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 03 Part4 ]\ 「一人じゃない」


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イノセンスは無事にアリスの体内に入り、一応は同調を果たした。コムイと彼女を部屋に送り届けたものの、一向に安心感は湧いてこない。それどころか不安ばかりが募っていく。アリスは本当にあの町での一件から立ち直れているのだろうか。
もしもまだ蟠っているものがあるとしたら。そう考えると、彼女が徐にエレベーターの手摺りから身を乗り出そうとした光景が脳裏に浮かぶ。アリスは単純に初めてみる機械への好奇心から起こした行動だったのだと言っていたが、咄嗟の瞬間にオレの頭の中を支配したのは汽車の最後尾で見た慟哭の想起だった。あんな姿を見た後では身投げと見間違っても仕方が無いだろう。……或いは単に自分だけが無理やり彼女と「死」と近いものとして繋げようとしているだけなのか。
脳内の整理がつかない。ただでさえ底深い死が潜む前線に立つエクソシストという役目を与えられたに限らず、そのイノセンスは短命の寄生型だというのだ。
しかしこれは我が身に与えられた運命ではない。他人事だ。それは分かっているが、どれだけ地下の書庫に篭っていても他人事だと切り離せない。目でなぞる文字が情報ではなく読解できない記号にしか見えない。

――これなら、じじいのいびきでも聞きながらの方が多少はましかも知んねーな。

元来この書庫に蔵される物は持ち出してはならない。けれどもそんな約束は密かに何度も破っている。拝借した書物はきっちり数時間の内に返却し、尚且つ持ち出している間は自身の手から決して離さないように気を配っている。故に問題はない…………とは言い切れないが、詰まる所傷つけたり無くしさえしなければ大事にはならないだろうと軽い自己判断を信用していた。

四冊の本を抱えて居住階層へ登る途中、談話室の側を通りかかった時に人の声が聞こえたような気がして立ち止まった。耳を澄ませてみると、すすり泣く声のようなものが聞こえる。時刻も時刻だ。ここに登ってくるまでに誰一人としてすれ違う人間がいなかったのも手伝って、よからぬ憶測が過ぎる。

――…………幽霊、とか?

いやいやあり得ない。と思いながらも、以前科学班員から教団には霊がいるという話を聞いたのを思い出す。対してその時は真剣にその話を受け止めてはいなかったし、彼ら曰く霊が出るというのはとある非人道的な実験が繰り返し行われた旧実験室であり、現在は備品室となっている場所に限定されている。
それ以外の場所で怪談の類の噂は聞いたことがなかったので、記憶の片隅に追いやっていた情報だった。出来ればこんな時に思い出したくはなかった。

しかし己の好奇心は恐怖心を凌駕する厄介者で、さっさと階上へ行けばいいものを足は談話室へと向かっていく。扉の設けられていない開放された室内に入り、背を屈めて灯りのついていない空間を見渡す。
人影はない。しかし泣き声は止んでいない。恐らくまだこの声の主はオレに気付いてはいない。音の出所を探りある程度の方向を確認して進む。並ぶ長椅子の影から影に移りながら近付き、涙を流す何かがいるであろう真正面となる椅子の背までやってきた。
ここまで来ると臆病風もどこかへ飛んでいっており、もしもこれが霊だとしたら一体どんな姿が後ろにあり、一体何故こんな場所で泣いているのだろうと思考はやや冷静になっていた。
しかし、その冷静さと探究心が導いた先にあったのは、この堪える泣き声に聞き覚えがある気がするという予感だった。

――幽霊じゃない。この声は……。
相手に気付かれない程度に顔を覗かせて、机を隔てた対面の椅子を窺い見ると、そこにいたのは長椅子の上で横になって身を竦めるアリスだった。
咄嗟に身を隠していた椅子を背にしてその場に静々と座り込んだ。

やはり彼女の心が受けた傷はそう易々とは癒えなかったのだと痛感した。
けれども、もうあの日のようにその悲しみを知りながら、全身で受け止める事が自分には出来ない。
見なかった、聞かなかった事にして立ち去るのが正しい選択だろう。それは十分分かっているが体は一向に動いてはくれなかった。

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一、二時間だろうか。暫く経ってアリスは泣き止んだらしく部屋は真に静謐となった。しかし立ち上がる気配も身動ぐ音も聞こえて来ない。
再びゆっくりと彼女の様子を見遣ると、どうも眠っているらしい。横臥したまま目を閉じて緩慢な呼吸に肩を揺らしていた。
そっと近付いてアリスの間近でしゃがみ込む。その面持ちは安眠に身を委ねているのではなく、疲労に堪え兼ねて気を失っているかのようだった。閉じられた目の縁の間は涙で濡れている。

抱えていた本をその場に置いたままに立ち上がり、一度自室に戻った。自分のベッドに無造作に置かれた毛布を掴んで再びアリスの許へ帰ると、確と寝入っているのを慎重に確認してから毛布を体に掛けた。
今の自分に出来ることはこれが限界だ。

けれども、あと一つだけ。たとえ彼女に聞こえなくても告げたい事があった。
それを胸懐で呟きながら、顔に掛かって涙に濡れる髪を退けて髪を梳くように一度だけ撫でる。彼女が起きてしまわないように、これ以上彼女に傾倒しないようにと、緊張と躊躇いにぎこちなく指を流した。
少しだけ、悲哀の翳りがあったアリスの表情が和らいだような気がした。多分、オレがそう思いたいだけの錯覚に違いない。
いつの日か教団とそこに在る人々が居場所となり、彼女が穏やかに眠れる時が来ることを願いながら、三冊の本を抱え談話室を出た。

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