※大学生になった二人の話です。






透明なカップのなかに薔薇色がゆっくり注がれる。ふわりと広がる甘い香りの湯気に頬が緩んだ。

「晴、これ好きだね」

ポットをテーブルに置きながら、カカシがふっと微笑んだ。シンプルな白いシャツに黒いベスト、黒いエプロンが悔しくなるほど似合っている。

「うん。好き」

返事しながら、カカシが注いでくれたハーブティーに口づける。ハイビスカス、はわかるけど、ローズヒップとリコリスは、どんな形の植物なのか想像もつかない。リコリスは……お花だっけ?わからないけれど、このピンク色したハーブティーはあたしのお気に入りだった。ケーキはその都度違う物を頼むけど、飲み物はいつもこれを選んでしまう。

「……カカシもうすぐ上がりだよね」
「ん。ちょっと待ってて」

ザッハトルテにフォークを入れずに待っているのは、カカシが来てから食べようと思っているからだ。カカシの分のアップルパイは既にテーブルに並んでいる。
注文いいですか、と声がして、カカシは「はい。今行きますね」と優美に微笑んだ。「じゃ、後でね」小声で言ってくれた言葉に頷く。去って行くカカシの背中と、その向こうで彼に目が釘付けになっている女性客達を見て、ぺろりと唇を舐める。

あと15分もしたらカカシは、店員の制服から着替えて、あたしの目の前の椅子に座る。長い足を組んで。
それからお客さんに見せる笑顔とは違う、恋人にしか向けない顔で笑うのだ。
ふつふつと優越感のようなものが沸いてきて……ハーブティーを飲んでにやにや笑いを誤魔化した。カカシとあたしは付き合ってもう二年以上になる。高校三年の4月から今日まで、それなりに順調なお付き合いを続けていた。

カカシは教員を目指す学生が多い国立大に進学し、あたしは家から通える私大に進学した。悩んだ末に、少しでも興味の持てそうな学科がある大学を選び、勉強が苦手なあたしがなんとか合格できたのも、カカシの指導のおかげである。

大学はバラバラになってしまったけれど、相変わらずあたし達は火ノ国駅のあるこの小さな町で暮らしていた。カカシは高校時代からの、ケーキ屋兼カフェであるこの店のバイトを今でも続けている。ミナトさんとクシナさんも相変わらず仲が良い。ナルトくんは妹が出来てお兄ちゃんになり、今年もう小学校に入学したというのだから、時の流れってほんとに早い。

「ただいまー!あ、晴ちゃん来てたのかよ!」

カランとお店のドアが開く音がして、今考えていたナルトくんが入ってきた。あたしが手を振るとはじけるような笑顔を返してくる。
「ナルト、裏口から入りなさいっていってるでしょ」
レジまわりを片付けていたクシナさんが唇を尖らせる。
「だってさだってさ、ケーキあまってないか見たかったんだってばよ」
ナルトくんがニシシと笑う。
「もー、今から食べたら夕ごはん入らなくなるよ?……あら、もしかしてお友達連れてきたの?」
クシナさんが入り口のドアの、格子窓の向こうに目を向けた。
「うん。サクラちゃん連れてきたってば!……あとサスケも」
「なんだ。外で待たせてないで中入れてあげなさいってばね。好きなの選んで良いわよ」
「やったー!かーちゃん大好き!」

ナルトくんも大分ぺらぺら喋るようになったよなぁ、と、割と頻繁に会っているのにいつも感心してしまう。小学校に上がったんだから当然なんだけど、どうしてもはじめて会ったときの、あのたどたどしい喋り方のナルトくんが頭にあるのだ。
もちろん6才になったナルトくんも相変わらずのかわいらしさである。

桜色の頭の女の子と黒髪の男の子がおずおずと入ってきて、ショーケースに並ぶケーキを選びはじめた。あれ、あの男の子ってもしかして……。

もう随分前になるオビトの家での記憶を辿っていると、「お待たせ」と声がかかり、もう私服に着替えたカカシが椅子を引いて、あたしの目の前に腰を下ろした。

「早かったね」
「ん。ミナト先生が晴ちゃん待たせてるからもう上がって良いよって」
「うそ。……気を遣わせちゃったかな」
「大丈夫。後輩も入ったしね」

頬杖をつきながらカカシが笑う。後輩というのは高校生の男の子で、なんでもパティシエを目指しているらしい。ミナトさんのケーキに惚れ込んで、修行させてください!とこの店でバイトしはじめたんだとか。

