長編小説 | ナノ



 Le monde de arc en ciel d'étoiles


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声は鯨の内側から響いているように聞こえた。少女のように無邪気そうな声音だが、まさか鯨が発しているのではないだろう。
辺りを警戒しながらも鯨の背から岩盤へと降りた。すると私達がそうするのを待っていたかのように鯨は白い巨躯を高く宙に浮かせた。
ここで全貌が漸く明らかになった。私達が乗って移動していたのは予測通り、本来ならば大海を泳ぐ鯨で間違いない。上から見るよりも、こうして見上げている方が遥かに巨大に感じた。
まじまじと眺めていると、体のやや後方に位置している眼球が私達の方向を見ているのに気付いた。偶然というよりは敢えて目を合わせるべく向けているのではないか。そして再び声が響く。

「修道士さん達、ちっちゃい子じゃないのに怖がってて面白かったよ。笑わないようにするの大変だったもの」
俄かに、体に反して随分小さい目元が笑みに似た歪みを見せる。

「ち、ちょっと待て。やっぱ喋ってんのはお前……なんだよな?」
ラビが指差しながら戸惑い気味に声を上げると、鯨の目蓋は緩慢に瞬き返答するように巨大な尾ひれをひと扇ぎする。
「そうだよ。びっくりした?」
「そりゃあ、な。……さっき言ってたメレクとかいう奴は、オレらをどうするつもりなんさ」
「よくわかんない。私は背中に乗ってきた人をここに運んでってお願いされただけなの」

どうも受け答えが子供のようだ。鯨の知性故なのか大きさに見合わず実は幼いのかは分からない。声調の様子からも嘘をついて誤魔化そうとしているようには聞こえず、悪意どころか純粋ささえ覚える。

鯨はまだ動き出す様子がないので、私も疑問を一つ投げかけてみた。
「私達の他にも、ここに連れて来た人はいる?」
「ううん。人が来たのは初めてだよ。前に変なお化けみたいな奴らが背中に乗って来たけど、怖いからみんな落としちゃった」

「お化けってどんなヤツだったの?」
エマティットが問うと、鯨は拙いながらも素直に「丸っぽい」だとか「煙突みたいなのが沢山ついていた」だとか「顔みたいなのがあったけど怖かった」と説明してくれた。恐らく私達が来る以前に鯨の背に現れたのはアクマだろう。

「そろそろ行かなきゃ。じゃあね」
「あ、待って!」
私は思わず声を上げていた。しかし、声を放ってから視線が集中するのを感じ、不用意に出しゃばったのを後悔した。
しかし鯨は私の方へ瞳を向けてじっと待っている。先程よりも声量を落として鯨に問い掛けた。
「私、アリス。……貴方の名前は?」
この状況でそれを尋ねる意味があるのかと言われると答え辛い。けれどこの鯨の事をもう少しだけでも知りたいという直感に突き動かされていた。

「フィオナ」
答えは少しの躊躇も疑念もなく返ってきた。
その瞬間、全く意図せず私の思考は一つの仮説を脳内に描く。
余りに唐突な発想に自分自身でも驚いたが、もしもそれが正しければ、この子がこんなにも純粋である事も頷ける。
出来ればもっと情報を得たかったが「メレク」という存在は、私達だけではなく彼女にとっても好意的かどうかが定かではないので、長く引き止めない方が良いだろう。
それに一人であれこれと勝手に判断するより、頭の中の仮説を皆に報告する事が先決だ。

「フィオナ、教えてくれてありがとう」
彼女に向かって笑むと、見間違いかも知れないがほんの少しだけ目蓋が細められたような気がした。
「バイバイ」と告げて空を泳ぎ出す姿に小さく手を振り見送る。

広い夜空に向かって、白い巨体は走っているように尾鰭を上下に力強く波打たせ、みるみるうちにその姿を小さくしていく。そして白く光る星と同化するように姿が見えなくなった。その折にブックマンが呟く。

「病に罹った子の内の一人だな」
「え? 何がですか」
エマティットが疑問を投げ掛けた。するとラビが口を開く。
「資料に載ってた名前。七日前に眠りについてから目覚めていない女の子さ」

ブックマンとラビも告げられた名前に素早く反応していたらしい。恐らく彼らが想像している事も私と同じではないだろうか。
エマティットはラビの言葉に目を丸くして驚きを露わにする。
「それは……。単なる偶然じゃなさそうだね」

