カカシ先輩とい毒 


カカシ先輩と顔を合わせたのは、先輩に誕生日プレゼントを買った日からかぞえて三日後のことだった。
九月十四日の早朝、里の大門の前でテンゾウと待っていると、少し遅れてカカシ先輩が現れた。
「おはようございます!」
カカシ先輩の姿を見るのは一緒に花火を見たあの日以来のことで、隣にテンゾウがいるというのに私の声は緊張で上ずってしまった。テンゾウが普通の調子で先輩に挨拶をする。気にした様子は無さそうだ。

「……ここでのんびり話している時間も無いんで、状況については行きながら話すよ」

いつものクールな調子で、カカシ先輩が面を付けた。私たちもそれにならって暗部面で顔を隠した。



カカシ先輩の後を追って、木々の間を抜けていく。気を抜いたら置いてかれてしまいそうなスピードだ。一刻を争う任務である事は間違い無いけれど、それにしても、今日の先輩はいつもよりも……。いや、先輩が私たち仲間のことを気遣わなかった事なんて一度も無い。大きなヤマを前に先輩も気が立っているのだろう。私たちが長い間追っていた、盗品の密売組織のアジトがついに判明したのだ。既に三小隊が現地に到着して出入りを見張っているのだが、報告では今、アジトには最小限の人員しか残されていない。壊滅させるにはまたとない好機だ。

道中のカカシ先輩は言葉少なだった。もっとも、任務の間、無駄な私語を慎むのはいつもの事だったけれど。それでも、振り向きもせずに先を急ぐ先輩の背中が、いつもより何となく遠く感じた。暫く先輩に会えなかったから、そんな風に感じてしまうんだろうか。いじけた自分の心が恥ずかしかった。

先輩と約束していたけれど会えなかった日、テンゾウはカカシ先輩と共に任務についていたらしい。昨日アパートの廊下でテンゾウとすれ違ったので、それとなく聞いてみたのだ。この前の任務でもカカシ先輩は、他の部隊長と比べても一線を画す活躍ぶりだったそうで、テンゾウは憧れと畏怖と、なぜか疲れを滲ませながら先輩の様子を教えてくれた。

実はあの日、先輩と会う約束をしてたんだよね……とは、何故か言えなかった。何でも気兼ねなく話せるテンゾウだけど、カカシ先輩に対する私の気持ちがばれてしまうのは流石に気恥ずかしい。テンゾウの話ではカカシ先輩の活躍もあって、あの日の夜にはもう里に帰ってきていたらしい。『先輩は何か用事があったみたいで随分急いでて、ボクに報告押しつけてすぐ解散になったんだよ』ヤレヤレと話すテンゾウだったけど、カカシ先輩は常にテンゾウに報告系を押しつけ気味だよね、とはかわいそうで言えなかった。

もちろん、あの晩カカシ先輩が私を訪ねてくることは無かった。だから、先輩が急いでいたのはまた別の用事だったのだろう。もともと、私との約束の後に、会う予定だった人がいたんだろうか。私には手紙で知らせてくれたけど、その人物には任務を急いで片付けて直接会いに……。そんな風に考えてしまうと少し、胸が痛くなって、やっぱり、いじけている自分が情けなくなった。



私たちが到着した時、現場には暗雲が立ち篭めていた。予想よりはやく密売組織の頭領たちがアジトへ帰ってきてしまったのだ。しかも、どこぞの里の忍くずれを数名雇ったようで、ビンゴブックに乗っている顔もあったらしい。

「とはいえ、この機を逃す手も無いだろう」

私たちの後にも、そう時間をあけず増援がくる手筈になっている。数から言えばこちらの方がやや劣るが、向こうは忍ではない人間が殆どだ。正面衝突しても、勝機が無いわけではない。これだけの数の暗部が集まっているこの機に、因縁の相手と決着を着けるという判断は決して間違っていないだろう。少なくとも、私の見てきた限り、カカシ先輩が判断を誤った事など無いのだ。

ただ、いつも慎重すぎるくらい慎重なカカシ先輩が、今日に限ってやや好戦的に思えるのは気のせいだろうか。テンゾウと私は少し顔を見合わせてしまった。テンゾウも同じように感じているらしい。

