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 理由は分からないがここは従った方がいいと感じたカストルは、促されるまま立ち上がると部屋の中央に設えられた椅子の元へと歩み寄る。その際スコルピウスの動向を見守っていると、棚に置かれていたパピルスと荷物の中からなにやら取り出し戻って来る。
 そして、椅子に腰を下ろすことなく机の上にそれを広げ、再び手振りだけでカストルの視線を促すと、手を動かしたまま口を開いた。

「生憎と今日は疲れている。話なら明日にでもこちらから伺おう」
『不用意な発言はするな、監視の者に気付かれる』
「っ!?」

 スコルピウスの手の動きを追っていたカストルが、弾かれたように顔を上げる。スコルピウスは、そんなカストルの反応と、その瞳に疑いの色がないことを見て取ると、声を出さずに何か言えと口元を動かした。ついでとばかりに自分が持っている物と同じ物を、カストルへと差し出しながら。一方的に喋っていたのではあまりにも不自然だし、時間を稼ぐためにも演者は多い方がいい。

「……非常識な時間なのは重々承知の上です。ですが、貴方の狙いを知らなければならないと思いましたので」
『監視とは一体。そもそも何故スコルピウス殿下がここに』

 緊張の所為だろう、感情を押し殺したような声にスコルピウスは口元を緩めた。親しげにするようならば注意を促す必要があると思ったが、これならば誤魔化せそうだ。きっと聞いている者達はカストルがスコルピウスを警戒しているように思っていることだろう。

「私としては今の状況で話す必要性を感じられないが?」
『この国に寄生し甘い汁をほしいままにしている者達がいることはお前たちも知っているだろう。奴等にとって正当な王など邪魔でしかない。だからこそ、異分子である私を担ぎ出そうと画策しているのだ』
「我が主君である殿下に害がないというのであれば、私も大人しく引き下がりますが」
『アカキオス卿のことですね、何と愚かなことを。それでなくとも王の体調が優れないというのに』

 彼等の言い分は非常にひびきの良いもので、そこにあるのは国の発展と民の幸せのみであると言っていた。だが、そんな仮面は人の裏を読むのに長けたスコルピウスの前では張りぼてと同じ。自分達の保身の為に、スコルピウスを傀儡の王に据えようとしているのは明白だ。
 その上、現王がそれを推奨しているなどといった戯言まで吐く始末。流石にこれには呆れを顔に出さないよう苦労したものだった。

(だが……)

 昼間のあれを見る限り、彼等の言う事もあながち間違いではなかったのだと思い知らされた。否、あれではそうならざるを得ないだろう。
 王には、最早自分の意思というものが無かったのだから。

 さり気なく視線のみを上げてカストルの様子を窺えば、スコルピウスの手元を凝視するカストルの眼差しは真剣そのもの。それどころか、大臣たちの考えに嫌悪すら抱いているようにも見えた。
 それで良い、とスコルピウスの口元が弧を描く。
 王の傍にいる忠臣と呼ばれる者達の姦計を暴くには、彼等の考えに染まらない真っ当な思考の者が一人でも多く必要だった。思った通り、カストルは染まらない側であったようだ。
 もしかしたら誰もが楽な方へと流される中、その道がどれだけの苦難に満ちていると知りながら、それでも正しい事を為そうとしたポリュデウケスの弟であるカストルには正しい道を歩んで欲しいという願望がどこかにあったのかも知れない。
 兄弟だから容姿が似るのは当たり前なのかもしれないが、それ以上にその内面が似ているように思う。まともに言葉を交わしたのはこれが初めてだったが、彼もまた真っ直ぐな気性をしているのだろう。だからこそこちら側に、王となる者の側にあれば良いと思った。
 ただ、難をいうのであれば腹芸も得意なポリュデウケスとは違ってカストルは正直過ぎるというところだろうか。
 こんなに早く、しかも対策などないまま馬鹿正直にスコルピウスに会いに来るなど、本来ならあってはならないことだろうに。こちらとしてはいち早く危機を知らせられたという利点があったが、それは所詮結果論だ。これでもしスコルピウスが真実アカキオス側であったら、下手をするとカストルも駒の一つにされていた可能性もあった。

