長編小説 | ナノ



 Petit à petit, l'oiseau fait son nid


]X

微かな肌寒さに目を覚ますと、部屋に白い陽光が薄ぼんやりと広がっていた。いつの間にか眠ってしまっていたのだろう。中途半端な姿勢で寝入ってしまったのか、私は枕から離れた寝台のやや下部で丸まっていた。寝ている間に暖を求めて手繰り寄せたらしいシーツは、乱雑に身体に纏わりついている。
けれど今回は例の夢も見ずに済んだし、目覚めは昨日同様晴れやかだ。昨夜ラビに会えたおかげだと思う。

――……。ラビ…………。私、そういえば、何かを忘れているような……。

俄かに「あっ」と声を上げて起き上がり、戦々恐々としながら視線を身体に落とした。そして己が身につけている衣服を認め、朝日のように爽やかに伸びていた心持ちは一気に落下した。ラビが貸してくれた服が皺だらけになっていたのだ。折角のすっきりと纏まった意匠が、無数に広がる皺で台無しになっている。
記憶を漁ってみると、確かに私は己の魔に唆されるまま「少しくらい横になっても」と、寝台に寝そべった。そして「うとうとし始めたら上着を脱げばいい」そう安心しきって目を閉じてしまったのだが、それが大いなる間違いだった。
急いで服を脱ぎ懸命に手のひらで広げてみても、直る気配は全くない。このまま返そうものなら、人の物をぞんざいに扱ったと思われてしまう。なんとかしなければ、と服を携え部屋を飛び出した。

即刻足を向けたのは隣の部屋だ。まだ休んでいたら申し訳ないと思いながらも、今頼れるのは彼女しかいない。どうかと願いながら扉を控えめに叩いた。
「リ、リナリー……、起きてる?」
すると明るい声が室内から返ってきた。いつもの彼女の優しく透る声音が、今日は光までもを纏って流れるように感じる。時を待たずして彼女は扉を開けて部屋に招き入れてくれた。
「おはよう、アリス。どうしたの?」
「あの、……実は…………」
情けなさに肩を萎縮させながら、後ろ手に持っていた服を見せ事情を伝えた。すると彼女は悩む間も無く笑顔を向けてきた。
「大丈夫よ。管理班の洗濯階に行きましょ。これくらいの皺取りならきっとすぐにやってもらえるわ」
「あ…………。そっか……」
「ふふ。焦っちゃうと頭が真っ白になるわよね。アリスの場合は、ラビが関わる事限定かもだけど」
彼女にしては珍しい含みのある微笑だ。どうしてラビの事を強調されたのかはよく分からなかったが、全く頭が働いていなかったのは事実。思わず恥ずかしさで染まる顔を隠そうと顔を下に向けたが、すぐさまリナリーに腕を引かれた。
「ほら、もたもたしてるとラビとどこかで会っちゃうかも。この時間ならもう管理班の皆も起きてるから、急いで行きましょ!」
どうやら一緒に来てくれるらしい。まだ浮つきが収まらない頭に不安を感じていたので、付き添い人がいてくれるのは絡まった心緒が少しだけ解けるようで心強い。

足早に二人で階段を降りていく途中、不意に階下から私達のものとは違う足音が聞こえてきた。誰かが登ってきているらしかった。それがラビなのかは分からないが、予感めいた不安が身内で広がり鼓動が慌て始める。手すりから少しずつ頭を出し、慎重に下方を覗き込むと、なんと心慮が的中していた。
すぐに顔を引っ込めてリナリーに向き直り、身振り手振りで策を乞うた。

――ど、どこかに隠れる……!? それとも部屋に一旦帰った方が……?

