流れる砂






 気持ち悪い。緑の法衣を纏い、いつも不遜な態度を崩さないルックは、眉間に盛大な皺を寄せ、そう吐き出した。

 ハイランド皇国との戦が始まって数ヶ月相変わらず一進一退の戦況の中、数日と置かず起こるハイランドとのぶつかり合い。
 小競り合い程度の小さな戦闘はそれこそもう数え切れないほどで、今回もそんな程度と評されるものだった。
 相手陣営には将軍クラスの者は1人もいない。軍師に言わせるとごく些細なものだという、その程度のぶつかり合い。
 だが、それがどんなに些細なものであっても、リオウが自ら戦闘に立とうとするのはいつもの事。向こう見ずな軍主に頭を痛めながら、それでも兵の士気が上がるならと、軍主と共に軍の一部を率いて戦場へと向かったのもいつもの事。
 軍師が戦略を練り、軍主がそれを生かす。
 いつもより小規模の戦闘。命の危険が無いとは言えなかったが、今までの事を鑑みれば危険な状況に陥る確率はずっと少ない。


 万が一の事を考えた軍師が、今回の隊列に組み込んでいた少数の魔法師団。指示が無いためやや手持ち無沙汰の体を博しながら、それでも何かあれば即座に対応できるように、皆戦局を見極めんとしている。
 師団長であるルックは、出番の無いまま戦場が一望できる小高い丘の上に立っていた。眼下では、敵味方入り乱れて武器を振るう姿が其処此処で見られる。

「…くだらない」

 ルックにとって、無意味としか思えない命のやり取りに、心底呆れた声音が口をついた。
 平和を勝ち取るという名目で広がって行く戦火。突き進む者達には見えていない、力無き者達の嘆き。
 被害者であるが故に加害者となった者。矛盾の正義に、気付いている者はいない。
 否、気付いているからこそ、その現実から目を逸らす者も中にはいた。そして、そんな中、気付いているからこそ敢えて向き合おうと歯を食いしばる者が1人。
 ルックの視線が戦場を滑り、ある一点で止まる。そこは、中でも最も激しい戦闘が繰り広げられているだろうと思われる一角。
 乾燥しているからだろう。盛大に舞い上がる砂埃が視界を遮る中、時折覗く赤。それを見止めたルックの口から溜息が漏れる。
 まったく、軍師の怒りが目に見えるようだ。軍主のくせに、自ら一番危険な場所に飛び出す馬鹿がどこにいるのだろう。いや、一人は確実にいて。しかもそれは自軍の軍主であった。ルックに言わせると、彼は正真正銘の馬鹿なのだという。

 彼は出会った時からどこか苦手な存在だった。いつもおかしくも無いのにへらへらと締まりの無い顔をしていて、仲間を家族だと言って嬉しそうにしている。そのくせ周囲に本心を出そうとはせず、落ち込むことがあれば誰にもそれを悟らせないよう1人部屋に閉じこもる。まったく意味不明の生き物だ。
 積極的に関わって変に付き纏われても大変と、一定の距離を取りあまり接触しないようにしていたにも拘らず、気付けばリオウはいつもルックの近くに寄ってくる。
 何度邪険にしても構わず寄ってくるリオウに対し、切り裂きを発動する事など日常茶飯事で。うんざりしながらも半ば諦め、あまつさえ受け入れている自分がいた。本当に性質の悪い天魁星だよ、とルックは一人ごちる。
 そんな風に言われているとは露知らず、リオウは両手に握った武器を振るい、敵を次々と沈めて行く。いつだって彼は周りが止めるのも聞かず、敵の只中に一人突っ込んで行っては何事も無かったかのようにけろりとした顔で戻って来るのだ。敵からは多分に恐れを込めて鬼神と徒名される彼は、その時もそうなる筈であった。が、