(アカキオスと渡り歩くにはまだ頼りない、か)

 まずはアカキオス達の前でもいつも通りの態度でいるよう言い含めるべきだろうか。一抹の不安はあるものの、元々あまり良好な関係ではないようなのでそれ位はどうにでもなるだろう。身を屈め、未だ食い入るように机上を見つめるカストルを眺めながら、スコルピウスはふむ、と顎に手を当てた。


「私、は……」

 監視の目を気にして、極限まで押し殺された声。
 どうやらこれからのことを考えていた所為で、カストルの意識がこちらに向けられていることに気付かなかったらしい。顔を上げたスコルピウスの目に飛び込んできたカストルはどこか辛そうに顔を歪め、スコルピウスを見つめている。スコルピウスはそんなカストルの瞳に宿る意志の光に気付き、背筋を伸ばして言葉の続きを待った。
 余程言いにくい事なのだろう。それは何度か逡巡するように視線をさ迷わせ、口の開閉を繰り返す姿から容易に察せられる。しかし、一度大きく息を吸い吐き出すと、どうやら覚悟が決まったらしく。再びスコルピウスへと焦点を合わせた。その眼差しは真剣そのもので、

「私は、レオンティウス殿下唯御一人が王足るに相応しいと、覇王の名を冠するに相応しいお方であると思っております。今も、そしてこれからも」

 裏を返せば、スコルピウスがこの先どんなに国に対して貢献しようと、認めないと言っているのと同じだった。
 カストルは、ここで激昂したスコルピウスに斬られる覚悟をも持っていて。どんなに脅されようと、これだけは譲れないのだと全身で語っている。
 だが、怒りが湧き上がるどころか、スコルピウスは真の忠誠とは何であるのかを初めて目の当たりにしたようで、何とも言えず心が沸き立つような錯覚を覚えた。
 このカストルの覚悟の前に、かつての自分へ向けられていた忠誠が如何に薄っぺらいものであったかを見せ付けられたような気がして、一種の清々しさすら感じられる。
 それが羨ましいと思わないでもなかったが、寧ろポリュデウケスがスコルピウスに忠誠を誓わなかったからこそ、主従という枷に縛られる事なく家族のように暮らせたのかもしれないと思えば、それは自分にとって必要な関係ではないのだと知れる。

 スコルピウスの沈黙を何と取ったのか、カストルは強張った顔を緩める事無く佇んでいる。そんなカストルの様子に、スコルピウスは湧き上がる笑みを隠し切れなかった。
 確かにスコルピウス自身、かつて王という地位を切望していたのは否めない事実。だが、それはもうスコルピウスの中では遠い過去のことで。所詮かつて、でしかなかった。
 王というものが何であるのか、過去にも、そして多くを学んだ筈の現在だとて正確に理解しているとは言い難い。
 それに、スコルピウスは神託云々が関係無くとも、自身が王に相応しくないことなどとうに理解していた。スコルピウスにはもう、国や民よりも大事なものが出来てしまったから。他の何を犠牲にしても二人を守りたいと思う自分に、そこまでの信念を持つなど出来なかった。王足る者は、たとえ身内であっても必要とあらば切り捨てる非情さを持っていなければならない。だが、今の自分はそんな覚悟は持てない。寧ろ、疎んじてもいい筈の自分をも慕っていたレオンティウスこそが、その器であると思っていた。

「お前のような者があれの傍で支えになると言うのなら……あれは、良い王になるのだろう」
「は……」

 囁くような声に込められた優しい響きを何と取ったのか、カストルの口から間の抜けた声が漏れた。もしかしたら、緊張しすぎてきちんと聞き取れていなかったのかも知れない。
 呆けたように口を開けたまま固まっているカストルに、スコルピウスの口元が可笑しそうに歪む。

