フォレノワール
ずっと隣を歩いて、あるいは対峙して。ほとんどのものを共有してきた私達において……共有していない最大のものが、火傷の跡だった。
″あの日″の夜中。
片割れの絶叫で目を覚ました私は、隣の布団が空っぽなのを見て慌てて探しに行った。廊下に出るとより鮮明になる焦凍の呻き声。そして半狂乱に陥った母の泣き声。幼心にただ事じゃないと、血の気が引いてふらつく頭で理解した。
悲痛な声は台所からだった。私は、一番始めにその場に駆けつけた。駆けつけてしまった。そして、私の小さな世界において唯一の安心の象徴だった母が、私の片割れを傷付けたことを察した。
溜めこみすぎた憎悪と取り返しのつかない罪悪感の中にいた母は私を見て、否、私の赤色を見て、撹乱して叫んだ。何を叫んでいたのかは、覚えていない。
ただ、次は私の番だ、と思った。
だから、床に這って痛みに悶えている焦凍の元へ、足が竦んで駆け寄れなかった。大切な、大好きな焦凍が泣いているのに、オールマイトのように助けに行くことはおろか、庇い立つことも、できなかった。もちろん、母の気持ちを察することなんてできなかった。
ただ恐怖と絶望しかなくて、へたりこんで涙を流して、この状況を何とかしてくれそうな父親を呼ぶことしかできなかった。
私はあの夜の自分の行動すべてを、ずっとずっと、ずっと悔いている。
けれど焦凍は。
実際に傷つけられた兄は、母ではなく父を憎んで恨んだ。どれだけ特訓で傷を負っても、絶対に攻撃に炎は使わない、と固く誓っていた。
それは、自分の中にある父の断片を否定して母の分まで復讐しようとしているだけではなく、父が母を苦しめたみたいに炎が他人を傷つけないよう、……そして、熱の痛みを人に負わせないようにしているように、私は感じた。
私は、父も母も恐ろしかった。
焦凍に対して炎を向けることなんてできなかったけれど、父に対しては地獄で焼かれればいいのに、と思ってしまって、無性に炎を浴びせたくて、もっぱら炎を使っていた。
そんな私のことを焦凍は変わらず大事にしてくれたけれど、あの夜駆け寄れなかった負い目もあって、焦凍は私を嫌っていないのだろうかとずっと怖かった。
常にどこか薄ら寒くて、甘えさせてくれる焦凍に依存するようになった。
だから私を求めてくれて、キスをくれて……蕩けるような顔で″好きだ″と言ってくれたその時、やっと薄ら寒さが消えた。
身体に触れて、触れられて。抱き締められてあたたかさが伝わる度、私の中に焦凍の熱が挿入る度に、自分はひとりぼっちじゃないんだと認識できる。
けれど雄英体育祭の緑谷くんとの戦闘以降、焦凍は変わっていった。緑谷くんは熱い想いと声を焦凍にぶつけて、復讐心を溶かして解放してくれたんだと思う。
焦凍は自分の気持ちと少しずつ向き合いながら前に進みだした。二人きりだった世界は終わりを告げて、それぞれに友達と呼べる人達ができた。それは嬉しさと同時に、……私に寒さを連れてきた。
寒くて寒くて、とても寒くなった。薄ら寒い、というレベルじゃなかった。ぬくもりがほしい。人肌を感じていたい。独りじゃないことを確かめたい。
「……私から焦凍を奪わないで、緑谷くん」
沈みかけた夕灯りしかない薄暗い廊下で、気がつけばそんな恋の宣戦布告のようなことを声に出してしまっていた。
日直で居残っていた、緑谷くんと私。
帰り際、日誌を提出しようと二人歩いていたのだけれど、そんな時に、しかも癖で、ほとんど身体の距離がない状態で。
行動と言動がちぐはぐもいいところ。
「え……?」
焦凍よりも高めの、綺麗なアルトの声で聞き返された。顔を上げると、緑谷くんは真っ赤に染め抜かれた顔で困惑している。
「なんでもない……ただのブラコン発言だから気にしないで。
最近、焦凍と仲良い緑谷くんに嫉妬してるだけ」
ちゃんと笑えてるだろうか。声が震えている気がする。緑谷くんには感謝こそすれ、妬むだなんて、しちゃいけないのに。真実しか言っていないけれど、これ以上向き合っていればなにかボロがでそうでくるりと進路を戻した。
逃げるように足を進めると、待って、と腕をとられてしまう。
「ごっ、ごめん……え、えと……
出来れば詳しく、聞かせてもらえないかな……?」
戸惑いながらも離してくれない手から、じわりと温かさが染み込んでくる。身体がもっと熱量を求めて疼いて、けれど焦凍とは違う種類の温かさにゾワリと肌が粟立って、
「雪緋?……緑谷……?」
そんな状態のまま固まっていると、焦凍が廊下の角から現れて、私達を視界におさめた。
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