「っ!?」

 不意に、リオウの身体が傾いだ。と思えば、体勢を整えようと踏み出した足が僅かに蹈鞴を踏む。
 瞬きする程しかない時間、出来た隙。日常であれば、どうという事はないそれは、しかし戦場では命取りとなってもおかしくは無いものだった。
 その証拠に、戦場という場に神経を張り詰めていた敵兵はその一瞬を見逃さず、一斉にリオウへと襲い掛かった。
 四方からの剣に、流石に捌ききれないと悟ったリオウは、咄嗟にトンファーを眼前に構えると頭を下げた。みすみす食らってやるつもりなど毛頭無かったが、万が一にも致命傷を負う事だけは避けたい。そう思いながら、痛みを覚悟し歯を食いしばる。
 敵兵の刃がリオウの肌を切り裂くと思われたその時、轟音と共に猛々しい風が巻き起こる。殴るような風は容赦なく敵兵を薙ぎ払い、切り裂いていく。だがその渦中にありながら、リオウに対しその風は余りにも無力であった。せいぜい服の裾と髪が僅かに乱れる程度揺れた位だろうか。数瞬の後、彼の周囲には立てる者がリオウ以外存在しなくなっていた。
 リオウは、一瞬の出来事に驚き呆然と辺りを見回していたが、すぐに何かを悟って顔を上げる。リオウの視線の先、さほど遠くない丘の上には、苦みばしった表情のルックが右手を押さえて立っていた。
 その姿を認めるなり、リオウはほんの少し口元を引き上げる。と、直ぐに表情を改め、飛ぶ様に駆け出した。向かうのは、まだ必死に戦っている仲間の元。
 走った勢いのまま、今にも仲間の兵士に対して剣を振り下ろそうとした敵兵のわき腹に痛烈な一撃を加える。速さと重さのある一撃を受け、敵兵は堪らずもんどりうって倒れた。
 リオウはざっと周囲を確認し、負傷している者が多いのを見て取るなり、右手を高々と掲げる。その瞬間、爆発的な白い光がリオウのその右手を中心に迸り、輝く盾が顕現する。光に慰撫され兵士の傷が見る間に癒され消えていく。
 回復に属する紋章魔法は数あれど、これほどの圧倒的な力は流石完全ではなくとも真の紋章といったところか。
 兵士達は凛と立つリオウの姿に再び力を取り戻し、立ち上がる。誰とも無く掲げられる拳。
 大地を揺るがす歓喜の雄たけび。轟くその声の中心にはリオウの姿が。
 その声は、輪の中心から離れた丘の上に立つルックの耳にも容易に届いた。ルックは顰めた顔をそのまま、何とか己の制御下に戻ってきた紋章を確かめるように己の右の手の甲へ視線を落とした。
 ルックやその後ろにいる魔法師団にまで影響を及ぼしたその光に慰撫されて漸く大人しくなった紋章から意識を外し、視線は再びリオウの方へ。
 先程の場の空気はもう既に過去のものとでも言うように、リオウは再び血生臭い命の奪い合いへと戻っていた。後方から振り下ろされた剣を左のトンファーを振り上げる事で弾き、反動で後ろに仰け反った敵兵へ振り向きざまの一撃をお見舞いする。戦場にありながらまるで舞を舞っているかのようなリオウに、先程のような乱れは一切見られず、だがそんなリオウを見つめるルックの表情は厳しい。

 最早気力だけで動いているのだと気付いている者は、恐らくルックだけだろう。否、軍師はその異変に気付いているかもしれないが、状況を見極め何事も最適な判断を下す事を生業としているあの男の事、今はまだ止めるべきではないと考えているのかも知れない。
 だが、ルックの見識は違う。真の紋章は人間の考えるより遥かに自分本位で、宿主の都合などお構いなしなのだから。幾度と無くその我侭に振り回されている被害者の一人としては楽観視出来ないのも道理というもの。そして、いつだって紋章はその力を解放する時を狙い、一度宿主が我を忘れればここぞとばかりに主導権を握ろうと暴れ出す。先程のルックがそうであったように。
 しかも輝く盾は真の紋章として不完全であり、今でこそお互いの見解が一致しているからだろう、大人しい振りをしているが、それでも呪いの事を考えれば、そう楽観視できたものでもない。
 かといって、根っこの部分ではどうであれ積極的に関わる気がないルックが、親切に助言する事など端からありえない話で。

 そうこうしている内に、戦局は加速度的に収束していった。敵兵の中で動いている者は少なく、戦意を喪失し武器を取り落としてる様子から、彼等を捕虜として拘束するべく動きを変えた味方の様子に危機は去ったのだと分かる。
 ルックは最早自分の出番は無いと結論付けると、背後の部下達にそれを知らせるべくあっさりと踵を返し戦場に背を向けた。

 小さいとはいえ確かな勝利に沸きあがる声に、ルックはそちらを一瞥もせずに杖を振る。恐らく暫くはこの熱気が収まる事は無いだろうし、そうなればリオウとて無理をしてでもその場に残るだろう。今までの事を考えれば容易に分かる事で。ならば元々居たくもないこの場に己がいる必要はない。
 転移の風が身体を取り巻き、慣れ親しんだ浮遊感に身を委ねるルックの視線が一瞬背後へと投げられる。そして、そこに未だ立ち続けるリオウの姿を目にした瞬間、引き結ばれた口元が弛み吐息のような声が漏れる。と、それが音となる前にルックの姿は完全に戦場から姿を消した。










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