直ちに話し合った結果、四人が共通で想像した仮定は大方一致していた。
この世界はイノセンスが作り出した現実とは異なる空間であり、目覚めない子供達の精神は此処に閉じ込められている状態にあるのではないか、という推察だ。
ともすると、先に進めば他の目覚めぬ子供達に会えるかも知れない。私は此方を見下ろし聳え立つ城を見つめた。

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無骨な岩の道を抜けた所に、鈍くも光沢のある石で造られた新たな道が現れた。緩やかだがかなりの段数の階段だ。四人が横並びになっても余りある幅で、一辺毎を精密に測ったかのように洗練されている。それを見た際に浮かんだ印象はひとえに「美しい」だった。

そんな坂道さながらの緩い階段を登り続けていくと、次は巨大な城門が見えてきた。
教団の門番であるアレスティーナの倍以上は高さがあるのではないか。門の左右には同じく大きな黒銀の壁が広がっており、斗出して高い城意外の内側にある景色を遮っている。
聳える門に近付くが、周囲には一切見張りはいない。だからといって眼前の巨大な扉が開く気配もない。

「手動で開くような物でもなさそうだな」
「……小僧、下がれ」
門扉に触れて、軽く押したり何か操作できる物がないかを探るラビに、静かにブックマンが告げた。
途端、足元の石畳の色が黒く変色し、液状に変化しているかの如く揺らぎ出す。門に近付くなと言わんばかりに波打ちを激しくする地面が盛り上がってきた。
私達は十分に距離を取ってその様子を見る。イノセンスが発動できない今、下手に近付かない方が賢明だろう。

やがて地中……というよりは別の次元から空間を繋いだかのようにゆくりなく姿を現したのは、中世の騎士を思わせる板金鎧であった。形状は兎も角、古めかしさを一切感じさせない鎧の輝きに思わず眼を見張る。
顔は勿論、身体の全てが金属板で覆われているので、何者かがそれを纏った状態なのか、鎧だけが現れたのかは定かではない。

この時点で十分なまでに息を飲んでいる私の眼を更に見開かせたのは、その鎧は明らかに大きさが人間のそれではなかったからだ。
成人男性の二倍はある背丈で、尚且つ身体の厚さも人間離れしている。余程の筋肉量と骨格の逞しさがなければこの鎧を身に付けることはまず出来ないので、形は人のそれであるが最早種族の違う生き物専用ではないかとさえ思える。

揺れる空間から全貌を露わにした鎧は、地面の揺らぎが収まると同時に腰に付けた剣をしなやかな動きで抜き、片手で私達に向けた。
剣一つにしても大きさが私達の尺度と違い過ぎる。一層の事切らずに平面で叩きつけても、私達に対してなら攻撃として成立する程の大剣だ。
そしてそれを軽々と、しかも全身に装甲を纏いながら少しも挙措に滞りを見せず、そして剣を向けている今も片手で重みを支えられる膂力。
そんな相手を前にして、背が凍りそうな心持ちだ。
フィオナのように穏やかに対話するのは難しいかも知れない。

仮にイノセンスがあっても私では恐らく歯が立たない。だとしたら、どう立ち回れば皆の足を引っ張らずにこの場を切り抜けられるのか。
相手は威嚇しているだけなのか、それとも既に攻撃態勢に入っているのか、予断は許さない状況だ。

けれど、緊迫の空気に臆することなく淀みない声を上げたのはラビだった。
「なあ、聞きたい事があんだけどいい?」
私は身構えながらもラビを見遣った。
彼は一切攻撃を放つ姿勢も受ける姿勢も取っていない。敵意はないと一眼で分かる面持ちで、鎧に視線を送っていた。
驚く事に、鎧の騎士は返答はないものの僅かに剣先を下げて聞き入れる意思を見せた。

「ニアールの事を知ってるか?」
「…………ニアール?」
そこで初めて鎧が声を発した。もしも声が聞けるとしたら屈強な男性の声を想像していたのだが、寧ろ正反対で、声変わりもしていない少年のような声であった。

「そうさ。イーファの兄ちゃん」
私が眼を瞬かせている間にも、ラビは表情を変える事なく寧ろ飄々とした様子で言葉を返す。そんなラビの様子に感化されたのか、鎧の騎士は構えを解いて剣を収めたのだった。

