冬に沈む


 いくつもの家が駆け抜けていく。
 僕は冷めた目でそれを眺めていた。
 人里を離れていたためこんなに家が並んでいる風景は久しぶりで、懐かしく思ったのだが、同時に何故だか怖くなった。
 山が遠い。平らに広がった田が無い。
 確かに故郷は明らかにこちらなのに、馴れ親しんだ場所から離れて見知らぬところに流れ着く錯覚に落ちた。何もないが当たり前だったのに、ここには高いビルがある。ショッピングモールがある。それが、怖かった。
 体が前に傾いていく。速度がだんだん遅くなり、アナウンスの後に左のドアが開いた。人が出ていき入ってくる。また町に近づいていく。
「坊っちゃん一人かい?」
 突然横から声がして、肩を揺らして右を見た。二人掛けのシートの片方、つまり僕の隣に小柄なお婆さんが座っていた。
 深い真紅の上着を羽織り、黒い帽子を被って皺くちゃな顔を僕に向けていた。入れ歯が合わないのか、しきりに口をもごもごさせている。
「は、はい。一人です」
「どっから来なすったね」
「肥後です。皆が火の国と呼んでいるあすこです」
「嗚呼肥後かい。随分とまた遠くから」
 一瞬お婆さんは目を丸くしたあと、また口をもごもごさせた。その後も何かもごもごと言っていたが独り言らしく、僕はお婆さんの邪魔にならないように荷物を自分の方へ引き寄せた。最も、トランクのことなど全く邪魔じゃないといった様子でお婆さんは座っていたが。
「そんなら、あれかい?親御さんのところさ帰るんけ?」
「えぇ、まぁそういったところでしょうか。後数日で年を跨ぎますからね」
 ガタンゴトンと車内が揺れる。お婆さんは揺れをはっきりと感じるようで、上下に大きく揺れていた。
「うまい餅が食いたいねぇ」
「食いたいですね」
「焼き餅がいいねぇ」
「煮ても旨いですよ」
「雑煮かい。雑煮はねぇ」

 家が流れていく。
 街が後ろへ去っていく。
 もっと遠くに、僕のいた場所がある。

「坊っちゃんは、スイゾクカンてとこに行ったこたぁあるかい?」
「スイゾクカンですか」
「そこにゃね、ぎょうさんの魚やら貝やら海蛇やらがいるそうなんだよ」
「へぇ、凄いですね」
「色鮮やかな藻が揺れて、海獣が芸をするんだと」
「まるで竜宮城ですね」
「なぁ。竜宮城みたいかろ?」
 僕はスイゾクカンを思い浮かべた。
 街のなかにひっそりと佇んでいるそこは、周りより少し古い作りをしている。油の切れた戸が不気味な音を立てて開いたとき、屋敷は戸の前にいた人を飲み込む。中は水に沈んでいて、鯛やカサゴが悠々と通っている。僕はばた足で中を進んでいく。
 建物の中は外見とは違って中世のヨーロッパを思い出すような豪華絢爛な作りで、真っ赤なビロードの絨毯、品のいい装飾品、そして複雑な模様の彫られた階段がある。至る所に色鮮やかな藻や、朱色の海星が這っている。
 河が見えた。お婆さんは飴を一つ口に放り込んで、同じものを僕に勧めた。僕は丁寧にお断りして、窓枠に頬杖を突いた。
 階段を上ると大きな広間がある。そこには同じように大きな海豚や鯨が並んでいて、代わる代わるに芸当を見せる。海豚は空に向かって跳び、鯨は口を開けて唄う。それが愉快で僕はしきりに笑う。笑えば笑うほど、僕は息が苦しくなる。しまいには呼吸が出来なくなって、自分の首をしめながら一階へと落ちていく。絨毯の上に転がった僕を、海蛇は一瞥して、次の瞬間海に転がった塵の首もとに毒歯を立てる。

「ところで坊っちゃん」
「はい、何でしょう」
「この箱の中には何が入っとるん?」
 お婆さんの問いに僕は笑みを深くする。
「コレには、秋が入っているんですよ」
 お婆さんは目を見開いた。深いしわの間から、ガラス玉のような瞳が見える。
「へぇ。秋が」
「はい。肥後の麓の社から貰ってきました。もうすぐ深い冬が来ます。僕のよく見知っている場所が、冬に惑わされてしまって、暗い暗い青のなかに閉じこもってしまわぬように、実りの秋の種を持ってきたんです。これがあれば、冬が来ても夜を明るく照らし、春を迎えて、豊作がやってきますよ」
「そらまた偉いモンが」
「大したことありません。道端に芽吹く野草のように、街にある人のように、容易く見つかります」
 再び体が前に傾くスピードが緩んで、次の駅に着く。
「嗚呼、わたしゃここで降りるよ」
「そうですか。お元気で」
「坊っちゃんも。よいお年を」
「よいお年を」
 ドアが開いた。お婆さんは滑るように出ていった。窓の外から姿を探したが、どうにも見つけることは出来なかった。

 家が横を駆け抜けていく。
 帰ったら一度、スイゾクカンに行ってみることにした。



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