ことほぎの儀
ひのてんR18

「――というわけで、御分霊をこの地にお祀りしたのが始まりである。非常にありがたい御神威というのはわかって頂けたかな。文献によると社殿は一度、江戸時代に落雷で全焼しておるのだ。ところがその後、この地から江戸へ年貢の米を運ぶ輸送船及び周辺の漁船による遭難事故が後を絶たず、祟りと恐れた人々によって再建されたと――コラァ! 寝るとは何事じゃ!」

「へぶっ!」

齢七十とは思えぬ宮司の一投で、天子の二つ隣で舟を漕いでいた男は笏の直撃を食らう。まあまあ、と横で様子を窺っていた禰宜の男性が時計を気にしつつ宮司をなだめにかかった。

「学生さんたちも眠いんですよ、仕方ありません。仕事の説明は済みましたし、着替えて頂きましょう」

「なんじゃと。祭の来歴についてわしはまだ話し足りな」

「はいはいはい!」

母親くらいの年の女性がさらに割って入る。今日は天子たちの世話をしてくれるようで、社務所で事務員をしていると最初に紹介があった。
それにしてもこの宮司、どこぞの生徒会長同様、止めどなく喋りたいタイプの老人らしい。

「じいさんたちは行った行った! みんなは着替えしようね、男はここを右に曲がった角部屋、女はあっちの和室。着替えたらここに戻っておいで、寒いから下にいっぱい着込むんだよ!」

ぱんぱんと両手を鳴らして号令をかけられ、各五名の男女は寝ぼけ眼で部屋を出て行く。真冬の朝五時、かくかくと頭が傾ぐのも仕方ない。ふあ、と天子も欠伸を噛み殺して板張りの廊下を進んでいく。

「ったく何だよあのジジイ、えらそうに」

先程頭に一撃をもらった男が毒づくと、天子を含めた周りの四人は一斉に吹き出した。笑うんじゃねえよ、と彼もすかさずまくし立てるが、やはり顔には笑みが乗っている。

「お前がアホだろーが、あんだけ堂々寝てりゃ気づくわ」

「黙ってりゃ金もらえんのに寝る奴がいるかよ」

彼の背中をしきりに叩きながら口々に言い合い、五人は更衣室代わりの小部屋に向かう。集った彼らは女子も含め、全員が同級生かつこの地区で生まれ育った者だ。小学校もしくはそれ以前から近所でしょっちゅう顔を合わせていたとなれば遠慮もいらない。高校以降は各々の進路をたどり、駅で見かける程度の間柄になった者もいるが、みな性格は大して変わっていなかった。

「さっみー! 外ぜってえマイナスだろ」

「日中はマシだろうけどな。うちの外の水道凍ってた」

赤々と燃える石油ストーブを囲み、五人はコートとインナーを脱ぎ落としていく。一着ずつ整然と畳まれていた服を広げ、互いに確認し合いながら身につける。衣装の着方がまとめられた説明書と己の恰好とを照らし合わせるが、現代にはヒートテックという文明があるので必ずしも但し書き通りにはならない。
極暖仕様の肌着の上に鯉口シャツと腹掛を着込み、腰が隠れる丈の白い半纏を羽織る。下も当然ヒートテックの恩恵にあずかり、足首が覗く程度の黒いズボンを履く。説明書には『股引』とあるが、イメージよりやや幅広でふんわりとしている。左右にある股引の腰紐を回し止めつつ結び、腰上辺りで半纏を固定するように帯を締めた。自前の靴下を脱いで白足袋を履き、ねじった手ぬぐいを頭部に巻けば、一日限定男巫女の出来上がり。姿見の前でくるりと回転し、ひとまず粗がないことを全員で確認した。

「なぁ、これ何」

衣装が納まっていた葛籠から、ひとりがひょいと摘まみ上げた布。サラシにしては幅がある。鉢巻きの予備ではと誰かが言うが、染めの模様がない。首を捻りつつ、天子は説明書を隅まで熟読した。

「あ」

ーーー

同じ名前の神社というのは全国各地に存在する。天子の住む高浪地区にも某県の某神を祀る神社を総本宮とした、宮司自慢の由緒正しき神社が建っている。市内でも有数の規模で、初詣は夜中から大変な盛況を見せ、「パチンコ屋と田畑しかない」高浪にとってはシンボルと言わざるを得ない場所でもある。
その神社にはこれまた鉄板の、古くから伝わる祭がある。毎年一月に行われる例大祭だ。
福銭撒き、巫女舞、焚き上げと境内でのイベントが多く、神社の顔とも言えるほど重要かつ多くの参詣人が訪れる祭となる。敷地内にはたくさんの露店が立ち並び、天子も子供の頃は毎年のようにお年玉を握りしめて通っていた。
祭は早朝から夕方近くまで行われる。常駐する氏子や社務所の人間ではとても人手が足りないため、神社周辺に住む家々には一日限りの雇いの募集がかけられるのだ。

