日常風景






 小春日和という表現が相応しい、麗らかな陽気が心地良い昼下がり。こんな時に室内で仕事をしなければならない者は不幸というもの。雨の降る様子も無いこんな日は、まったく昼寝をするに相応しい日といえるだろう。

 出来ればこのまま屋上か、もしくは人目の無い木陰にでも移動して、ゆっくりと惰眠を貪りたいものだ。でも、

「どうした。分からない所でもあるのか?」

 顔を上げれば即座に気付かれ、声が掛かる。

 缶詰状態を余儀なくされているこの状況で、昼寝をしたいなどと言ったらどうなるか、火を見るより明らかだ。

 退室しようと立ち上がろうものなら、冷静な彼の軍師の一撃が炸裂するだろう。まあ、ダメージから言えば所詮非戦闘要員の攻撃だ。風がそよぐ程にも感じない…と思いたい。

 まあとにかく、それ程の事はない。それは確実だ。ここで問題なのはその後であり、上手くこの場は切り抜けたとしてもこの軍師から一生逃げ続ける事は不可能であり、捕まれば今以上の監視体制での軟禁状態が待っている。それが映像付きで想像出来る程度には、軍師の性格を理解していた。だからこそ、それは何としても避けたい。

 一番良いのはさっさと片付けてしまい、堂々と外に繰り出すことだが、それもまた難しく。さてどうしたものか…

「どうした、何を悩んでいる?」
「いや、どうしたらシュウを誤魔化せるかをね…」
「ほう…」

 うっかり言ってはならない事を口にしてしまったことにも気付かない程思考の淵に沈んでいた為、軍師が不穏な空気を醸し出している事に気付かなかった。

 彼は眉間に刻んだ皺をそのまま、ゆっくりと右腕を持ち上げる。その手に握られているのは、ハリセン。

「下らない事を考えている間に、書類の一枚も終わらせろ!」

 勢い良く振り下ろされたそれは、正確に目の前にいる人物の後頭部へ。

「だっ!」

 小気味良い音と、驚きの声が重なり、不思議なハーモニーが生まれた。

「いきなり何すんだよ!」

 突然の暴挙に、まったくの無防備だったが故まともに食らってしまった彼は、抗議をするべく憤然と立ち上がる。

「お前が仕事を放り出して遊びに行こうなどと考えるからだ」

 そんな彼の喚く声も虚しく、軍師は、それを片眉を僅かに動かしただけで流し、冷静に切り返した。

 途端、彼の動きが不自然に止まる。何故ばれているのかと、表情に焦りが生まれる。

「べ、別にそんなこと考えてない、し。ほら、ちゃんと仕事してるじゃん」

 慌てて書類を手繰り寄せ、脇に放り出したままになっていたペンを手に取ると、さも真面目に仕事をしているような体裁を整え、書類へと視線を落とした。

 暫くそのまま書類に目を通していたが、何の事やらさっぱりだ。それはそうだろう、何せ目を通した書類は一つの案の途中の部分であり、最初から読んでいないと分かる筈も無いのだ。

 それでも目の前の気配がそこから動く様子が無いので、書類を取り替える事も出来ない。

 そのまま長い時が過ぎるかと思われたその時、不意に目の前の男が溜息を吐いた。

「…リオウ」

 静かな、しかし油断のならない声色に、びくりと肩が跳ねる。冷や汗を掻きながら、そろそろと上目使いで男を見れば、盛大に眉間に皺を寄せる姿が。

「な、何?」

「その案件は、既に承認していると記憶しているが。それから、ペンが逆だ」

 眉間に寄った皺はそのまま、冷静に指摘をされ、リオウは男から目を逸らしつつ、

「あ、あれ?おかしいなあ、最近仕事続きで寝てなかったから、頭がぼんやりしてるのかな〜」

 余計な一言。そう思った時にはもう遅い。

「ほう、ならばしっかりと目を覚ましてやろう」

 素晴らしいスピードをもって繰り出されたハリセン。

 執務室に、本日二度目の快音が響いた。


 シャンレイン城最上階にある執務室、デュナン軍の軍主、リオウと軍師の、これがいつもの光景であった。



「まったく、酷いと思いません?シュウってば容赦なくハリセン繰り出してくるんですから。これ以上馬鹿になったらどうしてくれるんでしょう」

「何言ってんの。これ以上馬鹿になるわけが無いじゃない。端から君の知能は底辺這ってんだから」

 うんざりとした眼差しで、吐き出す言葉もまったく容赦が無い風の申し子。対して心配そうにリオウの頭に手を伸ばすのは、

「大丈夫かい?リオウ。シュウ軍師も容赦が無いね」

 今から遡る事3年前、解放軍を率いて赤月帝国を打ち倒し、トラン共和国の礎を築き上げた英雄、ティル・マクドールであった。

「マクドールさんは優しいですね。それに比べてルックはなんて冷たいんだろう」

 唇を尖らせ抗議するリオウに一瞥をくれ、ルックは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いってのさ。それよりここに溜まられるとすっごい邪魔なんだけど」