結果的に、急襲は成功した。しかし敵の抵抗は凄まじかった。

戦いは苛烈を極めたが、目の前の敵と向き合いながらも、視覚に聴覚に、一際鮮やかに舞う先輩を感じた。敵方の忍は風遁使いだったようで、横殴りの暴風が荒れ狂い頬をかすめた。優劣関係で言えば雷遁を得意とするカカシ先輩は圧倒的に不利で、相性が悪いはずだが、先輩は構わずいつもの雷光を右手に溜め、目にもとまらぬ速さで敵忍を鉤裂きにしていった。

先輩にみとれている場合では無い。私も敵の動きをかいくぐり、素早く印を結んだ。威力はどうあれ速さでは負ける気がしない。視界にうつる五人にまとめて、うねる水流を叩きつける。荒波の間から顔を出した暗部面が「おーいナズナ、ボクにもあたってるんだけど!」と声をだした。「あ、ごめんごめん」私たちの気の抜けたやりとりの間も、カカシ先輩は無言で敵をなぎ倒していった。

無理矢理働かされていたと主張する、忍びではない構成員たちはとりあえず捕縛することにして、尋問部隊に引き渡すことになった。数名の暗部はアジト内の調査と片付けに取りかかり、何名かは報告のため一足先に里へ戻った。私と先輩は、アジトの裏にある森を調査することにした。アジトに残されていた地図によると、この森の中にも盗品を隠すための倉庫を建てていたらしい。木ノ葉からもいくつか禁術書が流出している。リストと照らし合わせずとも書名ははっきりわかっていた。この半年ほど追いかけていた案件なのだ。

ついに組織を壊滅させることが出来た達成感と、戦闘の疲労で、私もカカシ先輩も言葉少なだった。少し前を歩くカカシ先輩の腕や肩には生傷がいくつか出来ている。私も似たようなものだったけれど、私以上に沢山の敵を相手した先輩の疲労は比べものにならないだろう。いつまでもカカシ先輩に守られているだけではなく、はやく先輩を助けられるようになりたかった。帰ったらまた修業をしよう、と心に決めて、先輩の後について歩いた。途中細い川が流れていた。川と言うより、湧き水が流れをつくっているだけのようだったが、小さな魚も泳いでいて水質は良さそうだった。

さらに森の奥へ踏み入れていくと、カカシ先輩がふいに、思い出したように口を開いた。

「ナズナ、この間は悪かったね」

てっきり任務の話をされるのだろうと思っていた私は一瞬なんのことだかわからなかった。どうやら先輩は、先日の約束の日の事を言っているようだ。

「いえ、テンゾウからも聞きました。急な任務で大変でしたね」

私の言葉に先輩の背中が立ち止まった。
ゆっくりと振り返った先輩は、笑みを浮かべていた。

「ああ。……でも結果的に、お前にとっては楽しい休日になったみたいで良かったよ」
「え……?」

先輩の笑顔に何か冷たいものを感じて、私は息をのんだ。
カカシ先輩は何も言わずにまた前を向いて、歩き始めてしまった。

私の専門は結界忍術で、少しでも印を結んで罠を張った気配があれば、気づく事が出来るという特技があった。先輩の進む方向に不穏な気配がした時、私は咄嗟に先輩の腕を掴んだ。

「……っ!」

そのまま格好良くカカシ先輩を救えたらよかったのに、鈍臭い事に、先輩を押しのけた拍子に私が罠に足をかけてしまった。しゅるしゅると縄が移動するような音がしたかと思うと、胴と足手首をきつく固定されて全く身動きが取れなくなった。同時に何かが茂みを飛び出していく音がする。その瞬間は、忍術が発動するような大がかりな音ではない事が救いだと単純な私は考えていた。

後にしてわかったのだけれど、それは罠にかかった者の身動きを封じた上で、近くにある毒蛇の巣をつつくという、実に原始的な罠だった。
こんなものにひっかかる自分が恥ずかしかったし、なんならカカシ先輩は多分、罠の存在にも気づいていた。もちろんカカシ先輩は、そんなことを私に言って追い打ちをかけるような事はしなかったけれど。

