ。すぐさま飛んでくる叱責の声に怯んだのは一瞬、視線の先にいる面子に己の幸運を悟った。丁度集会中だったのか、自警団の面々がほとんど揃ってそこにいて。ジーノは新たな叱責が飛んでくる前にと、勢い込んで事の次第を捲くし立てた。すると案の定、ジーノの行動に眉を顰めていた人々の表情が、話を聞くにつれ驚きから緊張に変わる。すぐさまその場を飛び出していく数人と、難しい顔で協議を始める残りの面々。漸く少しの休息を与えられたジーノは、荒い息の元その様子を眺めていた。本当は話している暇があったらすぐにでも行動して欲しいと言うのが本音だったが、互いの行動をきちんと決めておかないといざという時混乱が生じて体勢が崩れる可能性もある為、こういう場がいかに大事であるかも知っている。
 黙って事の成り行きを見守っていたジーノは、不意に何かを思い立ったかのように戸口へと向かい、そのまま外へ。そして、村の入口にある見張り台へと足を向ける。
 彼等がすぐにでも動き出してくれる事は知っていたので、自分があそこにいる必要もなく。ならば全てが整うまで、せめて見張りの真似事位は出来るだろうと思ったからだ。案の定、見張り台に人を割く余裕が無いのか、そこは空っぽで。ジーノはいつも彼等がしているように、備え付けの遠眼鏡を手に里の入口からテルベの森の方を見渡せる位置に胡坐をかく。木々の合間に100年目の怪物の姿が無いか慎重に確認し、どうやら大丈夫らしい事に安堵の溜息を吐いた。ここから見渡せる範囲にあの記憶に新しい異形の姿は見当たらない。いつも通りの濃い緑色が広がるのみだ。
 俄かに騒がしくなってきた門の前へと視線を向ければ、数人の里人と自警団の面々が、防柵の組み立てに精を出している様子が目に止まる。予てからの手筈通りに行われている作業は、滞りもなく進んでいるようだ。この分なら数分と経たず完成するだろう。それは、頭領であるハガルがいかに普段から100年目を意識し不測の事態に備えていたか、その一端が窺える光景だ。
 もし梃子摺っているようだったら自分も手伝おうと思っていただけに、何とも拍子抜けしてしまう。そもそも100年目の怪物共がこちらに来るかも分からないのだから、この作業も無駄に終わるかもしれない。まあ、取り越し苦労であるくらいが丁度良いのだろうが。危機は無ければその方が良いのだから。








2