呼吸論
例えば。
小さな惑星の上に立って、真空の中で息をする。いくつもの星が目の前を通りすぎていって、漠然とした時間という概念の上をぐるぐると回っている。時折瞬きの中を硝子の魚が飛沫を上げて泳いでいって、私は愛について思いを馳せてみたりするのだ。
ハーブティーの中に宇宙を見出だすのならば、露草の葉脈に鼓動があり、鱗雲は海の果てだろう。
例えば。
朝霧に包まれた雑木林の中を裸足で歩く。柔らかい下草が私の足を優しく濡らす。髪も服も水分を吸って、心持ち重い。白い視界に輪郭が曖昧になった地衣類が映り、呼吸をするたび霧と共に吸い込んでいる錯覚に陥る。肺は水分と胞子で溢れ返り、飽和状態の内部で受精して、細胞一つ一つが緑色にくすんでいく。そのまま身体中に染み込んでいって、気が付けば私も彼らの一部になっている。白と緑に閉じ込められて、二度と夜を迎えることはない。
私が私であるために必要なものなんて、多分どこにも存在しない。
例えば。
私の願いを例えるならば、魚が海流に恋するのに等しいだろう。多分、そういうことなのだ。魚が海に溶けてしまいたいと願うように。ただ、それを実現するなら、私は飛び降りなければならない。けれど案外、人生とはそんなものかもしれない。
息苦しい世界に溺れる感覚を忘れてはいけない。忘れて逃げる行為はあまりにも愚かしく、賢明とは言いがたい。ただ、酸素ボンベを持って深海を泳ぐことを責めるものはいないだろう。息を止め続けて泳ぐことは苦痛を伴う行為だから。
貴方の息は何ですか?