「知ってるも何も、僕がニアールだよ」

「…………え!?」
声を上げたのは私とエマティットだ。ラビとブックマンを見遣ると、二人は全く面持ちに感情の揺れが見られない。もしかしたら初めから予想していた可能性がある。

故に冷静でいられたのだと納得は出来るが、相手が子供だと確証があったとしても、普通は刃を向けられ容易く無防備にはなれない。
死線に限らず、ブックマンとラビはこうした逼迫した状況下での対話や交渉も慣れているのだろうか。

「みんな心配してたぜ。こんなとこで何してんだ?」
「…………。出来たら家に戻りたいんだけど、その前にやらなきゃいけない事があるんだ」
「それって何?」
「メレク様が“待ち人“に会えるまで、悪魔から守ってあげる約束をしてて……」
「約束?」

ニアールによると、熱に浮かされ朦朧とする最中、助けを乞う声が聞こえたらしい。
その声は「守ると約束するのならば代わりに病を取り除いてやろう」と告げたのだという。
提案に承諾すると、身体の重みや痛み、熱の苦しみが一瞬の内に消えて、自室とは全く異なる地に立っていた。それがこの不思議な世界だ。

この世界と同時に彼の前に姿を現した声の主はメレクと名乗り、悪魔に対抗出来る姿と力を与える為、ニアールに強き者の姿を思い描くように言った。
言われるままにニアールは自分の頭の中に物語で見た戦士の姿を想像した所、現在のような姿に変わっていたのだそうだ。

「でも此処へ来た人が待ち人かどうか、どうやって判断するの?」
私の問い掛けにニアールは腰に携えてある剣を見ながら触れ、小さく音を立てる。
表情は一切分からないが、何処か言い淀んでいる様子だった。

「…………。この剣で首を切れない人が待ち人なんだって……」
「首って……」
意図が全く理解できなかったが、ニアールの剣はイノセンスの適合者を判別する装置の役割を持っている可能性がある。
しかしその判断方法が比喩などではなく、正に言葉の通りなのだとしたら、余りにも一方的で高圧的だ。
では早速試してみよう、とは間違っても言えない。言えないが……。

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「……それなら、私で試してみて」
いざ口を衝いて出た言葉は真逆だった。

「待てって。わざわざそんな無謀な事する必要ないだろ」
「そうだよ。焦んなくてもなんか他にも方法がないか皆で考えた方がいいんじゃない?」
ラビとエマティットはすかさず私を諌めようとするが、どこか私の内ではメレクに会う方法は、ニアールの剣に斬られる以外、無いのではないかという結論に至っていた。
しかしニアールも受け入れるべきか戸惑っているようで、剣を抜く気配が全くない。

「その門は力づくで開けられるか?」
ブックマンが唐突に鎧姿を見上げて尋ねた。対して首を横に振って答える。
「試した事あるけど、僕の力じゃ無理だったよ」
「……では、先程の地面からの移動は複数人可能か?」
その問いにもニアールは同じように首を振って示す。
「メレク様が訪問者を察知した時に僕を送るから、分からないんだ。城に戻るのもメレク様次第だし」

「そうか。……最後に一つ。訪れた人間を斬った事は」
「ううん。変な機械みたいな奴らが襲ってきた時には戦ったよ。でも人はそもそも来たことがなくて……」
二人の会話を聞きながら、彼は私の意思を肯定する為に一つ一つの要素を明確にしてくれているのだと理解した。ブックマンは冷静で客観的にこれまでの事象を分析しながら見ていてくれていた。
私の直感的な理由もこうして彼がいたからこそ、人を納得に導く論理的な理由に変換してもらえたのだ。

「……だそうだ。現状、他に城へ辿り着く方法はあると思うか?」
ブックマンはラビとエマティットに向き直り、今度は彼らに問い掛けた。二人はその問いの答えを沈思するように押し黙る。
「メレクはイノセンスそのものである可能性が高い。だとしたら此処で救いとも言える存在を排除するとは考え辛い」
「確かに今適合者を失ったらメレクにとっては何の利益もないっすね」
エマティットは少しずつ納得に傾倒しつつある様子で答えた。

ブックマンの援護を受け、私もこれまでの出来事を整理しながら思惑を告げる。
「あの……。滝の時も、メレクが私達を認めたから落とされずに済んだんじゃないかな。だからイノセンスの適合者なら、きっと受け入れられると思う」

