カカシ先輩と林檎 


朝起きたらなんだか体が重い気がして起き上がる気にはならなかった。
昨日は一日中雨の中を走りっぱなしだったから疲れているだけかもしれない。今日は任務もないからもう少しごろごろしていよう、と二度寝を決め込んだ。が、どうもおかしい。頭もボーっとするしなんだか熱っぽいような……もしかして…。なんとか起き上がって救急箱から体温計を取り出し脇に挟むこと数分。平熱よりいくらか高い体温にやっぱりかと溜め息が出た。

「さんじゅう…はちど…」

熱があると自覚した途端、もっと身体がだるくなった。くしゃみと咳が、思い出したように連続して出る。完璧に風邪だ。昨日の任務でびしょ濡れになったせいだろうか。それとも疲れすぎて髪を乾かさずに寝落ちしてしまったせいだろうか。おそらく両方だ。体作りは忍びの基本だというのに風邪を引くなんて。情けない気持ちになりながらも、とりあえず何か胃に入れて薬飲んで寝て直す!と意気込み、ふらふらと台所へ向かう。けれど、ここのところ任務続きだったから、ろくな食材が無いのを思い出した。まぁ、あったところで、台所に立って何かを作るような気力も体力もないのだけど。レトルトのおかゆ無かったっけ、と探すけれど見当たらない。探しているのも疲れてため息が出る。

一人暮らしというのはこういう時不便だ。具合が悪い時も全部自分でなんとかしなくちゃいけないし、精神的にも弱気になってくる。寂しさの波がじわじわと押し寄せてきて誰かにそばに居てほしくなった。ふと、一人の顔が浮かんだ。考えるや否や、壁にかけていたカーディガンをパジャマの上から羽織って部屋を出た。



廊下にでると寒気が酷くなって自分の両肩を抱いた。おぼつかない足取りで一つ隣の部屋のチャイムを押す。少しして扉が開いた。

「ナズナ?どうしたんだい?」

出てきたのはラフな格好をしたテンゾウ。今日はいつもつけているヘッドギアもつけていない。
テンゾウは昔から隣にすんでいて、もう長い付き合いになる。だから変に気を遣わない間柄で、一緒にいるのも楽なので、困った時につい、助けを求めて頼ってしまう相手でもある。もちろん、テンゾウの具合が悪いときには私が看病したりもするのでお互い様だ。協定を結んだわけでは無いけど、一人暮らし同士、家族のいない者同士、自然と助け合ってきた。
見慣れたテンゾウの顔をみたら何だか安心して、体の力が抜けてしまった。その胸に頭を預けるようにして倒れこんだ。

「ナズナ!?」
「テンゾ……」
「すごい熱じゃないか!」
「風邪……ひいた……」
「あーもう喋らなくていいから!」

ぼんやりとした意識の中、抱きかかえられてベッドに運ばれた。厚手の掛け布団をかけられて、隙間を埋めるようポンポンたたく音がして、それが何だか優しく響いて、鼻がつんとした。お布団からはテンゾウの香りがする。森を窺わせる様な優しい匂い。何だか懐かしくてうとうとする。……ふいにテンゾウの遠ざかる気配がして、子どもみたいに心細くなった。少しして、瞼の上にひんやりと濡れた何かがのせられる。固くしぼられたタオルだろうか。心地よく熱が奪い取られていく。

「えーと薬…薬……どこやったっけ」

テンゾウの声が聞こえる。どこにもいかないで、と声をだそうとするけれど、掠れた音が喉をぬけるだけだった。

「ナズナ、起きてから何か食べた?」
「……べて……ない」
「昨日の夜は?」

かすかに首を横に振る。テンゾウが「うーん、空腹時に飲める薬じゃなさそうなんだよな……」と呟く。

「とりあえず、お粥作るから。大人しく寝てるんだよ」

テンゾウの手が頭を撫でた。

「……やだ」
「え?」

テンゾウの服の袖を掴んだ。今は側にいてほしいと思うのはわがままだろうか。重たい瞼を開けると、テンゾウはやっぱり困った顔をしている。

「でも、何か胃にいれないと」
「……」

そう言いつつも、私の手を決してふりほどいたりはしない。テンゾウの温かくて大きな手が、指をぎゅっと掴んでくれる。風邪を引いたときの心細さとか寂しさは、テンゾウもよく知っているから、こんなに優しくしてくれるんだろうか。身体が弱っている時にはつい、天涯孤独な身の上が無性に悲しくなってくる。

