その後…



「カンパーイ!!」

 掲げられ、打ち合わされたグラスやジョッキの中に並々と満たされていた液体が、笑い混じりの声に応えるかのように踊る。

「いやー、最初はどうなるかと思ったけど、何とか無事に終わったなー!」

 ジョッキを勢い良く煽り、中身を一気に喉へと流し込んだローランサンが、口に付いた泡をやや乱暴に拭いながら笑う。するとすかさずピッチャーを持った誰かの手が伸びて来て、空になったジョッキに並々とビールを注ぎ足した。

「だよなぁ、最初は何で俺がやられ役なんだってごねてたしな」

 ニヤニヤと笑いながらローランサンの隣に腰を下ろしたオリオンが、手に持ったグラスをローランサンのジョッキにぶつける。

「出番がないって騒いでたお前にだけは言われたくねーよ。大体、ADのお前が何でそんなに態度でかいんだよ。少しは出演者様を敬ったらどうなんだ?使いっ走り君」

 意地悪気な笑みを浮かべるローランサンに、しかし全然堪えていないのか、オリオンはからからと笑う。

「えー、敬うって…何?お前俺に「お疲れ様です!ローランサンさん!!」とかキラキラした眼で言って欲しいのか?」
「………遠慮しておく…」

 普段ありえない光景に、想像しただけでどっと疲れが押し寄せる。しかもローランサンさんって何だ、勢い余って二回言ったみたいな語尾になっている。縮めたところでローランさん。…どこの国民だ。
 名前を改名するべきか否か、半ば本気で考え出したローランサンを尻目に、オリオンは反対隣へと視線を逸らす。するとそこにいたのは、

「うわあ…」

 何とも珍しい、天秤と盗賊のコラボレーション。瞳の色以外は瓜二つの筈なのだが、纏う空気が余りにも違っている。片やボケボケの天然オーラ全開で、片や粗方の辛酸は舐め尽くしたとでもいうようにちょっとやそっとじゃ動じなさそうな、実に落ち着き払った雰囲気でそこにある。しかも、

「酒飲めねえのに、何やってんだ?」

 アルコールはからっきしの天秤イヴェールが何を対抗意志を燃やしているのか、いつもは双子に止められているにも拘らず、その手に盗賊イヴェールと同じ中身の入ったグラスを掴んでいる。

「おい、無理をして倒れても知らないぞ」
「いや、今日はきっと大丈夫な気がするんだ、多分。それに、同じ冬の称号を持つ君が飲めて、僕が飲めない道理はない筈だよ」

 天秤イヴェールは、盗賊イヴェールの親切な忠告もなんのその、グラスに注いでいた視線を上げ、決意を秘めた眼差しで盗賊イヴェールの呆れを多聞に含んだ眼差しを受け止めている。

 …うん、気合の入れ所を完全に間違っている。そんな事より別の…そう、正式に生まれ出でる事に全力を注ぐべきではないだろうか。

 そんなことを考えている内に、己に喝をいれた天然(もうこれで通じそうな気がする)が、一気にグラスを煽った。因みに、盗賊イヴェールが飲んでるのは、ウィスキーのロック。しかも氷はほとんど融けておらず、原液に近い状態。普通なら少しずつ、氷を溶かしながら飲むものだ。それを一気に飲めばどうなるか…言わずと知れたことだろう。

「〜〜〜っ!?」

 強い酒を一気に流し込んだ喉が焼けるように熱くなり、天秤イヴェールは悶絶した。それでも何とか飲み下し噴き出す事だけは堪えたのは偉いが、そのせいで天秤イヴェールに襲い掛かった熱と痛みは凄まじく、背中を丸めて必死に耐えている。
 盗賊イヴェールはというと、まったく意に介していないのか―まあ、最初に止めただけでも良しとしなければならないのだろうか―苦しむ天秤イヴェールにちらりと視線を向けただけで、手を差し伸べるでもなく己のペースを崩す事無く、ただ黙々と己の酒を消費している。そこは手を貸すべきではないのか、などと言ったところで返ってくるのは「自業自得」の一言だろう。
 オリオンは、ばっちり目撃してしまった手前無視する事も出来ずに、傍にあった未使用のおしぼりを掴み天秤イヴェールの口元へとあてがい、更にはグラスに水を注いで手渡してやる。