ここはまだ居住階層なので隠れられる部屋は無い。エレベーターを呼べば当然見つかってしまうし、もはや万策尽きたのでは。私は落ち着きなく階段を一段ずつ降りては登ってと繰り返し、ひたすら狼狽していた。けれどリナリーは口元に手を当てて「この階だったら……」と冷静に思案していた。もうこうなったら彼女のひらめきに任せる他ない。私は足を止めて固唾を飲み、手の平を組み合わせた。すると切迫の眼差しが閃きを捉えたように輝いた。

「アリス。あの突き当たりを左に行けば、奥に搬入用のエレベーターがあるの。そこから管理班の階層にいけるわ」
視線で示されたのは吹き抜けを間に挟んで真正面に見える通路だ。ここからだと死角になっているが、教団の中心を穿つ吹き抜けを四方で囲む回廊は、一箇所だけ奥へと引っ込んだ通路を有していた。また私は焦燥のあまりこの階層の見取りを失念していたのだ。
「流石リナリー……!」
やはり彼女に付いて来てもらったのは正解だったと、歓喜を込めて彼女を見つめれば、人差し指を立ながら凛々しい目つきが私を諭す。
「あ、ご……ごめん」
「私は降りてラビを引き留めておくから、ここからは一人で行くのよ。地下三階だからね。間違えちゃ駄目よ」

その語気は強大な敵を引き受け、仲間を先に送り出す戦士の如き真剣な色だった。
彼女がここまで過保護になってしまう原因は、悉く間が抜けている私にあるだろう。彼女の深慮を確と受け止め、次こそは失態のないようにすると真摯な目を返し、静かに送り出してもらったのだった。

足音を立てないように気を張りながらも早足で進み、エレベーターに乗り込んだ。二、三度頭の中で確認しながら、リナリーに言われた通りの階に通ずるボタンを押した。
……つもりだったのだが、どうやら私は早速押すべき階を間違えてしまったらしい。
扉が開いた時、目の前に広がる景色は鉄筋で形成された保管庫の群れだった。ふと階層を示す数字を確認すれば地下七階と示されている。科学班の研究室群の階層だ。
ここは中央エレベーターでヘブラスカの間へ行く際に何度も見ている場所だが、原則許可された者しか入れない。強固で広い空間を必要とする研究及び実験室、重要な資料を保管した書庫などが置かれていて、同時に危険な薬品の保管庫もあるそうなので、班員達からも危ないから絶対に立ち入らないように言われている。

――でも、おかしいな。何度も三階って確認して押したはずなのに……。

数字を見間違えるくらいに焦っていたのだろう。今一度深呼吸をしてから扉を閉めようとしたその時だった。視界の端で鉄の足場を白と金が形取る影が通路に入って行くのが見えた。それは髪の長い少女の姿だった。
私は慌てて扉の外へ出て、少女らしき影が入っていった通路を見遣るが、誰もいない。見回しても少女どころか科学班員の姿さえなく、冷たい耳鳴りがしてきそうな程に辺りは静まり返っている。
けれど、姿形が大分はっきりとしていたあの人影が、単なる見間違いだとは納得出来ない。私は眉間を顰め首を傾げた。
視界の端に映った姿は随分小さかったので、もしも見間違いではなかったとしたらこの階層を彷徨くのは危険だ。
何らかの理由で教団へ来ることになった子供がつい先ほど教団に到着し、そして迷子になってしまった。という可能性も有り得る。このまま無視すべきではないだろう。
立ち入りを禁じられている場所に無断で踏み込むのにはかなり躊躇したが、妄りに部屋へ入ったり物品に触れたりしなければ大事にはならないだろう。私は気を引き締めて影が入っていった先へと進んだ。

通路の奥を見遣ると、そこから向こうは床も壁も石造りになっていた。薄暗く古めかしい様相の廊下は、百年前の造りの名残だろう。教団は何度か増改築を繰り返して今の形になったと聞いたことがある。特に科学班の利用する設備は、科学の進歩に寄り添ってその進化も著しい。
とはいえ近代様相に取り囲まれた不釣り合いな空間は、何故ここだけ改築されずにそのままの様式なのかと素朴な疑問を抱かせる。そんなことを思いながら目探ししていると、奥で扉が軋む音がした。

――やっぱり誰かがいる!

