夢 | ナノ
隣にいたいと願う君へ

今日も疲れた。左手に重たいバッグ、右手にコンビニのビニール袋を下げ、マンションの薄暗い階段をよろよろ登る。すっかり初夏の陽気で、帰りの電車が暑かった。足がむくんで重たい。でも、明日は休みだ。今日中の仕事だけは急いで終わらせて帰ってきた。シャワーを浴びても、今夜の映画に間に合う時間だ。

上京してからもう何年経つだろう。このマンションは古い建物でエレベーターが無い。けれど、部屋の中はリフォームされていて綺麗だし、あたしはここを気に入っている。女の一人暮らしなのにオートロックが無いので、両親は最初心配していたけれど、結局、隣に頼れる幼馴染みが住んでいることが一番の決め手となった。「カカシくんが隣に居てくれるなら安心!うちの娘を宜しくね!」と、取りようによっては娘を嫁に出すような事を平気で言う親に、内心慌てていたのはあたしだけで。カカシは平然とした顔で「りょーかいです。おばさんの煮物、俺の分も送ってくださいね」なんて調子の良いことを言っていた。
カカシは今日も帰りが遅いのかな、と思いつつ、ドアに鍵を差し込んでいると、廊下に誰かの足音が反響した。もしかして、と思っていると案の定、角をまがって現れたのはカカシだった。


「おつかれカカシ!」
「お、今日は早いね」

ワイシャツの袖を捲ったカカシの手には、白いビニール袋が下がっていた。

「カカシもコンビニご飯?」
「いや、スーパーで寿司買った」
「お寿司かぁ……ちゃんと野菜食べてるの?」
「食べてるよ。そーいう晴は?」
「ばっちりだよ。今日もサラダ買ったもん」
「たまには自炊したら……?」
「カカシに言われたくないよーだ」
「絶対俺の方が作ってるでしょ……」

ここのところ残業が多くて、正直なところご飯をつくっている体力が無いんだもん。そういえば、「俺だって残業多いよ」と反論されてしまうだろう。高校教師も授業の準備に部活の顧問と、毎日結構忙しいらしい。

「カカシも今日は帰り早かったね?」
「今日はみたい映画もあったからね」
「え!もしかして21時からのやつ?」

カカシが頷くので、一緒に見ようよ、と誘ってみた。考えてみればその映画は、昔よくカカシと一緒に見た映画だった。あたし達は実家がお隣同士だったから、昔からよく互いの家に行き来していたのだ。毎年のように再放送されるその映画を、最後に一緒に見たのは何年前だろう?

「いいよ。どっちで観る?」
「うちにくる?でも、映画の前にシャワー浴びちゃいたいから、30分後ね!」
「了解。じゃ、また後で」

最近忙しかったから、こうしてカカシと一緒に過ごせるのは久しぶりだ。嬉しくて、顔がにやけそうになりながら、部屋に入った。まずは化粧を落としてしまおう。


「髪、生乾きじゃない?」
「え?乾かしたよ」
「全然乾いてないでしょうよ。俺が乾かしてやるからここ座れ」
「えー。もう映画はじまっちゃう」

何度も観てるんだからいいでしょ、とカカシに睨まれ、大人しく指された場所に座った。さっきしまいそこねたドライヤーを手に取ったカカシが、あたしの後ろに座る。両足の間に挟まれる体勢になり、カカシの足の指を見つめた。足だけで無く、指まで長いんだなぁ。ぶおおおお、と音をたてながら、温風が吹きかけられる。カカシの指が優しく髪をすく。まるで恋人同士みたいだなって、少しだけドキドキしてしまう。けど、カカシにとったら、飼い犬の毛を乾かすようなものなんだと思う。良くて妹。

年は2つしか離れていないけれど、あたしたちは小さいときから兄妹のようにして育った。同じ小学校、中学に通い、高校からは離れてしまったけれど、家は隣同士だからまだ良かった。決定的にカカシと会えなくなったのは、彼がこっちの大学に進学をしてからだ。ただの幼馴染みの間柄では、夏休みと冬休みぐらいしか顔を見ることができなくなり、カカシを追いかけたくて、この関係を変えたくて、あたしもこっちの大学を受験した。けれど落っこちてしまって……。結局地元の大学に進学したあたしが上京したのは就職がきっかけだった。今、またもやお隣同士になったのだけれど、ただの幼馴染みの関係は変わらずにずるずるここまできている。いつまでも妹みたいな扱いをされているままだ。

カカシの指が髪を撫でるのが心地よくて、瞼を閉じる。この関係が心地よいのがいけないんだ。……告白なんかして、ふられたら。そう思うと怖くて、今更好きだなんて言えずにいた。大学生の頃は知らないけれど、上京してから知る限りでは、カカシに彼女がいる気配は無かったし、焦ることもないと言い聞かせながら。いつまでもこのぬるま湯みたいな幸せが続くという保証はないけれど。

「はい、終わり」
「ありがと……」
「シャンプー変えた?」
「ん?……ヘアオイルかな」
「良い匂いだね」

あたしの髪を一房掬って、カカシが鼻を近づける。……こう言うことを何にも気にせずにやってくるからたちが悪い。ドキッとしているのはあたしだけで、カカシはなんにも意識していないから出来るんだろう。