「王足るのはレオンティウスだ。私ではない」

 きちんと笑えているだろうか。そんな事を思いながらもう一度――もしかしたら名を呼んだのはこれが初めてかもしれない――はっきりと言い切れば。漸くその意味と理解したらしいカストルは、言葉を飲み込むなり膝を付いた。

「スコルピウス殿下、ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはない。私はただ事実を言ったまでだ」

 素っ気無い、だが本心からの言葉に、カストルはより一層頭を下げると共に先程までの自分の考えを恥じた。てっきり、スコルピウスはまだ己が王になる夢をどこかで抱いているものと思っていた。故に、自分が今置かれている立場をカストルに教え、レオンティウスに対し助言めいた事を言ったのも、何らかの意図があるのだと決め付けていた。
 だがスコルピウスは、自分が王になるのは望んでいないとはっきり言い切り、しかも己よりレオンティウスの方が王と成るに相応しいと認めているのだという。
 あの自尊心の塊のような、レオンティウスに対し常に冷えた眼差しを向けていた彼と同一人物だとは思えない程穏やかな表情のスコルピウスを前に、カストルは目の覚めるような思いがする。
 スコルピウスが変わったのは最早間違いない。そして彼が変わるきっかけと作ったのは兄ポリュデウケスだったのだろう。それはスコルピウスの言動の端々から感じられるポリュデウケスの気配がそう物語っていて。
 どうやってスコルピウスを変えたのかと、今は亡き兄に聞いてみたかった。武人としてではなく、ただの家族として、もっと話しをしたかった。
 二度と叶わぬ思いを胸に、カストルは強く唇を噛んだ。悲しみを洩らしても、彼が咎める事はないと知っているけれど、今はその時ではないと俯いたまま呼吸を整える。そして願わくは兄と、その伴侶である彼女が神の庭に招かれ穏やかな時を過ごせているように、と。


 あまり長々と話していても怪しまれるだろうからと、手早くこれからについて最低限の取り決めをしてカストルが立ち去った後、スコルピウスは誰もいなくなった室内に声を落とした。

「レオンティウス…」

 呼びなれない弟の名に、どうしても違和感が拭えない。まるで他人のように舌先を転がる音は、いつか慣れる日が来るのだろうか。

「エレフ、ミーシャ…」

 逆に全く違和感を覚えない2人の名は、だが離してしまった手の温もりを痛みと共に蘇らせ、歪んだ表情は悲しみのそれ。
 怪我や病気はしていないだろうか、きちんと食事は取れているのだろうか、心配は尽きず。スコルピウスは浮かんでしまった嫌な想像を振り払うかのように頭を振る。幼子が2人、その存在を快く思わない者達の手に落ちているのだ、心配するなという方が無理なもの。
 だが、暗澹たる思いに囚われ過ぎて思考を止めるのは愚かなことだ。少しでも早く助け出したいと願うなら、今自分に出来る最良を選択し確実に前へと進むしかないのだ。
 スコルピウスは気持ちを切り替えるように静かに深呼吸を繰り返す。呼吸に合わせるように気持ちが落ち着いてくるのを感じながら、カストルから齎されるレオンティウスの返答を予測する。それが色好いものであれば堂々と表立っての接触も可能となるだろうが、さてどうなるか。反発がある可能性も十分考えられるのだから、明日は裏で動く算段もしておくべきだろうか。
 つらつらと思考を組み立てながら、カストルも監視があると気付いた以上焦って動くような愚かな真似はしないだろうから、今夜は一先ず身体を休めるべきかと考え手早く旅装を解くと寝台へと向かう。
 固い寝台に身を横たえればそれなりに疲れていたのだろう。思考に紗がかかるのに時間はかからなかった。意識がゆっくりと落ちていく中、まずはこの部屋の埃を払うのが先か、とそんな事を思った。









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