夏をまるごと搾ったみたいなオレンジと黄色のグラデーション。先端がスプーンになったストローを突き刺して、まなつがそれを口に運んだ。そんなに大きな氷の塊を口に放り込んだら、口の中の温度が一気に冷える。体温を上げようと増えた血流が頭の血管を膨張させて、すぐに頭痛に襲われるだろう。案の定、鋭い痛みが走ったようで、まなつは目を閉じて顔を歪め、「痛い…」と呟いた。そういう様子は相変わらず子供じみている。

「カカシ先生も食べる?」
「いや、オレはいい……」
「でも先生、熱中症になっちゃいますよ?」

水分はちゃんと摂っていたはずだが、確かに喉は異様に渇いている。この暑さだ、水を飲んでも飲んでも、すぐに汗になって流れ出てしまう。シャーベットとジュースの中間みたいなそれを、まなつはまたさくりと掬うと、オレの顔の前に差し出した。食べろって……?

「ね、美味しいですよ」

甘い物は苦手なのに、邪気の無い笑みを向けられては断りきれず、口布を下ろした。ぱく、と匙を舐め取ると、冷たさと、意外にすっきりとした甘さが口の中に広がる。まなつの掬った一口は、やはり大きすぎて、口の端に少し零れてしまった。べろりと舌で氷を舐めとる。目の前でまなつが匙を持ったまま、オレの顔を凝視していた。

「なに……顔赤くして」
「カカシ先生の食べ方って……なんか……」

そう言ったきりまなつは顔を赤くして黙り込む。何を考えているんだか……。

「……やらしいねお前」
「はっ!?……やらしいのは先生でしょ!」
「えー?」

オレはただ差し出された物を食べただけなのに、横暴だなぁと思いながら、もう一口頂戴、とまなつの手首を掴むと、

「イチャついてねーで手伝えってばよー!」

ナルトの声と同時に、細い水飛沫が飛んできて足下を濡らした。ナルトが、ホースの端を潰して水流をこちらへ飛ばしているのだ。その後ろで、サクラとサスケがもくもくとモップを動かしている。カンカン照りの太陽が、プール掃除に駆り出された少年たちの影を色濃くしていた。

里内のプールの掃除に駆り出されるんだから、近頃はいたって平和なものである。もう先生と教え子という関係でもないけれど、こうしてナルト達と雑用みたいな任務をするのは懐かしくて、自然と頬が緩んだ。熱中症対策の差し入れを持ってきてくれたまなつは、役目を終えて帰るのかと思いきや、「楽しそうだから見ていきます」等と言ってオレの隣に腰を下ろした。見ていくじゃなくて手伝いなさいよ、と言うと、「カカシ先生だってナルトたちにやらせてイチャパラ読んでるだけじゃないですか」ともっともなことを言い返された。

「まなつも手伝って行けってばよ!」
「んー、まぁ、暇だからいっか!」

水の抜けたプールに向かってまなつが走って行く。何だかんだで、何でも楽しむ性格だよなぁ、と思いながら背中を眺めていると、ずるっと足を滑らせてナルトに突っ込んでいった。……ドジだなぁ。

呆れながら、じゃれ合うまなつとナルトを見る。きちんと年齢の釣り合った二人が並んでいると、なかなかに絵になる。眩しい日差しの下で、笑い合う少年と少女。夏だなァ……と思いながら、またイチャパラに目を落とした。




まなつに初めて会ったのは、確かこんな夏の日だった。サクラの友達の女の子で、年はサクラより二つばかり年上らしかったが、オレの目にはそう変わりなく見えた。何故だか酷く懐かれて、いつの間にか良くまわりをうろつくようになった。

まなつは素直で明るい少女で、忍ぶこととは無縁の性格だった。いつも太陽みたいに笑っていて、顔を合わせてはカカシ先生カカシ先生と懐いてこられて、単純に可愛らしかった。この年頃の少女が、年上の男に憧れるというのは良くあることで……純粋な憧れの気持ちを真っ直ぐ向けられるのは別に嫌ではなかったし、多少のまわりのからかいも、冗談として受け止めていたし、実際冗談でしかなかったはずだ。何と言っても、一回りも年下なのだから。

気がつけば数年が経ち、まなつはまだ少女らしさを残しているものの、大人の女にも片足をつっこんでいるような……美しい年頃になっていた。外見が大人びて、言動に多少落ち着きが見られても、オレに対する態度は相変わらずで。見かければ全力で向かってきて、懐いてくる様子は憎めなかったけれど。周囲からは以前より、もう少し真剣な声色で、「もしかして付き合ってるのか?」だとか「今度の女は随分若いな」だとか好き勝手言われるようにもなっていた。

オレとこいつじゃ、良くて年の離れた兄妹か、悪くて援助交際にしか見えないでしょ、と思っていたけれど、「あいつももう十八なんだよなぁ、犯罪ってほど年下でも無いんじゃないか?」とアスマに面白がって言われるほど、最近のオレは、まなつに対して戸惑う態度が表に出ていたのかも知れない。