惚れ込んでしまう気持ちもわかる。カカシも来たことだし、ザッハトルテにすっとフォークを差し込んだ。ぱくりと一口食べて、美味しさに目を閉じてうっとりしてしまう。
「ほんと美味そうに食べるよね」
「だって美味しいんだもん」
目を開けるとカカシが、とても優しい顔で笑っていた。バイトの時はマスクをしていないので、(常に風邪を引いている店員がいるみたいで微妙だろうという正しい判断だ)バイトあがりのカカシもマスクをしていない。けれど、大学に行くときは相変わらずいつもマスクをしているらしい。あたしはそれにちょっぴり安心している。だってこれ以上カカシがモテてしまったら困る。マスクをしててもやつは高校時代からモテていたから、きっと大学でもモテてるんだろうけど……焼きもちを妬いてしまうのであまり聞きたくは無い。

さっきカカシに騒いでいた女性客が「彼女だったんだー……」「いいなあ……」と潜めきれていない小声で会話するのが聞こえてきた。こんな会話にちょっぴり優越感を抱いているなんて知れたら、カカシに笑われてしまうだろうか。

「どうだったの、この間は」
「この間?」
「クラスの連中と飲み会あるって言ってたでしょ」
「ああ」

アンコが主催の飲み会に誘われたから、今度の木曜行くんだよね、と、確かに先週電話で話した気がする。よく覚えていたなあ。

「うん。普通に楽しかったよ」
「飲まされなかった?」
「大丈夫。そんな柄の悪いやつらじゃないから」

あたしがお酒に弱いことを、カカシは心配してくれているのだ。二十歳の誕生日、はじめてカカシと一緒にお酒を飲んだ。ホールケーキと一緒に缶チューハイを一缶飲んだだけで頭がぐらぐらして、気持ち悪くなっちゃって、あの時カカシはかなり大慌てだったっけ。あたしんちで飲んだからまあ良かったんだけど、カカシはあの時散々、あたしの親に謝っていた。謝ることなんてないのに。そんなカカシの事を姉は今でも「あんたの彼、マジで良い子だよね。イケメンだし。あたしが付き合いたいくらいだわ」なんて言ったりする。もちろんお姉ちゃんに渡す気など無い。

「帰れなくなったらヤダから、ほとんど飲まなかった」
「そ。ならいいけど。……男もいたんでしょ」
「まあ。でも別に、合コンとかじゃ無いからね!?」

あたしが言うとカカシは、「どーだか……」と溜息をついた。信用されてないのは腹が立つ。むっとしていると、カカシがフォークにさしたアップルパイをあたしの鼻先につきつけてきた。

「……ん」

促されるままぱくりとフォークをくわえると、目の前でカカシがクスクスと笑った。美味しさに頬が緩んでしまう。

「美味しい?」
「……うん」

カカシはまだ笑っている。なんか悔しい。

「そいえばさ、不知火ゲンマって知ってる?」
「ゲンマ?……聞いたことあるような」
「カカシと中学一緒だったって言ってたけど」
「……ああ、一学年上にいたような」
「だぶってるらしく同じ学年なんだよね」
「へぇー……」

それまであんまり話したことが無かったんだけど、この間の飲み会で隣の席になって。色々話してたら地元が一緒だと言うことが解り、まさかと思ったらカカシ達と同じ中学だったみたいで。世間は狭いなあなんて思いながら、話が弾んだのだ。

「仲良くなったの?」
「へ?仲良くなったって程じゃ無いけど……あ、ほらこの人」

友達追加したばかりの、ラインのアイコンをタップする。ちょっと目つきの悪いゲンマの顔が拡大されたスマホをカカシに見せたら、「あー、確かに知ってる」とつまらなそうに言った。

