『人を好きになるのに理由なんて無い』

いつか読んだ本の一節だ。その時は、へぇそうか、とも、そんなことはないだろう、とも、特に何も思わず読み飛ばした。

今になってみて、その言葉の意味が何となくわかるような気がする。正しくは、『いつ人を好きになるのかはわからない』だと思う。

高校一年の秋、オレはそんなことを考えながら、ぼんやりと教室から校庭をながめていた。校庭では、近く行われる球技大会に向けて練習をしている集団がちらほら見られる。無意識に、彼女の姿を探してあちこちに視線を走らせた。

「誰探してんだ?」

ひとつ前の席で、将棋の指南書を読みふけっていたアスマにいきなり聞かれて、少しだけ動揺した。嗜好も見た目も年齢のわりに老けているが、アスマはこれでなかなか気の合う友人だ。

「……いや、別に」

誰かを探していたわけじゃない、と嘘をつこうとして、面倒になり口をつぐんだ。

「お前最近、良くぼーっとしてるよな」
「そう?」
「まあ、いつも通りっちゃあいつも通りだが」
「……失礼な奴だね」

窓から視線を外して溜息をつく。

「おうおう、いよいよ深刻だな」

アスマを無視して、オレは鞄から本を取り出した。

「やだ、男二人で読書?アンタたち、なんていうか不気味だわ」

いつの間にか教室に入ってきた隣のクラスの紅が、座っているオレたちを見下ろして容赦ない毒舌を吐いた。

「よぉ、紅。お前また一人振ったんだって?」

アスマに聞かれた紅は「あんたって人の噂がホントに好きね」と、間髪入れずに言い返した。

こうして紅が話しているだけでも、クラスの男連中がどよめいているのがわかった。隣のクラスの夕日紅は、アスマの中学時代の同級生らしい。言動はきついが一度見たら忘れられなくなるほどの美人で、入学してから今まで、何人もの男たちが紅に告白しては、呆気なく振られているらしい。付き合っている男がいるのかというと、そういう訳でもないようで。オレはまさか、高校生のくせにうっすら髭を生やしたこの男と付き合っているのでは、と二人の仲を勘ぐったこともあるが、会話を聞く限りそうではないようだった。少なくとも、今のところは。

「カカシの奴が、何か悩んでるみてーだぜ……」
「あらカカシが?天変地異の前触れかしら」
「お前ら……人のことを何だと思ってんの?」

二人の詮索を適当に躱している内に予鈴が鳴って、紅は香水の匂いを僅かに残して教室を出て行った。

「あいつ香水変えたな」

アスマがぽつりと呟くのを聞いて、「良く気づくよな……」と突っ込んだら顔色を変えて、「いや……今度のヤツは香りがキツかったから……」と、しどろもどろに答えた。

教師が入ってきて授業が始まった。面白い授業は聞くがつまらない授業は聞かない。この教師の話は完全に後者だった。本を読む気分でも無くて、また何となく窓から外を見た。

赤いジャージがまばらに散っている。女子がサッカーをしているようだ。

ここは二階で、かなり離れているにも関わらず、オレはすぐに、彼女の姿を見つけた。

やる気が無いわけではないのだろうが、とろとろとボールを追いかける姿が、なんとなくつたなくておかしい。味方にパスされたボールを、器用に頭で跳ね返す。……痛がっているところを見ると、狙ってヘディングしたわけでは無いらしい。

「……どん臭」

思わず呟いて、小さく噴きだすと、前の席のアスマが耳ざとくも聞きつけたらしい。
「なんだ?のぞきか?」と、窓の外を見た。

「はい、猿飛くん。次のところ訳して。……あなたちゃんと聞いてたの?」

絶妙なタイミングで教師に指されて、アスマは慌てて立ち上がった。





彼女を最初に見かけたのは入学式の朝だった。

初日から寝坊した自分に呆れながらも、オレは走ろうともせず、新しい制服に身を包んだ人間とはとても思えないやる気の無さで、とろとろと静かな道路を歩いていた。

朝、オビトとリンが起こしに来たような記憶がおぼろげにある。マンションの廊下に面したオレの部屋の窓から二人の声がした。

『あー、わかってるわかってる、後から行くから』

瞼が半分閉じた状態で、窓越しに叫ぶと、『せっかく人が起こしに来てやったのに……もーいい、先に行ってるぞ』というオビトの不機嫌な声と、『もう少しまとうよ』というリンの声がした。『このままじゃオレたちまで遅刻するって』結局オビトがそういうと、リンも諦めたらしく、『カカシ、急いでね』とだけ言い残して、二人の気配は去って行った。