この夏のはじめに、あいつを海に連れて行ったときから、特に調子が狂っているのだ。

まなつは会えば色んな事を話してきて、時にはオレには思いつかないような視点で物事を語った。鈴のように高い声は耳に心地よく、尊敬と信頼の籠もった瞳を真っ直ぐに向けられるのは、少々くすぐったいものの、悪い気はしなかった。ナルト達と接している時と、何が違っていたんだろう。もう随分前からオレは、自分の中の感情に気づかないふりをしていた。眠っているときに側に立たれても気づかないほどまなつに気を許してしまっている事も、その笑顔を向けられると気持ちが和んで温かい感情で満たされるという事も……考えるまでも無く、オレの中で、まなつの存在は特別な物になっていた。

――こんな年上の男に本気で好かれたら、あいつも困惑するだろうなぁ。

『憧れ』は少なからず持たれているんだろうが、それが恋愛かどうかは……確かめもしていないのに。口づけてしまいそうになったり、隣で眠ってしまったり、手を繋いだりと、最近は歯止めがきかなくなってきている。

少し熱を冷まそうにも、まだまだこの夏は暑くて終わる気配が見えない。




「きゃっ!!」
「ワリィまなつ、かかっちまった」
「ナルトォー!!良くもやったなぁ!」


「……」


水を掛け合ってはしゃぐアイツらを見て、溜息をつく。
やっぱガキだよなぁ。


「ちょっとまなつちゃん!ナルト!あんまりふざけてるとマジで怒るわよ!」
「ひっ!サクラが怒ったらプールが壊れちゃう……」
「この夏のプールが営業中止になったら子ども達が悲しむってばよ」
「お前らいい加減手を動かせ……」

サスケが何かに気がついて、動きを止めた。目を伏せて珍しく顔を赤くしたかとおもうと、サクラの腕を掴んで何か耳打ちをした。

「おいサクラ……」
「え?……わ、まなつちゃん」
「ん……?」
「びしょびしょじゃない!着替えてきた方がいいわよ」
「えー。着替え……持ってきてない」
「とりあえず体を拭いた方が良いよ……」

プールサイドをよじのぼって、まなつがこっちに向かってきた。
水滴のしたたる髪が額に貼り付いている。

あーあ、頭から濡れちゃって。
タオルならその辺に、と差し出そうとして、視界に裸足の両足が見え、ふと見上げる。

「せんせー、びしょ濡れになっちゃった……」
「お前……」

無邪気に笑っているまなつは、濡れた白いTシャツがべったり体に貼り付いていて、肌と青い下着が透けてしまっている。恥ずかしくないのか……。

「どう掃除してたらそうなっちゃう訳?」


呆れながらタオルを被せると、「だってナルトが……」と口を尖らせる。
本当にガキだな……。

でも、この肌を誰にも見せたくない。

「そんなんじゃもう、掃除なんて出来ないでしょ」
「でも、あとちょっとで終わりそうですよ」
「なら、あいつらに任せてもう帰ろう」
「……ナルトたち怒ると思う」


まだ掃除を続ける三人に、まなつを送ってもう帰ると伝えると、まなつの予想通り怒ったのはナルトだけで、あとの二人は「はいはい」「どうぞ」という反応だった。不思議そうにしているまなつにあきれつつ、その手首を掴んでプールサイドを後にした。あまりまなつの方を見ないようにしながら、なるべく人に会わないように、人通りの少ない道を選んだ。
水着姿だってこの前見た癖に、濡れたシャツの貼り付いた体が脳裏にこびりついて離れない。


「真っ昼間なのにまた送ってくれるんですか、先生」
「とりあえず、オレんちのほうが近いから……服貸すよ」
「えっ!先生の家行っていいの!?」

まなつはタオルを頭からかぶったまま、きらきらした目で見上げてくる。
呆れて溜息しか出ない。
彼女の無防備さと、そんな彼女に劣情としか言えない感情を抱いている自分自身に。

「カカシ先生、アイス買って行きましょうよ」
「まだ冷たいの食べるの?お腹壊すよ」


この瞳にオレ以外の誰かが映る事を許せるだろうか。
この声がオレ以外の名を呼ぶことを許せるだろうか。


いつからか頭を巡るようになった冗談では済まされない自問自答がまた沸いて。


……これから男の家に連れてかれるというのに、まなつは何にもされないと思っているらしい。
安心しきった様子で、大人しく隣を歩いている。


そろそろ教育が必要な頃だろうか。


――お前はもう子供じゃ無いんだよ。大の大人を惑わせて……ただで帰れると思うなよ。


五月蠅い蝉の声の中、温んだ手首を掴んで歩く。



オレだけがもう、戻れない事を知っていた。








end.




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