今日が土曜日で本当に良かった。

目が覚めてからずっと、布団から出ずにごろごろしている。学校があるわけじゃないから、お母さんも起こしには来ない。このままいつまでも寝ていたい気持ちだけど、だんだんと、カーテンごしに感じる日差しがまぶしくなってきた。

もう一度眠りにつく事も出来ず、起きていれば考える事はひとつだけ。

『オレ、リンが好きなんだ』

オビトの真剣な表情も、迷いの無い声も。
思い出したくないのに、何度も何度も頭の中に浮かんでくる。

夕べはなかなか寝付けなかった。布団の中で丸くなりながら、いつまでもぐるぐると考えてしまって、胸が締め付けられるように痛くて、何度も目尻を涙が零れた。

オビトがリンを大切におもっている事なんて、ずっと知ってたのにな。

改めて本人の口から聞くと、わかってたはずなのに、心をざっくり刃物で切られたみたいに痛かった。


『そう、なんだ……』
『……うん』
『……オビトはどうするの?告白とか、するの?』
『そりゃ……いつかは、したいと思ってるけど』
『いつかって、いつ?』

そう聞いた自分の声が、まるで責めるみたいに響いて、あたしは唇を噛んだ。

『……』

オビトは叱られた子どもみたいに、下を向く。
いつも能天気に笑ってるくせに、リンのことでばっかり、オビトは自信をなくしたり、動揺したり、真剣になったりするんだな。そう思ったら、ますます、胸の奥が痛んだ。

『……オビトだって、聞いてるんでしょ。リンの将来の夢のこと』
『ああ。……リンは昔から決めてたからな』
『だったらさ、もう、あんまり時間ないんじゃない』


気がつけばもう家の前に着いていた。玄関前の段差に足をかけてふりむくと、オビトはあいかわらず、浮かない顔をしている。

『オビト……悩んでる暇があったら、当たってくだけろだよ。だいじょーぶ!オビトの気持ちは絶対リンに伝わるって!』

精一杯のつくり笑顔は、成功したみたいで。

『……そんな簡単に言うけどなあ』

オビトはやっと、いつもみたいに笑ってくれた。

『ありがとうな、晴』
『こっちこそ送ってくれてありがと。……がんばれ、オビト』

そう言いながら、あたしは今度こそ、本当に心から笑えた。

あたしはオビトの事が好きだ。
だから、オビトには笑っていて欲しいし、どんな時も、彼を応援したいって思ってる。

ましてや彼の好きな人はリンなのだ。
リンがどんなに良い子か、親友のあたしは良く知っている。

オビトはあたしよりももっと、ずっと、リンの事を知っているのだろうけど。


『……なんか、晴にがんばれって言われると気合入るわ。大会前も毎回言ってもらってるからかな』

オビトが照れくさそうに笑いながらそう言って、頬を掻いた。
そんな風に言ってくれるのが嬉しくて、でも、今はやっぱり複雑で。
ちくちく胸が痛むのを、誤魔化すように、あたしも笑い返した。