飛び出してきた何匹もの蛇をカカシ先輩が刀で切り裂いてくれている間に、自力で縄を抜け出そうと試みるも、手首を固定されているため印も結べないし刀も握れない。体を捩っても縄が食い込むだけで抜け出せそうにない。
そんな中、先輩の剣をすり抜けて私の元に真っ直ぐ向かってきた蛇がいた。生理的な嫌悪感にぞっとしている間に、蛇は私の左腕をのぼり、上腕に焼かれるような痛みをもたらした。

「うっ……」
「ナズナ!」

カカシ先輩が巻き付いた蛇を引き剥がしてとどめを刺す。それからすぐに私の拘束を解いてくれた。はらりと縄がとけ、地面にうずくまる。

「噛まれたのは一カ所か?」
「はい…」

激痛に体が震えた。カカシ先輩がポーチから白布を取り出し、紐状にして私の左肩の付け根を縛った。噛まれた上腕の傷口は赤く、かすかに血を流している。蛇に噛まれるのははじめてで、この後のことを思って私は震えた。数時間以内に血清をうたなければならないはずだ。

「大丈夫だから。とりあえず毒を吸い出すよ」
「は、はい……」

歯の根が合わず、声が震えた。カカシ先輩は覆面を降ろすと、躊躇なく私の腕を掴み、傷口に口を付けた。
痛みで感覚は麻痺しているのに、カカシ先輩の唇が自分の腕に触れているという状況は、視覚に強い衝撃をもたらした。それこそ毒のように。こんな状況なのに顔が赤らんでしまう。
先輩は何度も傷口を吸って、地面に毒を吐き捨てた。私の血と毒で汚れた唇を拭っては、また口づける。蛇に噛まれたショックなのか、先輩にこうされているためなのかわからない動悸が激しくなって、手足に汗をかいた。

「…っ……あ」

一際強く吸われた時に、声が出てしまった。慌てて右手で口元を隠す。
先輩はまた毒と血を吐き捨てた後、私の事をじっと見た。
恥ずかしさで俯く。先輩にどう思われているかと思うと不安だった。

「……痛いだろうけど、我慢して」

優しくも冷たくも無い声がふってきて、私は恐る恐る先輩を見上げた。
先輩は無表情で、何を考えているかわからないけれど、瞳には有無を言わせない強さがあった。こんなことをさせてしまい、先輩は怒っているのだと思う。

「ごめんなさい……」

私の言葉を無視して、カカシ先輩はまた傷口に唇をよせた。つよく吸い出される度に甘美な痺れがはしり、痛みと熱に漏れてしまいそうになる声を堪えて、私は唇を噛んだ。

気の遠くなるような時間が過ぎた。実際には蛇に噛まれてから十分とたっていないのかもしれないが。

カカシ先輩は私の腕に消毒剤を塗ってくれながら「こんな罠を仕掛けてるって事は、アジトに戻れば血清の一つや二つ置いてあるだろ」と私を安心させることを言った。私たちは行きと同じ道を引き返していた。腕の傷はやはり腫れだして、紫色をおびていた。頭も少し痛いけれど、毒のせいなのかはわからなかった。

カカシ先輩に背負われて、行きに通ったあの川まで戻ってきた。先輩は立ち止まって私を地面に降ろすと、水をすくって口の中を濯いだ。

「ナズナも少し水を飲んだ方が良い」

コップのようなものは持ち合わせていないので、先輩はその両手に水をすくって私に差し出した。
自分の左手は痺れてしまっていて、先輩のように水をすくうこともできなかったので、私は促されるまま先輩の手から水を飲んだ。

「すみませんカカシ先輩」
「なんで謝るの?」
「不注意で…先輩に迷惑を…」
「ナズナはオレを守ってくれたんでしょ。……それに、蛇を取り逃がしたのはオレだ。すまない」
カカシ先輩が頭を下げる。
「やめてください先輩!」

