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 つらつらと考え事をしている内に、コリーナは無事作業を終えたようで。こちらを窺う視線に含まれた問いに答えるように一つ頷いてやれば、僅かに緊張を含んだ表情からこわばりが抜け、嬉しそうな笑顔が浮かぶ。
 スコルピウスはやはりそんなコリーナの姿に初めて手伝いを成功させた時の子供達の姿を重ね、慣れた手つきでその頭を撫でるのだった。


「では手順をもう一度再現してみなさい」
「はい、分かりました」

 スコルピウスは弟子を見守る師のような視線をコリーナへと向け、コリーナがそれに答えるように神妙な顔をして頷いた。
 それは、ここ最近当たり前となったやり取り。そしてやはり、コリーナが手を動かす度にスコルピウスの眉間の皺が深くなっていく。
 結果は思った通りのもので。作業の途中で、コリーナの手元から持っていた物が滑り落ちてしまう。だがそれは予め予想していたことであった為、物が落ちても大丈夫なように敷いていた布によって被害は殆ど無かった。
 同じような失敗をしてしまったコリーナが情けない顔で見上げてくるのに対し軽く頷いて見せると、スコルピウスはコリーナの手に残っていた道具と、散らばった物を手に取り最初の状態に戻す。そして見ているようにと指示を出し、頭の中にある手順を忠実に再現していく。コリーナが食い入るように見つめる中、スコルピウスは淀みない手付きで作業を進め。勿論途中で落とすなどという愚行を犯す事無もせず、難なく作業を終える。

「これが基本だ」

 もう一度最初の状態に戻しながら顔を上げれば、顔を伏せているコリーナの後頭部が見えた。隠されて見えないその表情は、きっと悲しみに歪んでいることだろう。見かけより余程我慢強い性質なのか、最初の顔合わせ以来滅多なことで泣きはしないものの、傷付いているのは明白だ。
 こうして幾度となく繰り返された仕事の手順の改善は、つまるところコリーナが今までどのような扱いを受けていたのかを示していた。


 はじめは、ちょっとした違和感だった。
 元々コリーナに任せている仕事は、そう多くはない。それというのも、宮殿にいる他の貴人達とは違い大抵のことは自分で出来るスコルピウスは、人の手を借りなければならない事態になることが少ない。だが、だからと言ってコリーナに仕事をさせていないと知られたり、ましてや傍仕えから外したりしようものなら、すぐにでもアカキオスが傍仕えという名の監視役を用意するのは目に見えていて。そうなれば、自室での自由が奪われるのは必然だ。結果、スコルピウスの精神衛生上大変好ましくない事態になるだろう。
 勿論、最初からコリーナを無条件に信頼していた訳ではない。だが、密かに調べてみたものの疑わしい点は見られなかった。しかも大人しく人の感情の機微に聡い少女は、言い方は悪いかも知れないがスコルピウスにとって大変都合が良く。しかも子供達を髣髴とさせるとなれば無碍にも出来ない。その結果、それなりに仕事を任せることにしたのだ。
 そしてスコルピウスは、動く時期を計っていることもあり必要な時以外は自室から出ないようにしていた。その為、コリーナが仕事をしている様子を目に止める機会も多い。だから違和感を覚えるのも早かった。
 それは、誰にでも出来るような簡単なことで。スコルピウスでも然程の時間はかからず、デルフィナならばもっと早いだろう。そんな単純な作業に、コリーナは驚くほど時間がかかっていて。だが、決して動きが遅い訳ではなく、手付きはとても丁寧なものだった。
 不思議に思いよくよく見ていると、明らかに手順がおかしい。だからこそどうしてわざわざ時間のかかるやり方をしているのかと聞けば、手を止めたコリーナは不思議そうに首を傾げ、習った通りにやっていると答えた。
 スコルピウスは何の疑いも抱いていないコリーナの疑うことを知らぬ眼差しに内心首を傾げ、だがすぐに何かに思い至る。それは、所謂苛めとも言える性質の悪い行為なのではないだろうか、と。
 コリーナの仕事を一時中断させ、未だ訳が分からぬといった顔をしているコリーナを呼び寄せ詳しい話を聞いてみれば、やはりスコルピウスの考えていた通り、コリーナは周囲からそれとは分からぬような悪意を向けられていた。
 思えば、初対面時の風体からして違和感はあったのだ。いくら下働きとはいえここは王の座す宮殿だ。使用人達の身形にも気を使うのが当たり前で。しかも若いとはいえ、コリーナは貴人達の目に止まる可能性のある仕事に就いているのだから、他の者達より気を使って然るべきだ。そして、身形を整えるのに必要な最低限の道具は支給されている筈。それなのに、コリーナはとてもそうは見えなかった。もしかしたら周囲にそこまでの意図はなかったのかも知れない。だが、だからと言って許されることではない。
 そう考えれば、スコルピウスの傍仕えの役とて押し付けられたのだと察しがつく。しかもスコルピウスに対する恐怖を十分に植え付けた上で。大方コリーナがスコルピウスに叱責されるだろう様を想像し、ほくそ笑んでいたのだろう。悪趣味極まりないと言わざるを得ない。
 簡単に想像できてしまったそれに、胃の腑を掻き回されるような不快感を覚える。コリーナが悪意をそうと捉えなかったのが唯一の救いだったのだろう。
 良くも悪くもコリーナは素直な性質をしていて。周りに言われるがまま仕事をこなしていただろうことは想像に難くない。だが、明らかに間違った作業手順で仕事をすれば失敗も多くなるし、効率の悪いやり方では他の者達より格段に遅くなってしまう。何も知らない主人に叱責されることもあったに違いない。だがそれは、正当な評価とは決していえなかった。
 コリーナは決して愚かではない。学ぼうとする熱意も、役割をこなそうという熱心さも持っている。そしてスコルピウスは努力を怠らない者を邪険に出来るほど鬼畜ではない。ならば、年長者としてこの少女が正当な評価を受けれるように導いてやるのが、今のスコルピウスがするべきことの一つなのではないだろうか。