駆け足に進むと、立ち並ぶ扉の一つが半開きになっていた。そしてひと繋ぎの白い衣服の裾と、ゆったりとなびく金の髪が隙間に吸い込まれるように入っていく。今度ははっきりと確認出来た。

「待って、そっちに行っちゃ駄目だよ!」
声を飛ばしたが、私に気付いていないのか少女が部屋から出てくる様子はない。そっと隙間から部屋を覗き込んでも、入り口付近は無人。奥の方は明かりが届かずよく見えなかった。扉を開け放って奥へ立ち入りたいところだが、私は息を潜めて踏みとどまった。
微かな光に照らされている薬品の保管棚、そこには黒だとか赤だとかの色味の、明らかに人体に危険を及ぼしそうな液体が入った瓶が所狭しと列を成している。扉を開ければすぐ目の前にそれらが待ち構えているのだ。立ち入り禁止であると厳重注意を受けずとも、これは踏み込むのを躊躇する。
悩みに悩んだ末、私は扉を半分だけ開けて、まずは片足だけを半歩ほど中に入れてみた。
身体を傾け顔を中に覗かせてみるが、少女の姿は見つからない。先程つい声を上げてしまったので、怯えているのだろうか。

「さっきは驚かせてごめんね。私、アリス。この部屋には触ったら危ないものが沢山あるの。だから出てきて」
反応はない。少女は息を殺してじっとしているのか、足元をにじる物音ひとつさえもない。致し方なく周りに気を付けながらも私は中に入り、壁に背を張り付けながらなるべく棚に近づかないように一列ずつ棚の間を見ていった。すると三列目と四列目の間でさっと横切る影を認めた。しかし影が動いた先に目を凝らしてみるも、何もない。

……この子もイノセンスの適合者としてここへ来た子なのだろうか。だとしたら、生活を家族と過ごしていて、平穏と引き離されてしまった事自体に怯えている可能性もある。或いは、それが自分の所為だと思っているのでは。……何だか過去の自分と少女を不意に重ねて心苦しくなった。

「誰も怒ってないよ。怖いこともしないよ。だから大丈夫」
けれど、物音ひとつ返ってこない。何かに怯え、恐れているというのは考えすぎたか。
……もしやこの子は純粋に遊びたいだけで、本気の隠れんぼに付き合う流れになってしまったとか。
「ここで隠れんぼしてても、狭いからすぐ見つかっちゃうと思うなぁ。もっと広くて楽しい所に行かない?」
予想は全て外れらしい。少女が姿を現してくれない原因は一体何なのだろう。懸命に思考を働かせても、これ以上掛ける言葉が思いつかない。けれど、無理やり引き摺り出そうとするのは間違っている気がするし、とは言えこのまま少女を放っては置けない。
「…………困ったなぁ……」
考えあぐねて腕を組んで項垂れた。

その時ふと閃いたのは、ラビがイーファと話す時に取っていた所作だ。彼がしゃがんで優しく話しかけた時、イーファは警戒を解いてこちらに近づいてきてくれて、そして心を開いてくれた。

――あの子と同じ目線になってみよう。そうしたら少しは私の話を聞いてくれるかも知れない。

まずは少女に聞く耳を持ってもらう事から始めよう。私はゆっくりとしゃがみ込んだ。すると、入り口から俄かに叫び声が上がる。
「うわっ!? だ、誰!?」

驚いて声の方を見上げれば、その矢庭目に映ったのは幾つもの薬瓶だ。その内の一つに貼られたラベルの髑髏と目がかち合った瞬間、考えるまでもなく飛び退いて避けた。すると瓶は床に叩き付けられた衝撃で二つ三つ割れる。たちまち中の液剤が混ざりあい、水が激しく蒸発するような音を立てて青とも紫とも見受けられる煙が発生した。

「あっ……!? アリス!?」
立ち上がる異様な煙の向こう、そこに立っていたのはジョニーとタップだった。その腕には木箱とそれ一杯に詰め込まれた薬品が入っている。どうやら私が屈み込んでいた所為で驚かせてしまい、その拍子に木箱からいくつかの薬品が落ちてしまったようだ。
「ご、ごめん気付かなくて! 怪我してない……っ!?」
ジョニーが慌ててこちらに近付こうとしていた。けれどふと、硝子が割れる音がして視線を落とせば、髑髏が描かれた薬瓶の中身が流れ出し、その上煙を上げる薬品に混ざりそうになっているのが目に映った。毒々しい色の液体が混ざり合った時、一体どんな劇薬に成るのか想像もつかない。