「もっと驚いてもいいじゃん」
「別に。驚くことじゃないでしょ。晴の大学近いんだし」
「そーだけどさー……」

近いって言っても来年からは……。その話題をカカシに切り出そうとしたら、「こんにちは」と声をかけられて、顔をあげると例の後輩くんがお皿を片手にたっていた。

「こんにちは。……あ、また新作ケーキ考えたの?」
「はい。今回のも自信作なんで、ぜひ食べてみてほしくて」

黒目がちな目を輝かせて、後輩くん……たしかヤマトくんだったはず……が、ケーキの載ったお皿をあたし達のテーブルに載せた。

「わあ、美味しそう」
「相変わらず茶色いけど」

カカシが突っ込むのも無理はなくて、ヤマトくんの考案するケーキといえば大体茶色か緑なのである。チョコ系と抹茶系が好物なんだろうか。ピスタチオをつかったケーキの時もあるから、色が好きなのかな?

「いただきまーす」

今回はパウンドケーキらしい。早速ひとくち切り取って、口に運ぶあたしの顔をヤマトくんがじっと見つめてくる。そんなに見つめられるとちょっと緊張してしまう。口の中でふわりと紅茶の風味がして、ナッツの微かな渋みがした。

「うん……美味しい」
「ホントですか!?」
「うん。胡桃がいいね!」

ヤマトくんは物凄く嬉しそうな顔をしている。黙っているとやや無表情気味で、なんとなくとっつきにくい印象もあるけれど、こうして嬉しそうにしていると年相応の男子高校生らしく見えた。そういえば彼は、あたし達の通っていた高校の生徒でもあるのだ。

「ね、化学の大蛇丸先生元気?」
「え?大蛇丸先生ですか?……相変わらず変な実験ばっかやって校長に怒鳴られてますけど」
「あの人なんで高校教師になったんだろうな……」

通ってた高校の話ができるのは何だか楽しい。暫くヤマトくんも交えておしゃべりをした後、あたし達はama・gri・amaを後にした。

「ねぇ、なんでカカシはヤマトくんの事、テンゾウって呼んでるの?」
「え?」
「さっき言いかけてたじゃん。テンゾウ……じゃなくてヤマトって」
「ああ。……理由話すとあいつ怒るんだよな」
「えー何それ、気になる。やっぱりヤマト・テンゾウくんが本名ってワケでは無いんだ?」
「ぶはっ……それもあいつに言ったら怒りそう」
「なんでよ。ヤマトテンゾウ君全然ありでしょ。はたけカカシだって充分かわってない?」
「晴に名前変わってるって言われたって、父さんに苦情言っとくね」
「うそうそ!やめてよー!」

和やかに話しながら、カカシの家までの道を歩く。今日はサクモさんは不在らしい。カカシんちで一緒に夕飯をつくって食べるのはよくある事だった。

「そういえばさ……」

繋いだ手にちょっと力がこもってしまう。カカシが「ん?」とあたしを見た。

「うちの大学、キャンパスが増える事になって。来年からあたし達の学部、そのもう一個出来る方のキャンパスに移動になるっぽい」
「そーなの?……どこ?」
「えっと、風ノ国駅ってとこ」
「……モノレール?」
「うん」

カカシが眉を寄せる。

「遠いね」
「そうなんだよね……」

うちから通うとすると、乗り換え二回で片道二時間ぎりぎりかからないぐらい。まあ、通えると言えば通えるんだけど。一限の授業の時とかはちょっと辛い距離だ。

「それで、一人暮らししようかと思ってて。大学の側か、30分以内で通学できそうなあたりで」
「え……そうなんだ」

カカシが目を丸くしている。ちょっと沈黙が落ちた後、
「でも、そうだね。一人暮らしできるならその方が、通うのは楽になると思うけど」とカカシが言った。

バイト代だけじゃ厳しいだろうから、奨学金とか申請する事になりそうだ。幸いにも大学側も、今回急にキャンパス移動になる生徒を対象に、支援金を出すつもりらしい。

「カカシは寂しくないの?」
「寂しいのはお前でしょ。……できるの、一人暮らし」
「わかんない。……楽しみな反面、やっぱりすごく寂しくなりそう」
「お前んち賑やかだもんね」

そうなのだ。生まれてから今までにぎやか家族の中で育ってきた身としては。実家を出て一人暮らしは、自由だとか憧れとかの気持ち以上に、寂しそう、という気持ちの方が強い。