おろおろしていると、頭を下げたままの先輩が私の右手を手にとった。

「痕になってる」

手首には罠にはまり縄で拘束された痕がくっきりと残っている。先輩の指が鬱血したそこを優しく撫でたかと思うと、先輩は手首に唇を落とした。

「せ、先輩何を……!」

先輩は私を気にもせずまた鬱血痕をなぞるようにちゅ、ちゅ、と軽く口付ける。

「ナズナ、こっちも怪我してる」
「え?」

先輩の手が伸びて顎にかかったかと思うと、その顔が近づいてきた。
唇のすぐ横、頬に出来た傷をカカシ先輩の舌が舐めた。

「……!」

呆然と固まっている私の顔は、多分真っ赤になっていたと思う。
カカシ先輩は目の前で、ニヤリと意地悪く笑った。
そしてまた、傷をなぞるように軽く頬に口づけられる。

「か、カカシ先輩……んっ…」

唇に触れそうな所で先輩の顔は離れていった。

「物欲しそうな顔しちゃって……」
「え!?」
「ガイとはこんな風にした?」
「……は?」

カカシ先輩はくすくすと笑っている。言われた言葉の意味がわからず、呆然としていると、先輩は不意に冷たい目で私を睨みつけた。

「随分可愛い格好でアイツと会ってたみたいだけど。……オレとの約束が無くなってすぐ予定が入ったみたいだね」
「え、え……?」
「それとも、はじめからオレとの約束は断るつもりだった?」
目の前のカカシ先輩は笑っているのに、苛立っているということがあからさまにわかった。先輩が怒りだした理由がわからず困惑する。けれど、ガイさんの名前が出たと言うことは、……カカシ先輩はあの日、私とガイさんが会っていたのを見かけたのだろうか。でも先輩任務に行っていたんじゃ……。

「頬染めあって見つめ合って随分楽しそうだったね。あの日はアイツと何処にいったの?」
「あの、カカシ先輩……?」
「二人でオレには言えないようなことしてたの?」
「何をいってるんですか?」
「ああむかつく。オレのものにならないお前なんて、許せないよ」
「私ガイさんとは……」

何もない、と否定しようとした言葉は唐突な口づけに塞がれた。

「オレ以外の男の名前呼ぶな」

一度離れたかと思うと、また口付けられた。
後ろ頭が固定され、先輩の唇が私のそれに触れている。パニックと、恐怖と、カカシ先輩にキスされているという信じがたい事態に離れようと腰を引こうしても空いている方の腕が腰に回されて一段と口付けが深くなる。
息苦しくなって僅かに口を開くと、熱い舌が唇を割って口内を蹂躙する。歯列をなぞりれろれろと口蓋を舐め回して舌に絡みつくそれから逃れようとしても、執拗に追い回されてまた絡みつかれる。もう逃げているんだか自分から絡みついてるんだかわからない。
先輩の熱が毒のように全身にまわり、体の奥底がじんと熱くなって、されるがままに先輩の舌を受け入れていた。

「んっ…ふぁ……」
「……」

絡めた舌を強く吸われた。体中の力が抜けてくずれ落ちそうになる。やっと唇が離れて、私は先輩の体に凭れて呼吸を整えた。

「……」
「……」

何を言えば良いのかわからないし、カカシ先輩も黙っている。怖くて先輩の顔が見られない。

「ナズナ」

先輩が私の名前を呼んだ。私は恐る恐る先輩の顔を見上げた。
カカシ先輩の両目は、あの花火の夜みたいに燃えるような熱を灯していた。
先輩の瞳の中に困惑している私の顔がうつりこんでいる。

「カカシせんぱ……」
「ナズナ!カカシ先輩ー!」

唐突に背後から聞こえてきた声に、私はほっとしていた。
……たぶん、カカシ先輩もほっとしていたと思う。

「テンゾウ……」
「あっちは片付いたんで、ボクも手伝いにきました。……あれ?ナズナどうしたんだ?」

テンゾウのまんまるの目が私の腕をうつして驚いている。

「蛇に噛まれて……」
「えっ!?」

本当は蛇よりも恐ろしいものに噛まれてしまった。私たちのやりとりを、カカシ先輩は何も言わずに黙って聞いていた。

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