コンコン、と窓をたたく音。もしかして任務の知らせ?テンゾウが窓をみて、「あ、先輩」と呟く。……先輩?
テンゾウが立ち上がり、窓を開ける音がする。

「よ!昨日はお疲れ様」
「どうしてアナタはいつも窓からはいってくるんですか……」

熱のせいで耳がおかしくなったらしい。カカシ先輩の声によく似た幻聴が聴こえる。先輩がここにいるはずないのに。

「そこで寝込んでるのはナズナ?」
「はい。昨日の雨で熱を出したみたいで……」
「あらら……」

幻聴じゃない。本物のカカシ先輩の声だ。
慌てて身体を起こそうにも、力がはいらず、視線をそちらに向けるので精一杯。挨拶しようとするけれど声が出ず、ごほごほ咳が出るだけだった。

いつ見ても綺麗で見とれる銀の髪に顔の半分を隠した覆面。暗部の服が他の誰より、世界一似合っているカカシ先輩が、窓から部屋にはいってくる。

「昨日雨の中走らせちゃったからどーしてるかと思ってね。部屋覗いたたけどいなかったんでテンゾウに聞こうと思ったら、ここにいたか」

カカシ先輩私の部屋をご存じだったんですね。一緒に任務をこなしただけの部下を心配してくれるなんて感激です。……と言いたいけど声が出ない。それよりなにより、髪もボサボサ、顔も洗ってない今の状態を、憧れのカカシ先輩に見られてしまうなんて。ショックすぎる。

半泣きになりながら、隠れるように布団を鼻の下あたりまで引き上げて、がらがらの声で「せんぱい……こんにちは」となんとか挨拶をした。姿は隠せても声はどうにもならない。鼻声を聞かれるのがつらすぎる。「辛そうだね」つらいです。でもカカシ先輩に心配していただけるのは幸せです。

「先輩ちょうど良いところに!ボクお粥作ってくるんで、ナズナに付き添ってやってくれませんか?」
「え?」

何言ってんのテンゾウ!!そんなの申し訳なさ過ぎるし、カカシ先輩にボロボロの姿を見られ続けるなんて耐えられない。
抗議の意をしめすべくばたばたと暴れる。……今の体力ではもぞもぞ動くぐらいしかできないのだった。テンゾウはきょとんとしている。だめだ全然伝わってない。

「……オレじゃなくて、お前がそばにいてあげた方がいいんじゃない?」

私のばたばたを正しく理解してくれた、と思いたいけど恐らく激しく誤解をしているらしいカカシ先輩がそんなことを言う。違うんです先輩、カカシ先輩よりテンゾウに側にいてほしいとかじゃ無くて(失礼)カカシ先輩にこの姿を見られ続けることが辛いんです!とは言えない。

「じゃーカカシ先輩お粥作ってくれます?」
「へ?」

テンゾウ、カカシ先輩にお粥を作らせるなんて、なんて、なんて恐れ多い事を……。と思ったけれど、カカシ先輩はにっこり笑って、「まーお粥ぐらいならオレでも作れるかな」とおっしゃった。……どうやら私は憧れのカカシ先輩の手料理が食べられるらしい。どんなに食欲が無くても残さず食べることを私はこの時決意した。

カカシ先輩がキッチンヘ向かったのを確認して掛け布団から顔を出す。
「ナズナさっきより顔赤いね。熱上がったんじゃない?」とテンゾウが額に手をあてた。
それカカシ先輩に会えて興奮したせいです、とは言えず力なく笑って誤魔化した。
コンコンとまた窓を叩く音がする。また誰か来たのかと思ったが今度は本当に呼び出しだったらしく、テンゾウが慌てて立ち上がる。

「ごめんナズナ、行かなきゃ」
「……うん」

急な任務だと言われてしまえば引き止めることはできない。テンゾウがまるで子どもをあやすように頭を撫でる。

「カカシ先輩にナズナのこと看てもらえるよう頼んでおくから、ご飯食べたら薬飲んでちゃんと寝てるんだよ」

それってカカシ先輩と二人きりになるってことじゃ!
困惑する私を余所にテンゾウはそそくさと暗部装束に着替え始めた。長い付き合いだ。今更テンゾウの着替えを見たところで何とも思わない。