 心底うんざりした物言いに、しかしこれ位で怯むようならば、初めからここには来ないというもので。

「まあ、ルックは昔からこんな感じだったから。でも前よりとっつき易くはなったと思うよ」

 前は何を言っても反応なんて返してくれなかったから。と、ティルは笑う。

 対してルックは心外だというように、眉間に益々深い皺を刻んでいる。

「えーこれ以上ですか。それはちょっと遠慮したいです」

 それでなくともこの天間星は終始不機嫌で、必要な事以外、余り喋ろうとしないのだ。しかもいざ口を開けば出てくるのは嫌味や皮肉が殆どで、凡そそのような人種とは縁が無かったリオウは、初めて会った時、体調でも悪いのか、それとも空腹なのかと訝しんでしまった程で。

 これでマシとは一体3年前はどれだけ辛辣な毒を吐く少年だったのか。想像しようにも、余りその方面の語彙が豊富ではないリオウは、結局途中で思考が止まってしまう。

「…ちょっと、何かむっかつく想像してない?」

 思わずルックを凝視してしまっていたらしく、気付けばルックが額に薄らと青筋を浮かべている。

「な、何でもない」

 慌てて胸の前で両の手を振ってみるが、どうやら彼の機嫌は良くなってはくれないようで。

「ルック。あんまりリオウを苛めちゃ駄目だよ」

 ルックの右手の甲が淡い光を帯び始めたのを見て取り、すかさず割って入ったのはティル。微笑みながら、しかしどこか黒いオーラを発するティルに、しぶしぶ手を下ろすルック。お陰で広間の破壊と、それに伴うシュウの説教は免れたようだ。

 ほっと胸を撫で下ろしたリオウは、ティルに向かって感謝の眼差しを向ける。

「ルックも、マクドールさんの言うことは聞くよね」

 ティルが纏っていた黒いものにまったく気付いていないリオウの暢気な一言に、目を剥いたのはルック。柔らかな笑みを浮かべ、流したのはティル。

「何でこんなのに従ってるなんて思われなくちゃならないのさ!」

「ちょっとルック、こんなの呼ばわりは酷いんじゃない?」

 にっこりと、しかし右手に黒い光を帯びているティルに、ルックが思わず一歩下がる。

「あ、喧嘩するなら他所でお願いしますね」

 これ以上、軍の資金を圧迫するような事態は避けたいですから。と、邪気の無い、しかし容赦も無い一言に、2人の肩から力が抜ける。2人がリオウへと視線を向ければ、いつものように笑顔を浮かべている。

 しかし、その笑顔が曲者であることは、2人とも先刻承知の事であった。

 もしリオウの意に沿わず、2人がこのまま相手を排除せんが如く紋章でも使おうものなら、今度はリオウが実力で以ってそれを阻止しようとするだろう。

 即ち、リオウの腰に下げられている武器に手が伸びる。そうなれば、紋章魔法専門のルックは勿論の事、スピードではリオウに勝てないティルとて唯では済まないのは幾度かの経験で身に染みていた。

 ルックはともかく、ティルはそのような状態を引き起こし、そのまま訓練に移行する事も間々あったが、今はその気が無い。そうなれば、速やかに戦意を放棄してしまうのが利口というもの。

 2人の間の空気が平時のものとなったのを感じ、リオウは今度こそ晴れやかに笑う。

「じゃあ、仲直りの印に皆でお茶にしませんか?今日は新作のケーキが出てる筈ですから」

 名案だというように手を打ち鳴らすリオウに、ティルは数瞬前の事など無かったように柔らかな笑みを浮かべる。

「そうだね。丁度小腹も空いた事だし、新作っていうのも気になるからね」

「じゃあ決まりですね」

 早速といわんばかりに歩き出すリオウ、その右手にはルックの右腕。

 楽しみだね。などと笑いながら歩き出すティル。右手には棍、左手には、ルックの左腕。

「ちょっ、離しなよ。僕は行かな―――」

「ルックに拒否権は無いよ。それに、離したら逃げるでしょう?」

「リオウがルックも一緒が良いって言うんだから、大人しく付き合ってあげれば良いんじゃないかな?」

 ルックの言を途中で遮り、リオウとティルはそのまま手を離す事無く、目的のレストランがある方向へ。


 結局、テレポートで逃げようとも紋章を封じられ、腕力では2人に勝てる筈は無いのは明白で。結果、開放されたのは2人が心行くまで遊び倒し、日がとうに沈んでしまった後だったのは、言うまでも無い事だった。










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