「うっ、あ、りが…」
「あ〜、喋んなくていいって。ほら、ゆっくり飲めよ。慌てて気管にでも入ったら余計苦しくなるからな」

 なんだか、小さい子供を世話しているような気分になりながら。そういえば、いつもは今の自分と同じポジションにある筈の双子姫はどこにいるのだろうと視線を巡らせれば、視界の端で談笑する一団が目に止まる。

「あの迫真の演技、素晴らしかったですわ。それに比べて私は、どうしてもぎこちなくなってしまって。まだまだ勉強不足だと痛感しました」
「まあ、何を言うのです。貴女がどれだけ彼を想っているのか、充分に伝わって来ましたよ。最も、そこは演技ではないのでしょうが」

 笑み交じりのイサドラに、図星を指されたエリーザベトは顔を赤くして俯く。同席していたヴィオレットはきらきらした眼差しでエリーザベトを見つめ、両の手を胸の前で組んで何度も頷いていた。

「私も、とても感動しました。エリーザベトさんは、どうしても不安定になりがちな一人での演技が多かったですのに、それを欠片も感じさせない凛とした佇まいと、その胸の内にある強い想いを醸し出しながらの演技は、私にはとても真似できません」

 感極まったように泣いているのは、慣れないアルコールを服用したからだろうか。勢い込むヴィオレットの傍らでは、オルタンスが話を聞いているのかいないのか、グラスを両手で持ちニコニコと笑っている。正反対の性質を持つ彼女達は、どうやらアルコールに対する反応も正反対のようだ。
 そんなヴィオレットに気圧されたのか、赤らんだ頬のままどこか戸惑うように首を傾げるエリーザベトの様子は、何とも可愛らしかった。そんな彼女に助け手が現れない筈もなく…

「余り、からかわないであげてくれないかな」

 ふわりと空気が動いたかと思えば、エリーザベトの傍らに音もなく腰を下ろしたのは、見事な銀色の髪を後ろに流し、緩く縛った青年。瞳の色は赤より尚深い色をしながら、醸し出す雰囲気のせいなのか禍々しさは感じられない。

「メル…」

 心底安堵したというように微笑を浮かべるエリーザベトにそれは優しげな笑みを向けたのは、彼女の唯一の想い人であるメルツだった。
 メルツは、両手に持っていたグラスの内一つをエリーザベトへと渡し、残りをまだ興奮冷めやらぬヴィオレットへと差し出す。

「お酒には慣れていないようだから、あまり無理はしない方が良い。君の大切なイヴェール君がきっと心配しているよ」

 メルツに言われて大切な主の存在を思い出したヴィオレットが慌てて周囲を見回せば、明らかに何かあったと思われるイヴェールがオリオンに介抱されている姿が目に止まる。

「まあ、ムシュー!大変よオルタンス」

 傍らでどこか夢見心地の体でいるオルタンスの意識を呼び起こすと、未だ現状を把握し切れていない彼女の手を取り、慌ててそちらへと向かう。どうやらイヴェールへの心配が酔いを完全に吹き飛ばしたようで、その足取りはしっかりしたものだった。
 エリーザベトは勢い込んで行ってしまったヴィオレット達を見送りながら、心底安堵したのだろう、大きく息を吐いた。メルツがそれに気付いて思わず笑みを零すと、頬を膨らませて自分より高い位置にあるメルツの顔を見上げる。

「笑うなんて酷いわ…でも、ありがとう。貴方のお陰で助かったわ」

 拗ねたように、それでも助かったと言うエリーザベトに、メルツは益々笑みを深め首を振る。

「何も礼を言われるような事はしていないよ。僕としては、君が僕を想っていてくれる事実は、僕だけが知っていれば良いと思っているからね」

 エリーザベトの頬が、音を立てて赤く染まる。メルツが余りにも自然に言うものだから、エリーザベトの鼓動が先程よりも速くなる。冗談ならば何とか流す事だって出来るのに、メルツはいつだって本心からそんな事を言うものだから、性質が悪いとしか言いようがない。