好きな人の事を応援したいっていう気持ちと、
好きな人に好きな人がいる事を悲しいって思う気持ちを、
同時に持ってしまうのは、たぶん、仕方の無いことだ。

だから、オビトに会わないですむ今日は、自分のことだけかんがえて、好きなだけ悲しんで、落ち込んでもいいよね。

……今日が土曜日で、本当に良かった。



そんなあたしの事情など、母は当然しるよしもないので。
一日ヒキコモリ計画は、買い物を頼まれたことによりさっそく崩された。


今日は冬晴れで、空気は冷たいけれど、風は無いし、日差しもあってそれほど寒くない。

タータンチェックのマフラーをぐるぐる巻いて、しっかりマスクもして、髪はぼさぼさだけど、まあ、いっか。近所のスーパーだし。

頼まれたものをカゴにつっこみ、レジで会計をすませて、さっさと帰ろうと袋につめていたら、後ろから声を掛けられた。

「晴ちゃん?」
「……リン!」



リンも家の人に頼まれて買い物にきていたらしい。
あたしたちは買い物袋を下げながら、川沿いの道を並んで歩いた。

正直なところリンに会ったら、ちゃんと笑えるのか不安だったのだけど、案外いつも通りに笑って、他愛ない話ができる自分にほっとしていた。

公園の前にさしかかって何となく足を止める。

「誰もいないね」

リンがそういって、どちらともなく公園のなかに足を踏み入れた。

「リン、急いでる?」
「ううん、晴ちゃんは?」
「あたしも。全然急いでないよ」

砂場のそばのベンチに並んで腰をおろして、一息ついて。単語テストがどうだったとか、担任の新しい髪形が変だとか、そういう話にも一区切りついて。

「そういえばリンってさ……」

気になっていた事をとうとう切り出すとき、なんだか緊張して、ごくりと唾をのみこんだ。

「リンって、好きな人いるの?」

なんとなくリンの顔をみれずに、自分の足をみる。
じゃり、と靴の底が砂をけずる音をたてた。


少しの沈黙のあと、リンは「いないよ」とだけ言った。
驚きを隠しながら横を向くと、リンはどこか遠い目で、まっすぐに前をみていた。

「……そっか」
「……」

オビトの話では、リンには好きな人がいるみたいだったから、「いないよ」と言い切られたことが意外で、だけど、そう言ったリンの表情はなんだか元気が無くて……

たぶん、リンに好きな人がいるというのは、オビトの勘違いじゃないんだと思う。

親友だから……もし、隠されているのだとしたら、悲しかった。
今、リンが何を考えているのかわからなくて、寂しくなった。

けれど、あたしだって。リンにずっと隠してきたのだ。
リンとこういう話をしたことがなかった。できなかった。する勇気がなかった。

「晴ちゃんは、いるの?……好きな人」

やっぱり返された質問に、ぐっと息を飲み込む。
緊張しながら、リンの顔を見つめ返した。

リンは眉を寄せて、辛そうな顔をしていた。彼女も、何かに緊張しているようだった。

――リンはもしかしたら全てを知っているのかもしれない。

「あたしは……」

あたしがオビトを好きで、オビトがリンを好きだってこと。
もしかして、気づいているの?

だとしたら、リンの好きな人はもしかしたら――

「あたしは……あたしも好きな人はいないよ」
「……そうなんだ」

リンはぎこちなく笑った。
嘘をついた後ろめたさで、あたしはまた目をそらした。

暫くの沈黙の後、「そろそろ行こっか」とリンが言った。

「……リン、ごめん!」
「晴ちゃん、ごめんね!」

言葉を発したのがまったく同時で、あたしたちは思わず顔を見合わせた。

お互い、びっくりと気まずさがいりまじったような変な顔で、しばらく見つめあった後、二人して吹きだしてしまう。

「あはは、なに?リン……」
「晴ちゃんこそ、なにがなの?」

笑ったら急に、張り詰めていた空気が和んだような気がした。
そもそも、あたし達の間に、こんな空気が流れたことなんて、はじめてだったと思う。
そう思ったら、なんだかまた笑えてきて、肩にはいっていた力もいつの間にか緩んでいた。

「リン。……あたしね、本当は好きな人いる」

あたしが言うと、リンはハッとしたような顔をして、それから、
「そうなんだね」と言って小さく微笑んだ。

「でも今はちょっと……リンに言えるような状態じゃなくって……。自分の中でちゃんと、ケリがついたら、いつか、絶対話すから。……その時は、聞いてくれる?」

途切れ途切れのあたしの話を、リンは真剣な顔で聞いてくれた。

「うん。もちろん、聞くよ。……晴ちゃん、ありがとう」

そしてリンは、真っ直ぐにあたしの事を見た。

「私もね……私は……。私もいつか、晴ちゃんに、ちゃんと話せる時がくると思う。今はまだ、自分でも、ぐちゃぐちゃしてて……ちゃんと、気持ちの整理がついたら、晴ちゃんに聞いてほしいって思うの」
「うん。……リンが話したいって思うまで、待つよ」
「ありがとう」

そう言ったリンは、穏やかに笑った。

リンはオビトの事が好きなんじゃないかって、ついに聞くことは出来なかったけれど……。それでも、さっきまで感じていた寂しさやモヤモヤは、リンの笑顔を見ていたら、どこかへ消えてしまった。

……今日、リンに会えてよかった。

「それじゃあまた明後日。晴ちゃん気をつけて帰ってね」
「うん、リンもね」

分かれ道で手をふって、歩き出す。

いつか、あたしの気持ちを、リンに笑って話せるようになる日が、きっとくる。
オビトへの想いに、きちんとけりをつけたら、……リンに、聞いて貰えたら良いな、と想う。

それは、そんなに遠い日では無いのかもしれないけれど、……そう思うことに、それほど悲しさを感じないのは、今日、リンと会って話せたからなのだとおもう。

ふと振り向いてみたら、遠ざかるリンの小さな背中が見えた。
その心の中に誰がいるのか……親友が話してくれる日がいつになるのかはわからないけれど、それまで、待とうと想った。

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