「ジョニー、来ちゃ駄目!!」
私は反射的に彼を遠ざけなければと駆け出していた。すると一気に視界が真っ青な煙に包まれた。想像以上に体を覆う煙の量が多すぎて、慌てて息を止めるも少量吸ってしまう。
煙のざらつきが鼻腔にまとわりついて大きく咽せてしまい、さらに大量の煙を吸い込んでしまった。けれど案外すぐに煙は失せて、あっという間に視界が晴れると、意外にも咳はすぐに落ち着いた。
慌てて自分の頬を触ってみたが、肌が爛れているといった事もなければ、身体機能への異常も特段感じられない。周りを見渡すものの、辺りに火災などの被害も無さそうだ。
「皆、大丈夫……!?」
入口に向かって声を飛ばすと、彼らは口を大きく開けて一様に驚きの色を浮かべていた。
「あ……、えっ……、アリスこそ……大丈夫!?」
「うん、私は大丈夫だよ」
「でも…………」

ジョニーがひどく狼狽えて私に向かって人差し指を突き出した。それはやや上の方に向いている気がする。
上に何かあるのか、それとも後ろかと首を回してみたけれど、何も無い。思わず首を傾げて彼らを見返した。
「耳が……生えてる……」
タップが当たり前のことを言ってきた。ますます私は頭の中が疑問符だらけになってしまい、念の為自分の耳を触ってみる。大丈夫だ、ちゃんと私の耳は正しく生えている。
「違っ、う、うえ……っ、上!」
「上?」
言われるがまま、耳に添えた手を上にずらしてみた。……すると。
「なに、これ」
明らかに私の髪とは質の違う、細くて柔らかい毛のようなもので覆われた薄い何かが生えていた。大きさは私の掌よりも小さくて形は三角形に近いような気がする。例えるなら、犬や猫といった動物の耳……。そこで漸く私はジョニー達が当惑している意味を理解した。

「……耳が、生えてる…………?」
恐々と投げかけた問いに、ジョニーとタップが凄まじい早さで何度も首肯した。

]Y

三人揃って慌ただしく一班の部屋に駆け込み助けを求めれば、忽ち皆の視線と驚愕の声が集まってきた。
どうしたものかとあれこれ議論が方々で始まるが、階上から降ってきた一言が騒めきを止めた。

「おい皆。切羽詰まってるからってあんま騒ぐなよ。三班の方まで響いて、ん……ぞ」
階段を悠々と降りてきたのはリーバーだった。けれど彼もまた、他の班員達同様に私と視線が交わった途端に目を一杯まで見開いたまま硬直した。
そしてみるみるうちにその形相が怒りに変貌していく。
私は瞬時に萎縮した。
きっと勝手に薬の保管庫に行った事を怒られるのだと。今の所、私の頭に生えた動物らしきものの耳に科学班一同は驚くのみで、何故立ち入りを許されていない場所へ行ったのかという叱りはまだ受けていない。
怒鳴られる前に謝ろうと口を開いたが、私の小さな声は即刻リーバーの激昂に遮られてしまった。
「あんの問題製造機……!」

すると彼は地ならしを起こしそうな歩みで私の方へ近づくと、声音や形相とは真反対の優しい手つきで私の頭を撫でた。
「悪かったな、こんな事になってびっくりしたろ。ひとまず室長を叩き起こそう」
「あ……の、ううん。ごめん……」
「アリスが謝る事じゃねぇよ。悪いのは全部あのシスコンだからな」
まだ何の説明もしていないのにコムイの所為だと決定付けられている理由は不明だ。けれどコムイはこの一件になんら関係ない。誤解だ。
「でもコムイは関係ないの」と主張しようとするも、不意に後ろから肩を叩かれたので振り向いた。するとタップが無言で小さく首を振ってきた。恐らく何も言わない方がいいと暗に助言されているのだと思う。けれどこのままでは何の謂れもないコムイが怒鳴られてしまう。
自分の罪を打ち明けるべきか、タップの配慮を素直に受け取るべきかと逡巡している内にリーバーが歩き出してしまったので、私は何も言う事が出来ずに慌てて追いかけた。

「室長! またしょうもない実験に人を巻き込みましたね」
階段を降り切って早々にリーバーが声を飛ばすと、奥の机に山積みになっている書類の方から「何の事ー?」と間伸びした声が返ってきた。
「すっとぼけないで、いいからこっち見てくださいよ」