「コリーナ」

 落ち込む少女に声をかければ、肩が僅かに揺れた後、ゆっくりと顔を上げる。痛みを含んだ眼差しは、それでも輝きを失ってはいない。だから大丈夫だ。

「過去を悔やみ、人の悪意に嘆くのも必要なことだ。だが、そこで立ち止まってはならない。周りを見返そうという気概を持て」

 優しく慰めてくれるようなものではない、固く厳しい言葉。甘さを配したそれに、以前のコリーナだったなら怖気付いていただろう。だが今は知っている。スコルピウスの厳しさの中にある信頼に。
 スコルピウスは決してこちらが出来ないであろう無理難題を押し付けることはしない。突き放すような言い方も、裏を返せば激励のようなものだ。

「人の中には己を優先し、他人を蔑ろにする者も多い。だからこそ、お前の持つ優しさは無くしてはならない。それはいつかきっとお前自身の助けになる筈だ」

 そして、厳しさの中にちょっとした気遣いを見付けられるようになった。
 コリーナにとってスコルピウスは仕えるべき主であるが、こうしてものを教わる時はまるで師のようであり。また諭された時は、父や兄のような慕わしさを感じる。
 だからこそ、本来なら王族という雲の上の存在であるスコルピウスに対し無礼極まりないことなのだろうが、こうしてコリーナの為に時間を割いてくれることをありがたいと思うと同時に、その恩に報いたい。そんな風に思うようになった。
 コリーナは俯いた顔はそのままに、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして己に喝を入れると顔を上げる。ぶつかる感情のない眼差しに怯むことはもうなく、代わりに真っ直ぐその眼差しを受け止めると最上級の礼を取る。

「まだまだ至らぬ点も多く、お手を煩わせることも少なくないでしょうが、ご指導宜しくお願いいたします」

 年の割にしっかりとした、でも背伸びをしているのがよく分かる口上と仕草。だが、咎める声は聞こえない。それが、こちらの気持ちをしっかり汲んでくれているからだと知っている。
 すると下げた頭越しに聞こえた、ふっと抜けるような息の音。その口元が微かに笑みの形を取っている様が容易に想像できて、コリーナの口元にも笑みが浮かんだ。








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