しかし、ラビだけは得心が行かないと行った面持ちで私に視線を向けていた。
「それでも絶対に安全だって保証はないだろ」
彼を納得させられる確実な要素が無いのは事実だ。けれど、ここで手をこまねいているだけでは怪奇を解決させられない。
それに私が大元帥に指示されて受けた任務だというのに、三人ばかりを働かせて、ただ見学しているだけの役割しか持てないこの身が厭わしかった。

「お願い。これくらいでしか私は皆の役に立てないから。だから」
私の懇願に対しラビは何かを言おうとしたが、不意に口を閉ざして視線を逸らす。彼が見遣ったのはブックマンだ。
ブックマンは視線だけで何かをラビに伝えているのか。一切言葉はないが、彼らが視線を交わした後、ラビはどこか表情を曇らせて短く私に返答した。
「……。分かった」

彼を心から納得させられなかったのが心残りだったが、私は鎧の真正面に歩み出て大きな身体を見上げて言った。
「大丈夫。私は絶対に死なないよ」
笑みを向けると、彼は少しの間微動もせずに私をただ見下ろしていたが、やがてゆっくりと手を剣の柄に掛け、引き抜いた。
私が恐怖を露わにしてはならない。剣撃を受け入れる意思を示すようにそっと眼を閉じて僅かに顎を上げる。身体が強張らないように肩の力を抜いて深く呼吸をした。

大剣が強く握られる音が聞こえる。
突風が真横に突き抜けた感覚は確とあったものの、痛みや首の違和感は一切ない。眼を開き首にそっと触れてみると、間違いなく体と繋がっていた。
「お姉ちゃん……、大丈夫?」
膝をついて屈む大きな身体に見合わない程、心許ない声音だ。私は相好を崩して何とか背を伸ばして、逞しい膝の上に置かれた彼の手に触れた。

「見て、傷一つ付かなかったよ。ありがとう、ニアール」
「本当だ。良かった!」
安堵と笑顔の表情が見えてきそうな声で彼は頷いたのだった。

私達から離れて見守ってくれていた三人にも、振り返って大きく手を振り無事を示す。エマティットが同じように手を振り返し、三人は此方に向かって歩き出した。
その途端だった。轟音を立ててニアールの背にある門扉が開き始めたのだ。
開いた門の先には石畳の道が坂を形成して続いており、峨々たる城を臨む。その道を案内されながら進んだ。

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やっと近くまで来た城を仰ぎ見ると、遠巻きに見ていたよりもずっと巨大で圧巻で、黒の教団本部とはまた異なる荘厳さを醸し出している。
尖塔が目立ち、多様される窓や、外壁に施される絵画細工、極め付けは豪華な装飾柱が連なるゴシック様式さながらの建築だが、中世の華やかな貴族の城というよりは、どちらかと言うと御伽話等で悪魔的な存在が住処としていそうな怪しい雰囲気だった。

中へと入りメレクの待つ間へと向かいながら、ニアールが事の成り行きを話してくれた。それによると、此処はメレクによって集められた子供達の意識から生まれる想像が折り混ざった世界らしい。
ニアールとフィオナの他にも、幾つかの役割を与えられた子供達が其々、アクマからメレクを守っているのだそうだ。
子供達は精神体のようなものなので、アクマとの交戦に於いて攻撃を食らったとしても痛みもなければ死に至る事もないのだと言う。
事実、ニアールは初めてアクマと対峙した際にはその異形に困惑し、砲弾を見に受けてしまったのだそうだが、痛みや出血も無く忽ち体は自動的に修復されて元通りになったのだそうだ。
彼の話を聞きながら、メレクの人格はアクマに対してのみ慎重且つある意味臆病なだけで、協力者や仲間には一切の危害を加えるつもりはないように感じる。

城の奥へ私達が歩みを進める度、暗澹としていた廊下に明かりが灯りだした。
誰が点けている訳でもなく勝手に燭台に火が現れるのだ。ただ、それまでの道中に余りにも多くの不可思議を体験しすぎて感覚が混乱している所為で、その場の誰もが驚く事なくすんなりと受け入れていた。

