ことほぎの儀
ひのてんR18

「てんこはどれくらいお祭りに詳しいの?」

「地元民の割には、全然。毎年屋台のために来てたんで」

今朝の宮司の話も、眠気に負けて右から左に聞き流していた。唯一把握しているのは祭のタイムスケジュールくらいだ。天子がゆるゆると首を振れば、程なくして彼の歴史講義が始まる。やたらと蘊蓄を垂れる輩は天子も嫌いだが、恋人という贔屓目を抜きにしても火野の話はためになることが多いので、おとなしく耳を傾けておく。

「まずは目的だね。何のためにお祭りをするのか」

講義といっても彼が一方的に喋り倒すことはない。適宜こちらに質問を投げ掛けてくるので、数学の解法を組み立てるように、簡単なものから順に答えていく。

「たぶん五穀豊穣とか、無病息災とか、そのへん」

「そう、一年の無事や繁栄をみんなでお祈りするためだね。誰に?」

「神様?」

「そうだね。じゃあ神様にお願いを聞いてもらう代わりに、僕たちは何を差し出してるのかな?」

賽銭、と言いかけて口をつぐんだ。金で神社が立派になれば神とやらも喜ぶかもしれないが、そんな迂遠的な供物でいいのだろうか。天子が軽く首を捻れば、講師は優しくヒントを醸してくれる。

「神様が好きなものは何だと思う?」

「酒と、女。あと美少年とか」

「ほとんど正解だね。お酒は階段下の出店辺りに御神酒があったよね」

大きな盃にたっぷりと注がれているものだ。昔は参拝客に配っていたようだが、現在は揮発もお構いなしに飾りとして置かれている。

「じゃ、女は巫女舞か」

穢れなき乙女たちの舞。神様でなくとも心惹かれるだろうイベントだ。ところが火野は頷かない。

「昔はね、このお祭りが二日間続いたそうだよ。今は日が沈んだら終わりだけど、明治辺りでは明け方までお酒を飲んで騒ぐのが普通だったみたい。巫女さんもずっとは踊れないし、雅楽の演奏とか福男選びとか、他にもいろんな催しがあってね。その中のひとつで、真夜中にとある儀式が行われていたそうだよ。たぶん、この場所で」

「儀式?」

そんなものがあったとは初耳だ。さっきから初耳の連続ではあるが、地元民とはいえさすがに百年も昔の祭の形態は知りようがなかった。するとその儀式とやらに、この舞台が使われていたことになる。

「信じてないわけじゃねえけど、たぶんってのはどう推察したんですか」

火野がラモーブで閲覧したものは、社務所で保管している資料の写しだろう。かなり前の火事で資料の一部が失われており、場所までは記載がなかったのかもしれない。
不意に、彼は伸ばした両手で天子の耳をそっと覆った。指先の冷たさにギクリとする。

「わかる?」

「? 何が…」

動揺を押し殺して尋ね返せば、火野は自分の耳を覆ってみせる。

「ここに来た時――立入禁止の先に来てから、ちょっと変だと思ったんだ。音がこもって聞こえる」

林からバサバサと、鳥が羽ばたく不快な音がした。天子には感じ取れない微妙な変化だ。

「全然わかんねえ」

「崖に囲まれた地形のせいかな。この敷地で鳴ってる音は反響するのに、近いはずの境内の太鼓はすごく聞き取りにくい。こそこそ悪いことをするには打ってつけだね。イヤホンで音楽聴くのはいいけど、あんまり大音量にしないほうがいいよ」

さりげなく難聴を心配されてしまったが、天子にも思い当たることがあった。

「そういや社務所のババアがブチキレた時、『危なくなって助けを呼んでもここじゃ届かん』的なことを言ってた気が」

単に人気のない場所だからと思っていたが、音の聞こえ方までは気づかなかった。

「そんな悪いことしてたんですか。ここで」

「悪くはないけど、倫理的にまずいと判断されたから現代では廃止されたんだろうね。ここでは男女の目合いを披露してたんだよ」

火野があまりにも淡々と続けるので、天子もいったんは頷きかけた。首を縦に傾いでから、頭を勢いよく跳ね起こして叫ぶ。

「はあぁ!? こ、ここでって…マジでそんな」

「ああうん、寒いから実際はこっちじゃないかな」

こっち、と火野が社を指差す。何かのドラマで見た、怪しい香を焚いた部屋で男女が布団を間に正座で向き合う光景が浮かんだ。神様とやらの露悪的な趣味に付き合わされたのでは倫理もへったくれもない。