その間にオレは、二度ほど眠りの世界に足を突っ込んでいたわけだが、外が静かになったので、本格的に三度寝してしまったというわけなのである。

自来也先生が、昨日新刊を出したからいけないのだ。
大きな欠伸をしながら、昨夜読んだ本の内容を思い出す。三回読んだので、しっかり頭に入っていた。
今回の話も本当に素晴らしかった。間違いなく今年も文学賞に選ばれるに違いない。

時計をみて、さすがに少し早歩きで桜並木の下を歩いた。
道路をはさんだ向こうに、これから通うことになる校舎が見えてきたとき、ばたばたと慌しく走る後ろ姿が見えた。

彼女は真新しい制服を着ていた。走るたびに、長いスカートが揺れる。自分と同じ新入生だろうか。

ぶわ、と、桜の花びらをはらんだ風がふいて、彼女の髪を撫ぜる。

走っているはずの彼女の横を、追い抜きそうになった。特に歩く速度を速めたわけではない。
なんとなく気になってつい横目に見ると、泣いているのかと思うほど一生懸命な顔をしていた。

「……必死に走ってその速さなの?」
「えっ……はっ…はいっ?」

突然声をかけられて、彼女は動揺しているようだった。
早歩きとはいえ、歩いているオレに追い抜かれるって……悪いと思いながらも、つい笑ってしまった。

「ちょ、なに、わらっ……て」

むっとした様子だが、怒る声も途切れ途切れだ。ますます可笑しい。

「荷物もってあげよっか?」
「え、や、大丈夫です」
「……新入生?」
「は、はい」

彼女はめまぐるしく表情を変化させながら、律儀にオレの質問に答えた。誰もいない校門を通り抜け、校舎の方向に足を向ける。

「あ、あの、」
「ん?」
「よろしく、お願いしますっ。先輩っ」
「……え?」
「この高校の方ですよね?」
「……そうだけど。オレも君と一緒で、新入生だよ」
「うそ……背が高いから、年上かと思った」
「あー、こんなに伸びたのつい最近なんだ」

そんな会話をしながら昇降口にたどりつき、二人で靴を履き替えた。彼女もオレも、同じ学年カラーの真新しい上履きだ。体育館ってどっちだったっけ、と、出願のときの記憶を頼りに二人で校舎を彷徨った。

「どこの中学だった?」
「二中。桜通りの近くの」

そういえば、まだ名前を聞いてなかった。お互いに口を開きかけた時に、廊下の向こうから年配の男が現れた。

「コラッ!!そこの二人、新入生か?式はもう始まっているぞ」
「ごめんなさい!!」
「すみません」

怒鳴られて二人一緒に頭をさげる。

どうやら彼女とは違うクラスだったようで、体育館前に貼り出された紙を見て、彼女は右の入り口、オレは左の入り口へ足を向けた。別れる寸前「それじゃ、また」と言い合って、別々の方向へ歩き出した。

結局それからしばらく、彼女に再会することはなかった。

ただ、どういう訳か、一方的に見かけることが多くなって。

同じ学年なのだから、見かけることがあるのは何も不自然では無いのだけれど、……彼女を見かけても、傍らにはいつも誰かがいたという事もあり、声をかけるタイミングは中々訪れなかった。

たまに見かける彼女は、その時々で、思い切り笑っていたり焦っていたり、鈍臭そうだったりと、遠目にもわかるくらい大きく表情を変えていた。

そんな彼女を、オレはいつの間にか目で追うようになっていた。

これだけ頻繁に見かけるのに、どうして向こうはこっちに気づかないんだよ、と、勝手に不機嫌になったりしながら。




「って、ストーカーかオレは……」
「あ?何か言ったか?」

何か悩んでるなら聞いてやるぜ、と、アスマが面白そうな態度を隠しもせずに言った。今日の授業はもう終わりだ。鞄の中にプリント類をつめて、帰りの支度をした。

彼女の名前すら知らないまま、気がつけばもう二学期になっていた。唯一わかっているのは、彼女が隣のクラスではないという事ぐらいで、考えてみれば、名前はおろかクラスさえもはっきりわからないのだ。別に本気で探そうとしたわけではないから、当然といえば当然だった。

入学式の日に、ほんの少し会話をした程度の彼女の事が、なぜこんなにもひっかかるのだろう。

もしまた彼女と向かい合ったとして、「久しぶり」「ああ、あのときの」とか、まあそんな会話をする程度だと思うのに。
向こうはもう、オレの顔なんて忘れているかもしれない。オレの方は、何故か彼女を見かける事が多いので、忘れようにも忘れられないのだが。

別に、彼女が特別好みの顔だったわけではない。かなり失礼だとは思うが、一般的に見ても、ものすごい美人というわけではないだろう。毎日、紅の顔を見飽きているせいで感覚が麻痺しつつあるのかもしれないが。

彼女は、なんというか、表情がころころ変わって、無邪気で、目を引くのだ。
だから見かけるたびについ、気になって目で追ってしまう。

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