神が走り、鬼は泣く
私の師匠は、とんでもなく怖い。
鬼は、悪である。
という考え方は、俗であると神は主張するそうだ。
師匠の上司はその昔、鬼に土地を貸した。場を綺麗に保つと約束した者に、住む権利を与えたのだった。地獄の地税は高く、苦しんでいた鬼だったが、神の提案に喜んで飛びつき、神の土地に住み始める。しばらくは平穏な日々が続いていたのだが、所詮鬼は鬼だった。ある時土地代を滞納するものがいた。はじめは一人だったのが、二人、三人と増え始め、少しずつエスカレートし、挙句にはそのまましらを切ろうとするものさえ現れたのだ。鬼を養えないほどお金に困っているわけでもなかったが、見逃してやるほど神も甘くはない。
「約束したよなぁ?」
師匠が、短髪を揺らして、鬼を睨む。
「師走までには払うと、言ったよなぁ?」
蹴破った戸から入る北風が寒い。が、師匠の後ろからしっかりと様子を見守る。いつか、私も師匠のようにならなければならない。全くもって、なれる気はしないが。
「そ、その…」
「言ったよなぁ!?」
「はいぃぃ!!言いました!!」
「じゃ、さっさと払え!!追い出されたいのかっ!?」
「ひぃぃ」
青い顔をさらに青くして、鬼が悲鳴を上げる。腰が抜けているのか、がたがたと震えて立てそうにもない。気持ちは、分からなくもないが。師匠はあからさまにため息をついた。
「新米」
「はい」
私は静かに立ち上がった。師匠のようにはなれないが、役に立てないわけじゃない。鬼の横をすり抜け、家の奥へ入っていく。
「あ、あんたは...」
震える鬼の声を聞こえないふりして、箪笥の取っ手に手をかけた。下調べはしていない。勘というやつだ。
「お、おい」
鬼の声がうろたえる。背後で師匠の口角が上がる気配がした。勢い良く、腕を引く。
中から、輝く金色が溢れだした。
「あ、あ、あ」
「あるじゃねーか、金」
師匠の竹刀が肩へはね、景気の良い音を立てる。
私は落ち着いて、必要な分だけ取り出し引き出しを閉めた。数枚取ったくらいじゃ、金色が欠けることはなかった。脱税している可能性が高いが、私たちは担当ではない。ので見のがすことにする。
「じゃーな。いい年を」
「よいお年を」
師匠の早足に必死に着いていきながら、師匠の言葉を小声で繰り返した。
***
初めて師匠に会った日の事はよく覚えている。
年の明けた雪の日、身寄りのない私を気まぐれに拾ったのだ。
真っ白に染まった世界で、師匠の長い漆黒の髪と、それに合わせた肩巾が風に靡く。額の紅い玉に目が行った後、2つの満月とかち合った。
「暴れると、踏み消す」
師匠、その時はまだ違ったが、小夜嵐様は私の腹に御足を乗せたまま、どすの利いた声で言った。当の私には暴れる力などほとんど無く、酸素を取り込むことに必死だった。
「お前に行っても仕方ない話だからな。両親は」
足を乗せられた腹が焼けるように痛い。息も絶え絶えで私は答えた。
「し、死に、ました」
「死んだぁ?」
疑いの目で見られるも、もう無くなった家の前で座り込む私を思い出したのか、ふんと鼻を鳴らす。
「何でもっと早くに役所に来なかった」
「おやくしょ…?」
私は、死んだら手続きに行かなければならないことを知らなかったのだ。
「ちっ餓鬼が」
師匠は私から御足を降ろすと、その場を去った。
私は動けなかった。私のような力無い小鬼が、師匠に踏まれて平気なはずがないのだ。
寒さが私の腹を抉り、私は死を覚悟してゆっくり目を閉じた。
***
「今のが最後だったな」
夜道、師匠は言った。
「いえ、あと一件です」
「...」
「師匠、これが締めです」
「..時間がない。走るぞ」
え、と反論するよりさきに、師匠は駆け出した。
師匠の得意分野は駆けることだった。
師匠よりも早く走れる者を私は知らない。
漆黒の御髪は夜闇を呼び、冷酷な言動は周囲を凍らせた。
師匠が人から貰った名は、『小夜嵐』だ。
「遅いぞ新米!!」
師匠の罵声が響く。
「空を蹴ろ!高く跳べ!」
凪と名付けられた身にはなかなか厳しいが、師匠のどこか楽しそうな様子にはっとする。
滞納を追う師走の時期だけ、師匠は走れるのだ。
師走の夜だけが、師匠の輝ける花道だった。
「待たんか!!」
今日もどこかで、罵声が飛ぶ。
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「年がゆく」