「んじゃここは何なんですか」

「こっちは舞台。『今から始めますよ』っていうご挨拶をするんだよ。昔は平地でも積雪があったそうだし、一晩外で過ごすのは厳しいからね」

とはいえ、ろくな暖房器具のない近代以前に隙間だらけの社で人肌を頼りにするのも十分酷である。巫女舞で我慢しておけばいいものを。

「このお祭りって、数え年で十八になる男女がお手伝いするでしょ? 昔の感覚で言えば結婚適齢期だし、相手がいないなら『それ』を機に、って感じだったんじゃないかな。本人たちの同意も一応とってたみたいだから」

「は!? ってか俺たち――いや、手伝いの奴にそんなんやらせてたのか」

あ、と説明の順序を誤ったらしい声がする。

「部落の『繁栄』を願うお祭りだからね。神職は他で忙しいし、男はともかく女の子は穢れがあってはダメってことで、その人たちにこっそりお願いしてたみたい」

「うげえ」

時代が時代なら自分もその役目を頼まれていたかもしれないと思うと苦々しい気持ちになる。例えば唯のような、幼い頃から知り合いである女性と一晩、である。もはや想像すらしたくない。出歯亀も確実にいただろう。
ふと、火野の視線が斜め下に注がれていることに気づいた。崖下は長年少しずつ堆積した砂の他に、樹木と伸び放題の草が勝手に生い繁っている。そこへ屈んだ彼は、雑草としか思えない植物たちを何やら熱心に観察し始めた。

「そんな珍しい草、ないと思いますけど」

「うん、全国どこにでもあるものだね。でもこれ、見て」

天子は隣にしゃがみ込み、彼の指に摘ままれた葉っぱを凝視する。寒さで枯れかけてはいるものの、落葉樹の下で日当たりに恵まれたおかげか、茎も葉も形を保っている。

「これはイカリソウと言って、全然珍しくはないけど生薬になるんだよ」

幼少から医学書と共に過ごしてきたと本人が宣う通り、火野は病気や薬に関して特に造詣が深い。薬草だけなら蓮華の園芸部より遥かに詳しいはずだ。しょうやく、と天子は素直に復唱する。

「漢方の材料ってことですか」

「そう。効果は滋養強壮、催淫」

「さいいん……」

ろくに読んだこともないが、官能小説でしかお目にかかれないような単語だ。媚薬の一種というわけか。天子の狼狽を窺い、火野はそっと苦笑を浮かべる。

「体が元気になるわけだから、当たり前というか、おまけみたいな効能だけどね。ただ、入口までの雑木林でもずいぶん見かけたし、ちょっと気になるかな」

周囲に自生しているとなれば、例の儀式に使われた可能性がなきにしもあらず、というわけだ。
はたと、天子は動きを止める。

「ん……?」

滋養強壮。体が元気になる。
今日、どこかでそんな台詞を耳にしなかっただろうか。

『元気になるお茶だよ。苦いけど、今日は体力も使うしちょびっとでも飲んでいきなさいな。薬みたいなもんだからさ』

「あれか!!」

瞠目で立ち上がった天子に、少し面食らった様子で火野も腰を上げる。

「どうかした?」

「今朝、社務所のババアに飲まされたやつかも。元気になるお茶って――全部飲んじまったじゃねーかクソが!」

「本当に? すごいね、現代でも風習が残ってるなんて。体調はどう?」

悔しげに顔をしかめた天子をよそに、瞳を輝かせた火野はやや弾んだ声で子細を尋ねてきた。前々から『共感性』が著しく欠けているのは察していたが、恋人が怪しい薬湯を飲まされたというのに完全に他人事である。体調云々は心配故ではなく好奇心からの発言だろう。
苛立ちをぶつけるべく天子が雪駄で砂山を蹴りつければ、火野もようやく心境を悟ったようだ。

「ごめんね、でも大丈夫だよ。漢方は長期連用が基本で、その時だけ飲んでも効果は薄いから。おまじないみたいなものだと思って」

ぽんぽんと優しく髪を撫でられ、容易に怒りの矛を収めてしまう己の単純さときたら。
ともあれ、発情期の獣よろしく欲を剥き出さないのなら安心だ。クリスマスの前科があるだけに、反省の舌の根も乾かぬうちに彼を襲っては格好がつかない。

「全部ってどれくらい飲んだの?」

なだめながらもやはり関心は逸れないらしく、彼は手をそのままに尋ね直してくる。髪が指の間を抜ける感触に促され、天子もしぶしぶ口を開いた。


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