「もう…」

 頬に手を当てメルツから視線を逸らすと、そこにいたイサドラにあっと声を漏らした。突然のメルツの登場で、イサドラの存在をすっかり忘れてしまっていたらしい。

「私ったら、申し訳ありません」

 慌てて非礼を詫びるエリーザベトに続くように、メルツも頭を下げる。

「お酒の席とは言え、失礼を致しましてすみませんでした」

 だが、そんな二人に対しイサドラは気を悪くした様子もなく、寧ろ楽しげに鈴を転がしたような笑い声を上げた。

「気にする事はありません。それだけお互いが想い合っている証拠ではないですか」
「ええ、エリーザベトさえ傍に居てくれるのなら、他に何も望む事は無いと、僕はそう思っています」

 咄嗟に言葉の出ないエリーザベトに対し、照れの欠片さえ見せずに同意するメルツ。エリーザベトの頬の熱は暫く冷めそうになかった。



「ごめん、エレフ」

 辛気臭さがいつもより多くなっているような気がするのは気のせいだろうか。いや、きっとその認識は間違いではない。エレフセウスはげんなりした表情を隠しもせず、目の前に正座する実の兄に胡乱気な眼差しを向ける。正直折角の酒が不味くなるような状況は心底遠慮したかったが、ここで放置すればいつまでもそこまでも沈んでいく事は想像に難くなかったので、仕方ないと言った体を崩さぬまま、先を促した。

「……何が」
「演技とはいえ、大事な弟を殺し。あまつさえその髪を鷲掴みにするなんて!僕は兄失格だ!!」

 大の男が床に突っ伏し泣き喚く姿は中々見るに耐えないものがある。既にエレフセウスの精神は限界に達しており、これ以上の暴挙に出ると言うなら、演技の枠を超えての下克上が発生してしまいそうだった。
 レオンティウスは泣き上戸の性質を如何なく発揮し、周囲すら巻き込んで存分に泣いている。こんな時、無駄に垂れ流されたカリスマオーラはすさまじくいらない。と、心底思う。その証拠に、レオンティウスの後ろでハンカチを持ったカストルは「お辛かったでしょうな、殿下」と同じく顔をぐしゃぐしゃにして泣いており、それにつられたのか、何故かオルフまでもが「閣下、ご無事で何よりです…!」と同じくハンカチを握り締め咽び泣いている。傍にいた中で、唯一シリウスだけはそんな彼等の様子を面白い見世物のように眺めながら、ジョッキを煽っている。
 エレフセウスは位置関係から逃げることも叶わず、しかもレオンティウスの謝罪は他でもないエレフセウスに対して向けられている為、最初から逃げる選択肢はないようなものだった。ここで立ち上がろうものなら、怒っているのかと縋りつかれるのがオチだ。
 恨みがまし気に、混沌から一人抜け出しているシリウスを睨めば、仕方ないんじゃないですか?と言わんばかりに肩を竦めている。
 後で覚えていろと、心の中で悪態を吐いていたエレフセウスの頭に、何かが置かれた。咄嗟に視線を上げてみれば、それは愚兄レオンティウスより頼りになるもう一人の兄スコルピウスが眉間に深い皺を刻みながら、立っていた。

「レオンティウス、演技とはいえ非情な行いをした事に罪悪感を抱いているお前の気持ちはエレフとてよく判っているだろう。実際お前が普段エレフにそういう気持ちを抱いていると言うのならともかく、そうでないのなら所詮は仕事上の事だ。そんな事にまで一々かかずらう程、エレフは偏狭な人間ではない、違うか?」