「テンゾウ出かけるの?」
「はい。呼び出されたので行ってきます。先輩すみませんがその間ナズナのことお願いできますか?」
「わかった。ナズナのことはオレに任せてよ」
「……くれぐれもナズナに手出さないでくださいね」
「風邪ひいてる子には何もしないよ」
「ひいてなかったら何するつもりなんですか!」
「そんなことより、そろそろ行かないとマズイんじゃない?」
「ああ〜もう!」

頼みましたからね!と言い残してテンゾウは慌ただしく出て行った。
部屋が静けさを取り戻す。
意識がぼーっとしていく中、台所でお鍋がぐつぐつ煮える音がした。お母さんがいたらこんな感じだろうか。むかしはよく風邪を引いたときに、顔もわからない家族の事を想像していた。熱に浮かされて少しだけ涙が出た。



どれくらい時間がたったのか、カカシ先輩がひとり用の土鍋をお盆に乗せて戻ってきた。

「起きられそう?」
「…………はい」

起き上がったら、このみっともない顔もボサボサ頭もカカシ先輩に見られてしまう。でもカカシ先輩のつくったお粥は食べたい。自分の醜態と先輩の手料理を天秤にかけた結果先輩の手料理が勝り、もぞもぞと体を起こした。
「どーぞ」
「ありがとうございます」

カカシ先輩が土鍋の蓋を開けてくれると、もわもわと湯気が立ち昇った。白いお米の上に梅干しが乗っているだけのシンプルなお粥。それでもカカシ先輩の作ってくださったものだというだけで特別なもののように思えた。食べやすいように土鍋からお椀に移してくれたそれを受け取る。渡される時「食べさせてあげようか?」と訊かれたが丁重にお断りした。作ってもらった上に食べさせてもらうなんて恐れ多すぎる。それに恥ずかしい。いろいろと。何度かフーフーと息を吹きかけて口へ運ぶ。お米の甘さの中に塩味が効いていて美味しい。

「おいしいです」
「よかった」

先輩が安心したように目を弓なりに細める。今の顔かわいいなあ。風邪はひいちゃうし、カカシ先輩にみっともない姿は見せてしまうしで散々だと思ったけど、先輩に心配されて先輩の手料理が食べられるなんてちょっと、いやかなり得した気分だ。

「量多かったら残していいからね」
「食べます…早く治さないといけませんから…」

先輩が作ってくださったのにお米一粒だって残す気はない。優しい味のお粥は本当に美味しくて、熱いのでゆっくりとだが一生懸命に食べた。

「……」
「……せんぱい」
「ん?」
「みられていると……その……」

食べづらいです、と続けようとして、カカシ先輩の優しい笑顔に言葉を呑み込んだ。先輩は何が楽しいのか、お粥を食べる私のことをじっとみている。その表情が何だかとても優しくて、今まで見たことの無い表情で。まるで大切な人をみるような……カカシ先輩に恋人がいたらその人はいつもこんな表情を向けられているんだろうか、と想像してしまうような優しい笑顔で。勘違いするわけではないけれど、胸がときめいてしまう。

「……美味しそうに食べてくれて良かった」
「おいしいです。とっても」
「前から思ってたんだけど、ナズナって食べ方が可愛いね」
「えっ……!?」
「一生懸命で小動物みたい」
「それは……食い意地がはっているという事でしょうか……」

カカシ先輩の前でこれまで食べる姿を見せたのは何回ぐらいあるっけ、混乱する頭の中で考えた。任務の途中に休憩で食べたおにぎり、任務で立ち寄った町の定食屋で食べた焼き魚定食、任務の帰りに三人で行った一楽のラーメン……どんな食べ方をしていたのか思い出せない。