「……お腹空いた。テレビつけよ」

映画はとっくにはじまっていた。小さいテーブルの上に、あたしが買ったサラダ、冷製パスタ、カカシの買ったお寿司が並ぶ。カカシが缶ビールを開けたので、あたしも冷蔵庫で冷やしてたシードルを持ってきてグラスに注いだ。「かんぱーい」チン、とグラスのぶつかる音がする。

あれほど楽しみにしていた映画なのに、カカシといるとどうしても流し見になる。早食いする癖は大人になってから直ったらしい。箸の持ち方綺麗だな、とか、学校ではマスクしてるのかな、外してたら生徒に人気出ちゃうだろうな、とか。ぼんやり考えながらサラダを咀嚼した。「食べる?」と、箸でつまんだ炙りサーモンにぎりを目の前に差し出される。やっぱりペット扱いされてるのかな、と思いつつ、黙ってぱくっと食いついたら、カカシはなぜか満足そうな顔で笑っている。あたしを餌付けしたって何の得にもならないだろうに……。

ご飯を食べ終わってからは、ソファに移動して並んで映画の続きを見た。

「はー、ときめくよねー……」

自分よりも大分年下の主人公達の爽やかな恋模様に何年たってもきゅんとしてしまう。

「いきなり下の名前で呼ぶのがずるいよな」

カカシも同じ箇所が気になってるのが何となく笑える。

「カカシは最近ときめいたー?」
「……ときめいてるよ今」
「映画じゃ無くてさー」
「……」
「カカシの同僚の先生とか、かわいい人いたりするの?」

視線は画面に向けたまま、それとなく探りを入れてみる。カカシに好きな人がいたら嫌だなぁ、と思ってあんまり聞けずにいた話題だけれど、胸キュン映画をみている妙なテンションでついに聞いてしまった。

「……そっちは?」
「え?」
「職場に格好いい人いないの」
「……うーん」

まさか聞き返されるとは思わず、格好いい職場の人と言えば思い浮かぶ人は居る。

「上司としてすごく尊敬してる人はいるなぁ」
「へぇ……」
「部下に慕われる人ってこういう人を言うんだなって感じで。いつも穏やかだし、でも叱る時はちゃんと叱ってくれるって言うか、感情的にならなくて。とっても素敵な人」

既婚者子持ちじゃなかったら好きになってたかも、と考えてみる。……ずっと諦めきれずに片想いをしているあたしが、他の人を好きになんてなれないか。

「こう……普段「私」って言ってる人が、会話が弾んだときにふいに「俺」っていう瞬間って萌えるよね」
「なにそれ」

カカシがぷっと吹き出した。

「いや部下に対しても普段敬語なんだよねその人。この前映画の話で盛り上がってたらさ、『そうそう俺……私も良いと思いますよ』って言い直しててめっちゃ萌えた」
「ふーん……」

カカシの声が急に低くなる。
もしや、萌えとかいっててひかれたかな。

「その人は、独身?」
「いやー、奥さんもお子さんもいるよ」
「あ、そ……」

何かを考えている様子のカカシが気になるけれど、それきり会話は途切れてしまった。
気づけば佳境にさしかかっている映画に意識が戻る。







「……晴」


カカシに名前を呼ばれたような気がする。すごく眠たい。

「寝ちゃったの」

優しくて低い声が、耳の側で聞こえる。
寄りかかっている何かとても温かいものから離れることが出来ない。

「まったく。仕方ない奴」

温もりが突然離れて、ずずっと体がたおれかける。無性に寂しくなった。
重たい瞼をなんとかこじ開けようとするよりも早く、また温かい何かに肩と膝裏を包まれる。
どうやらあたしは今、カカシに横抱きにされているらしい……。
ソファからベッドに運んでくれるのかな。

小さい頃、狸寝入りをしてお父さんに布団まで運んで貰ったときの事を思い出す。
胸のときめきよりも、その優しさに心がぽかぽか温かくなった。

「よいしょっと。さすがに重たいな」
「……」

腹立つ……でも、我慢して狸寝入りを続行することにした。
妹扱いだろうがペット扱いだろうが、カカシに優しくされるチャンスは無駄にしたくない。

ベッドに横たえられて、ふかふかの布団を上からかぶせられた。極楽極楽。


「鍵どこだろ……ま、いいか」

まさか鍵を開けっぱなしで家に帰っちゃうのかな。それは困る。

「毛布もあるし」

……もしかしてうちのソファで寝るのかな?

さすがにそれは悪いかも。
狸寝入りを辞めて、今起きたふりをしようか。

考えていると。


おでこに何か、柔らかい物が触れた。



「おやすみ」



…………キスされた!?

混乱するあたしを放置して、カカシの気配が遠ざかる。

もしかして、妹扱いされてるわけでもペット扱いされてるわけでも無かったりして。

今すぐ狸寝入りを告白するべきか、このまま何事も無かったように眠るべきか。
悶々と悩み、考えているうちに夜は更けていくのだった。


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20170515
※拍手にいれてました。



後書


これ七年前の10万打アンケート企画で書く!っていったきり書かなかった奴です。
七年て。われながら酷すぎる放置ぶり。
もし七年前からこちらに来てくださっている方がいらっしゃったら、ぜひコメントでお知らせください(笑)


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