もぞもぞと白い帽子が紙の山の頂から浮き上がってくる。そしてこちらに顔を覗かせた途端、コムイは一気に表情を険しく歪めたので、私は慌てて俯いてしまった。
それからコムイからは続く言葉が何もない。まさかコムイまで怒らせてしまったのかと、恐る恐る顔を上げれば、彼は何故か目を爛々と輝かせていた。

「それはリナリーに猫耳が生えたら絶対可愛いと思って調合した猫耳薬の効果かい!?」
「り、リナリー……、猫耳……?」
「……はあ。やっぱりな」

嬉々とするコムイと肩をすくめるリーバー。噛み合っていないようで何処か噛み合っている二人の反応に私は全く追いつけていない。

「いやぁ。その薬、結局失敗しちゃったから破棄する事にしたんだけど、その辺に流したりできないから、後々他の実験薬と一緒に捨てるつもりだったんだー。でもまさか別の薬と混ざって完成しちゃうとはね」
つかつかと満面の笑みを浮かべてコムイがこちらに近づいて来る。
「ちょっと触ってみてもいい?」
そう言いながら、いつものように私の方に掲げられたコムイの手は、腕ごと確と掴まれてこちらに向かってくるのを阻まれる。
「駄目に決まってんでしょ。室長は薬の効果を打ち消す方法を今すぐ探して下さい」
淡々とリーバーに却下され、あれこれと文句を言っていたコムイだったが、二人が揉めている内に援軍のごとく他の班員達が部屋に雪崩れ込んできた。そしてあっと言う間に取り押さえられた彼は班員達に担がれながら何処かに連行されてしまったのだった。
私はというと、その怒涛の展開を憮然として眺めていることしか出来なかった。

立ち尽くす私を気遣って、ジョニーが上の階に戻ろうと促してくれたので大人しくついて行った。
「治す方法が分かったらすぐにゴーレムで連絡するから、待ってて」
「うん……、余計な手間を掛けちゃってごめん」
「アリスは悪くないよ! あ。それより、これ良かったら使って」
「急拵えだけど」と付け足して彼が差し出したのは、フードのついた丈の短いケープだ。
「これ……さっきコムイの所に行ってる間に作ってくれたの……!?」
「ちょっと雑で申し訳ないけど……。アリスに猫耳が生えたとなると大騒ぎになりそうだなぁと思って」
あまり大事になって皆に心配を掛けたくないと思っていたので、彼の配慮はとても有難い。それに私の普段着にも合わせやすい色と様相なので、これなら違和感なく耳を隠せそうだ。
「ありがとう……!」

そうして科学班室を後にしたものの、コムイが解決策を編み出すまではあまり出歩かずに部屋で大人しくしていた方が良さそうだ。科学班室を去る前にリーバーに釘を刺されたのだが「アリスの事になるとリナリーが本気で室長を怒りかねない。そうなるとあの人全然仕事に身が入らなくなるから、極力リナリーにも秘密にしててもらえると助かる」と言うことだ。
彼女に隠し事をするのは罪悪感を禁じ得ないけれど、元々は私が招いた事件なので、これ以上コムイの気苦労を重ねられない。私は誰にもこの異常を悟られないようにすると、決心を拳に握って部屋を後にした。

けれど私は一階に上がって来たところではたと足を止めた。
「……あの子、まだ保管庫にいるんじゃ……」
我が身の異常事態ばかりに気を取られてしまい、少女の事をすっかり失念してしまっていた。身体の向きを反転させて、駆け足に階段を降りていく。

――……あれ、そういえば、まだ私は忘れていることがあるような……。

踊り場に差し掛かり、階段の折り返す先から不意に人影が現れたので足を止める。ぶつかるのを免れたのは良かったが、曲がった先から現れたのは黒の団服を纏った赤髪で隻眼の彼だ。
「あ。アリス」
「ら、ラビ……っ」
思いがけず私は目を見開いてしまったが、どうにか「しまった」という表情は出さないように顔を引き締める。緑玉の眸と視線が交われば、その眼差しは緩やかに細まって笑いかけた。

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