廊下の先には巨大な広間が待ち受けていた。
広間と言うよりは、大聖堂に近い。細かな細工がなされた堆い扇型穹窿は、奥行きを遠く感じさせる。
しかし、最奥にあるのは祭壇ではなさそうだ。更に歩いて進んで行くと、その全貌に驚愕した。

そこにあったのは青銅の巨大な炉であった。人が立っていても問題なく入っていける……と言うよりもむしろ、別室に通じる扉無き入り口のようにも見える。中では赤く炎が舞い踊っており、穴から溢れんばかりに轟々と燃え盛っている。
内部は何層かに分かれているのか、一つの建物程の大きさの鐘型の炉には、七つの戸棚らしき長方型の仕切りがあった。
炉と一体化して真上に掲げられているのは、同じ金属製で牛の頭をした人型の像であった。異様に手が長く、正に寓話に描写される邪悪な存在、空想上の悪魔の姿さながらだ。
これはニアール達の想像により顕現した姿なのか、元よりこの姿であったのかは分からないが、禍々しい全貌である事には変わりない。

「よくぞ辿り着いた。愛しき御母の血族達よ」
空間に響いたのは低く太い質の男性のような声だ。これがメレクの声で間違いないだろう。大きな声ではないがやけに通りが良いこの声が発されているのは一体何処か。

「業火の内に我が核が在る」
その言葉が答えであった。つまりメレクは部屋の最奥に鎮座する異形の像だという事だ。そして、あの炉の中にメレクの核……つまりイノセンスが在る。
「またか。自分で取って来いって事かよ」
ラビが少々呆れ気味に言い放つ。
「左様。我を沈黙の同胞の許へ」
「お前の核ってやつをを回収したら、ニアール達の精神を開放してくれんだろうな?」
「約束しよう」
淡々とした声調でメレクは告げた。恐らく安全な譲渡の交渉は無駄だろう。ここまで来たら、彼に従った方が順調に事が進むのではないか。

「私、行ってくる」
今度は強い意志を持って私は皆に伝えた。
「今度は無茶のつもりじゃなくて、大丈夫だと思うの」
私の面持ちから心緒を汲み取ってくれたようで、エマティットとブックマンは口を結んで頷く。
「……。その根拠は」
すかさず問うたのはラビだった。その表情は剣呑で、明確な根拠を提示できなければ、自信ある表情だけでは納得しそうにはない。

「…………ごめん。これも根拠はないの」
「勘ってこと?」
「うん……。思ったんだけど、メレクはただ怖がりなだけなのかなって」
「あれが? 怖がりって……」
少々呆気にとられたような面持ちを見せたラビは、考え込むようにして私から一度視線を外し、燃え盛る入り口を見遣る。小さく息をついて再び私に目を向けた。

「それならオレも行く」
思いがけない言葉に狼狽した。身の安全を確信はしているが、問われれば絶対ではない。独断の行動にラビを巻き込むのは本意ではない。
「でも……!」
「大丈夫だって信じてんだろ。それなら二人でも同じさ」
そう言ってラビは軽快な笑みを見せた。共に来てもらえるのは心強くて有り難い。
しかし逆を言えば、ラビにとっては重要な局面に於いて、私では全面的に頼るに値しないという評価なのではないか。しかし、これ以上私の我意を通すのは心苦しい。複雑な心境で私は頷きを返した。

「って事で。二人はここで待ってて」
「了解」
エマティットは真摯な面持ちで返答したが、ブックマンは表情一つ変えずに無言でラビを見ている。
責めているのでも呆れているのでもなく、見定めようとしているかのような、静かながらにどこか厳格さの内包する眼差しだと思った。
ラビはブックマンの返事を待たずに「行くか」と歩き出した。私には全く理解出来なかったが、あの無言の眼差しはどうやら許諾だったらしい。

そしていざ、炉の入り口を前にして私達は苦い面持ちで顔を見合わせた。
「熱い、よな」
「……熱い、ね」
当てが外れたのかも知れない。ここでただ立っているのさえも危険に思える程の熱だ。
一旦戻って何か方法がないか模索し直した方が賢明かも知れない。そう声を掛けようとした矢庭だった。
なんと、徐に炎に手を伸ばしたラビは、何かに気付き驚いて目を見開く。そして私に「ちょっと待ってて」と短く言い残し躊躇いなく足を踏み出した。炉の中へと入った彼の身が忽ち赤々と盛る色に包まれる。