 レオンティウスは、スコルピウスの言葉にはっと息を呑んだ。そしてそのままスコルピウスからエレフセウスへと視線を移せば、すかさずエレフセウスは頷いてみせる。と、それを答えと取ったのか、レオンティウスの瞳に生来の力強さが戻ってくる。そして、流れ出る涙を押し止めて何とか体裁を取り繕ったレオンティウスは、真っ赤に泣き腫らした目をしながら、それでもしっかりと頷いた。
 漸く開放された事に胸を撫で下ろしたエレフセウスは、事態の収束に多大なる貢献をしたスコルピウスへ、感謝の眼差しを向ける。

「助かりました、兄さん」
「いや、気にするな」

 エレフセウスの頭を軽く撫でると、スコルピウスは役目は済んだとばかりに踵を返した。スコルピウスを見送るエレフセウスの耳に「ご立派ですぞ、殿下!」と言うカストルの声が飛び込んでくる。本当に、心底いらない。


 反省会の筈が最早完全なる宴会会場と化してしまった広間の隅で、オリオンは一人グラスを傾けていた。双子姫が来た事により、やっとイヴェールの介抱から開放され、何処かのグループに顔を出そうかとも思ったものの、お酒のせいで普段の彼等はどこへやら、端から見ていれば楽しそうな事態に成り果てている現状に、流石に飛び込んでいく勇気は持っていなかった。よって、彼等に捕まらないような安全圏を見つけ、一人黙々と杯を重ねるに至った。

「オーリオン」

 不意にグラスを持った手が伸びて来て、オリオンの持つそれに当たる。オリオンが満面の笑みを浮かべ振り向けば、案の定そこにはアルテミシアが立っていた。オリオンが隣に座るよう促せば、何の気負いも無く腰を下ろすアルテミシア。今はこの気安さが心地良かった。

「残念だったね。今回出番が無くて」

 手の中のグラスを弄びながら、アルテミシアは笑う。その言葉に他意はなく、心底折角のチャンスを残念に思っているのだと知れる。そんな風に思ってくれるアルテミシアの気持ちが嬉しくないと言っては嘘になるが、それでもオリオンは今回の結果に満足していた。何故なら、

「例えば、さ」
「え?」
「例えば、俺に今回役が付いてたとして、もしもそれが手に掛ける側だったとするよな?そんで、それがミーシャだったりしたら、例えそれが演技でも俺はきっと耐えられないと思うんだ…」
「……」

 痛みを堪えるような表情で天井を見つめるオリオンに、ミーシャはかける言葉が見つからない。エリーザベトが自らを消す選択をしたように、オリオン自身もきっとその立場になったら、アルテミシアではなく自分に刃を振り下ろすのだろうと思う。台本など関係ない。そうしなければ、例え演技でも自分を許せないと思うから。
 オリオンは、心配そうに見上げてくるアルテミシアに先程とは打って変わってからりとした笑みを浮かべてみせる。

「だから、俺はこれで良かったと思ってる。俺にとってミーシャは何があろうとも守りたい存在だから」
「オリオン…うん、ありがとう」

 オリオンを見つめるアルテミシアの瞳が潤んでいる。それは何もお酒の所為だけではないのだろう。

「でも…でもね、オリオン」
「ん?」
「私の所為でオリオンが傷付くのは嫌よ?私だって、オリオンには傷付いて欲しくないもの」

 完全なる不意打ちだった。オリオンは暫し呆けたようにアルテミシアを見つめ、やがて満面の笑みを浮かべた。

「おう、ミーシャが悲しむような事はしない。約束する」

 沸き上がる喜びに頷きを返し、小指を差し出せば躊躇い無く絡められる細い小指。一見頼りなさそうな彼女が、その実結構しっかりしているのをオリオンは良く知っていた。今でこそ清楚な乙女のようだが、昔はよくエレフセウスを泣かせていたなど誰が想像するだろう。
 オリオンの脳内に、オリオンを庇い前に立つアルテミシアの姿がまざまざと浮かび、オリオンは堪らず声を上げて笑った。









あとがき

 この後どうやって宴会が終わったのか、それは私にも分かりません。
 以上、エイプリルフールでした。最後までご静観いただき、ありがとうございました。





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