「それにもしGが出たらどうしよう」
「Gって?」
「虫だよおぉ……」
「あー。倒せないの?」
「うん。生まれてこの方倒したこと無いよ。もし出たらカカシ呼んでいい?」
「……虫が出ないと呼んでくれないわけ」

ちょっと拗ねた様子のカカシがおかしくて、「呼ぶ呼ぶ!いつでも来て!」とあたしは笑った。

「まだ来年の話でしょうよ」
「うん。そうなんだけどさー……」

さっき、カカシは寂しくないの?と聞いたけど、すんなり流されてしまったのが、ちょっとだけ不満だ。今までは家が近かったからいつでも会いたいときに会えたのに、大学も違って住んでる駅も変わっちゃったら休みの日しか会えなくなる。それが寂しいと思うのはあたしだけなのかな。
それでなくてもカカシはかなり、大学の授業も実習も忙しいみたいなのだ。不真面目学生のあたしとは違って、ちゃんと夢を目指して日々勉強しているから。

「大丈夫かな……」
「慣れれば快適だよ。一人暮らしも」
「そうかもしれないけどさ……」

考えてみればカカシも、サクモさんが忙しくてなかなか帰宅しないために、わりと一人暮らしみたいな状態だもんな。

「……あたしはカカシと離れるのが寂しい」

家族と離れるのも寂しいけど、一番はそれで。

「大げさだね。住むにしても同じ都内に住むんでしょ」
「そうだけどさ……カカシ冷たくない?」

カカシが立ち止まって、そんな事無いよ、と微笑んだ。
それからあたしの両頬を大きな手で包み込む。

「晴が一人暮らししたら、オレ入り浸る気満々だし」
「え?……」

にやっとカカシが笑う。……確かにカカシの大学もいま、片道一時間ぐらいかかっているみたいだけど、風ノ国駅のほうが近いかも。

「あたしんちを利用するつもりか……」
「利用って……。でもなんか、半同棲みたいになりそうだね」
「カカシ……それはなんかダメ男っぽいね」
「じゃ、一緒に住んじゃう?」
「え?」
「オレも一人暮らししようかな……って思ってたし」

カカシにむにっと頬をつままれながら、それは結構魅力的な提案に思えて……いやいやだめでしょ、とあたしは首をふった。

「結婚前に同棲なんて!だめでしょ!」
「そうかな。もう親公認だしいーんじゃない」
「親公認って……まあ、公認なのか…な…?」

流されそうになりつつ、というかもうほとんど、カカシと一緒に暮らしたら楽しそうだな……とウキウキしちゃいつつ。戸惑っている内にカカシの顔が近づいてきた。そのままちゅっと口づけを落とされる。

「だからいつも……道でしないでって言ってるのに」
「ちゃんと人が居ないこと確かめてるから大丈夫」
「大丈夫じゃない……」
「深いのは家でしかしないからいいでしょ」
「……」

また大きな手に手を絡め取られて、機嫌がよさそうなカカシと並んで歩く。学生の分際でカレシと暮らすと言ったら、いくらゆるゆるなうちの両親でも、怒りそうだなー……と思ったけど、うちの両親も姉同様、かなりカカシの事を気に入っているので……どーぞどーぞってな事になる可能性も。顔も頭も性格も良い、と父がカカシを評していたのを思い出す。ちょっと娘の彼氏を気に入りすぎだよな……と我が父ながら思った。

「サクモさんは何ていうかなあ……」
「オヤジ?オヤジは喜びそう」
「そうなの?」
「晴の事気に入ってるし、はやく嫁に貰えってうるさいし」
「え……」

カカシは当たり前のように将来の事を口にする。あたしと結婚するつもりなのかなあ。

「晴、顔ニヤけてるよ。お前ってほんとわかりやすいよね」
「え!?……カカシだって」

笑いあっているうちにもうカカシの家が見えてきた。

「ね……今日泊まってけば?」

耳元で囁かれて、体が震えた。

「……うん」

あたしの返事を聞いてカカシが満足げに笑う。こうして誘われるたび、いまだに顔が熱くなってしまう。はやく慣れたい。

end.
20171105
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