「……可愛いって言ってるのに」
「か、からかわないでください」
「からかってなんかないよ」

カカシ先輩はにこにこ笑っている。いたたまれなくなって、私はお粥をかきこんだ。熱くて舌が火傷しそうだ。

お粥をすべて食べきると、カカシ先輩が用意してくれたお水で薬を飲んだ。

「食欲はあるみたいだから早く良くなるよ」

カカシ先輩の言葉にうなずく。さっきの言葉がひっかかって、残さず食べたことが少し恥ずかしい。

「汗もかいたみたいだし着替える?とってこようか?」

と聞かれたけれど、片付けてもいない部屋に入られるのはいくらなんでも恥ずかしい。大丈夫です、と首を振った。
もう一度横になって布団をかぶる。さすがにもう先輩は帰ってしまうだろうと思ったのだけれど、ベッドの横に腰をおろして、いつも読んでいるあの本を読み始めた。

「先輩、今日の任務は大丈夫ですか」
「うん。……本当は任務だったけど、その任務なら俺より適任がいると思いますって推薦してきたから大丈夫」

もしやその任務をなすりつけられたのはテンゾウなのでは……と思ったけど怖くて聞き出せなかった。任務が無くてもせっかくの休日、カカシ先輩だって予定があるだろうに、私の看病なんかをする事になって申し訳ない。そう思うけど、隣に先輩がいてくれて、ページをめくる音がひびく部屋は、とても安心した。誰かが側にいてくれると思うだけで、ほんとうに心強い。

「カカシ先輩」
「ん?」

先輩と二人きりなんてまたとない機会だ。色々と話してみたいし、聞いてみたいと思うけれど、いざとなると緊張して何も思い浮かばない。呼んでみただけです、というわけにはいかないので、必死に話題を探す。ふと頭に浮かんだのは、つい昨日に先輩が言った言葉だった。

「あの……こないだ言った言葉ってどういう意味だったんですか」

――テンゾウがいなかったら“そういうこと”してもいいってこと?

言いながら自分で自分の墓穴を掘った、と思った。

「こないだ言った言葉って?」
「あ!いや、何でも無いです!」

カカシ先輩は私をからかっただけなのに、意味なんか聞いてどうするんだ私。大慌てで質問を取り消す私を、カカシ先輩が不思議そうに見ている。

「オレもナズナに聞きたい事があるんだけど」
「なんですか?」
「……この部屋にいるってことはやっぱり、お前達って付き合ってるの?」
「テ、テンゾウとですか!?全然そんなんじゃないです!!腐れ縁です、腐れ縁」
「ふーん」

必死に否定する私を、カカシ先輩は何か考えているような表情で見ている。
信じてもらえてない感じ……!?

「テンゾウ任務に行かせちゃってごめんね」
「……」

やっぱりカカシ先輩の任務を肩代わりしたのはテンゾウだったらしい。

「あの、本当にテンゾウとは何でも無くて。昔馴染みなだけなんです」

なぜかカカシ先輩に誤解されるのはとても嫌だった。必死に否定する私に、カカシ先輩は「そっか」と言って小さく笑った。

「オレのせいで風邪引かせちゃったかな」
「えっ!?カカシ先輩のせいじゃないですよ、私の自己管理不足だっただけで」
「でも昨日無理にでも脱がせておけば良かった」
「……!?」

カカシ先輩がどこまで本気で言っているのかわからないけれど、目を白黒させている私を見て先輩は楽しそうに笑っている。
「林檎みたいに真っ赤になっちゃって…やっぱりお前可愛いね」

私、絶対からかわれてる。

先輩が濡れタオルを替えてくれて、心地よいな……と思っていると、頭に先輩の手が触れた。優しく撫でられているうちに、眠気がやってきた。このままずっと側にいてくれるのかな。ずっと……。





「ただいま戻りました……カカシ先輩まだいてくれてたんですね」
「おかえり」
「ナズナを看ててくれてありがとうございます」
「ん、急な任務ご苦労様」



誰かが会話する声がする。


「じゃ、オレはそろそろ帰ろうかな」


隣にずっといてくれた気配が、立ち上がろうとしている。

「いや…」


気づいたら声が出ていた。
ぼんやりとする意識の中、引き留めるように何かを掴んでいた。


「……ナズナ?」
「カカシ先輩、良かったら夕飯食べてってください。作るんで」
「そう?……お前の手料理クルミが入ってるからなぁ」
「クルミは体にいいんですよ!」
「ま、いいけど」

頭を撫でられている感触がとても心地よくて、私はその何かを掴んだまま、また意識を手放した。


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