「ラビ……!」
考える間も無く、私は彼の背を追いかけて炎の中に飛び込んでいた。

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夢中でラビの背に手を伸ばすと、私が追い掛けてきたのに気付いたラビが振り返って勢い付いた私の体を受け止める。
「待てって言っただろ……!」
「だって、一人でこんな危険な……。……あ、れ?」
炉の中は驚くことに灼熱の炎が激しく照らしているにも関わらず、一切熱を感じない。吸い込む空気も先程の鼻腔や喉を焼かんとする刺激が嘘のようで、むしろ何処か冷え込んでさえいる。
「アリスの言う通りだったって事だよな。ごめん」
「あ、謝らないで! ラビは間違った事なんて一つも言ってない……!」
慌てて早口に言うと、彼は隻眼を穏やかに細めて「ありがと」と呟くように言った。
ふと冷静に戻って、私はラビの腕の中で必死に弁論しようとしていた事実に気付いて、更に狼狽しながら身を離した。

「しっかし。視界がこれじゃ、足場も何もあったもんじゃねーよな」
ラビが此方に向かって衒いもなく手を差し出す。……手を、握ってくれると言う解釈であっているのだろうか。首を傾げて意味を問う。
「周りもよく見えねェし、何が起こるか分からないだろ」
「そうだよね。あ、ありがとう……」
おずおずとその手を握る。私の手よりもやはり彼の方が少し温度が低い。そんなことを思う内に少しだけ安心と余裕が自身の内に生まれたのを自覚して、私を先導するラビの背を見据える。
まだ隣に並ぶには至れないが、せめて役立とうと周囲で燃え盛る炎の隙に何かないか、私も見回しながら一歩一歩進む。

不意に、揺れる炎の間に金色の光を見たような気がしてラビの手を引いた。
「どうした?」
「ラビ、向こうに何かあるみたい」
光が一瞬見えた先を指差す。ラビと共に同じ方向を注視していると、揺らめく炎の間に再び金色が現れた。
「行ってみるか」
「うん……!」

イノセンスを発見したかも知れないと逸る感情を抑えながら、変わらず慎重に進む。
次第に、辺りの炎は何かを燃やすように、或いは何かを拒むように、大量の火の粉を吐き出し始めた。
無数のそれが勢いよく間近に飛んできて思わず目を閉じたが、やはり熱さは感じない。これもメレクの威嚇に近い心象の具現なのかも知れない。
やがて激しく燃える一帯を抜けたらしく、空洞が現れた。そこは黄金一色に照らされていて、炎の音も一切聴こえなくなった。
空間の中心で、小さくも大きな光を放っていたのは、イーファが書いてくれた絵と同じ形の結晶であった。

「イノセンス……」
私達は周囲に気を巡らせながら、緩慢に歩み寄る。
手が遠く位置まで近寄っても、炎が襲って来たりだとかイノセンスが拒絶を示す気配はない。
「これを回収すれば、ニアール達も解放されるって事だよな」
「うん。良かった……」
安堵に頬を綻ばせた途端、結晶が宙に浮いて私の方へ近付いて来る。何故かその様子が親元へ駆け寄ってくる子供のように思えた。

「アリスをご指名だってさ」
「なんだか不思議だね。イノセンスって」
二人で顔を見合わせて小さく笑った。イノセンスの要望の通り、両手で受け取ろうとして結晶の真下に掌を添える。すると眩い光が辺りを覆った。

しかしその間際、突如として遠くから炸裂音が鳴り響く。一瞬にして心緒が張り詰めた。
辺りを見回す内に、間も無くして再び何かが崩れるような轟音が鳴る。今度の音は先程よりも更に大きい。
――まさか、この城が何かに……アクマに攻撃されている……?
「すぐに此処から出た方が良さそうだな」
私は結晶を強く握り締めて頷く。

次の瞬間、足元が激しく揺れ出した。
忽ちその場に立っているのがままならなくて足に力を込めて踏み止まろうとした瞬間、地面の感覚が消えて私の身体は背中から大きく傾いた。

「アリス!!」
返答よりも先に、半ば反射的にラビに向かって手を伸ばした。
しかし、此方へ向かって伸ばされるその手は遠過ぎた。互いの指先がほんの僅かに掠め、私はそのまま落下する。
地面に落ちる衝撃を覚悟して固く眼を閉じた。

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