『数え年十八歳になる方へ
・参拝客の案内、誘導
・小物の授与、販売
・敷地内の清掃、巡回
上記のお仕事につきまして、日給弐万円でのお願いを致します。
※衣装、朝・昼食等はこちらで用意致します。』

回覧板で例の如く届いた募集を読むなり、天子は眉間に皺を寄せて唸った。
準備を含む実働九時間+昼休憩一時間に対して、日給二万。肉体労働にしても破格だ。高浪の高校生の時給といったら、下手をすると蓮華地区の八割なんて聞くこともある。その蓮華ですら、もしくは並の大人でもやや警戒するような金額を出すという。
しかしこの地区に住む者は募集の話も祭での役割も先達の振る舞いを過去に見ているわけで、得体の知れない仕事をさせられることはまずない。そして少子化の余波により田舎の子供も減少の一途をたどっており、天子に選択権は無いも同然だ。断れば村八分、とまではいかずとも、最寄りのスーパーで主婦たちの噂になることは間違いない。
まあ己の評判はいざ知らず、やはり二万を断るのは惜しい。お年玉がもらえるのもせいぜい来年までとなれば、貯金は些少でも増やしておきたいところ。二万あれば、東京までの往復運賃としては十分だ。アルバイト禁止の蓮華高校でも、神社のお手伝いくらいは地域貢献として目をつむってくれるだろう。天子は腹を決めた。

◆◇◆

「あれ、遅かったね!」

先に着替えを終えていた女子たちは、元の部屋でこたつに入ってくつろいでいた。白衣に緋袴、想像通りの巫女だ。朝食らしいおにぎりにぱくついていた女に声をかけられ、天子はしげしげと彼女を見つめて驚いた。

「は!? お前、唯!?」

「どっからどう見てもそうじゃん、何言ってんの」

唯はけろっとした顔で頬の飯粒を拭う。宮司の話を聞いていた時から誰だこいつと首を捻っていたが、彼女は天子と同じ通りに住む昔馴染みだ。天子の妹が彼女に懐いており、子供の頃は何度か家を行き来していたが、彼女が蓮華商業高校に進んでからはほとんど顔を見ていなかった。
長かった黒髪は肩口で切られ、明るい茶色が光を弾いている。野暮ったい眼鏡はコンタクトに、くっきりとした二重にはほんのりアイシャドウが乗せられ、薄桃色のチークと、握り飯によって落ちかけた口紅。別人にも程がある。

「食べていいってよ」

唯が指差した天板には卵焼きと漬け物、ドンと中央を陣取る大皿。おにぎりがこれでもかと盛られており、成長期の男たちは我先にと手を伸ばす。他人が素手で握ったものに抵抗のある天子は迷ったが、今から昼まで食べられないとなるとさすがに体がもたない。きつく握り込まれていないものを選んでかじる。

「高校デビューってやつか」

「もう二年生の終わりなのに、いつの話してんのよ。天子だって染めてんじゃん、中学の時もっと茶色っぽかったし。真っ赤だった時もあるけど」

添えられた沢庵を楊枝で刺して口に運ぶ。塩むすびかと訝しんだ握り飯が、ようやく具に到達した。――昆布。別にツナマヨだの明太子だのを期待していたわけではないが、昆布って。せめて鮭だろうと、ひたすら咀嚼して呑み込む。

「あんたは成績一番だったから蓮華行くんだろうとは思ったけどさ。どう、彼女できた?」

「うるせえ」

見た目は派手に変わったが、中身もずいぶん軽くなったものだ。こちらにそういう話を振るくらいだから、どうせ男でもできたのだろう。女というやつはこれだから。

「あーやっぱいないんだ。振らなきゃよかったのにね」

「俺は振ってねえよ、あっちだろ」

中学時代の話など今更蒸し返されたくはない。つっけんどんに返していると、唯はにやにやと笑いながら天子を肘で小突いてくる。

「蓮華ってイケメン多いんでしょ? 紹介してよ、蓮商女子紹介してあげるから」

「しねえわボケ、あのブスみたいなこと言ってんじゃねえ」

「ブスって舞のこと? 妹なのにまだそんな呼び方してんの、読モだよ? あたし毎月雑誌買ってる。この前も一緒にスタバで五時間恋バナしてた」

「アホかよ」

いつかの食卓で妹がそんな話をしたかもしれない。主にテレビを眺めている天子は内容などろくに覚えていないが、『唯ちゃんがね、』という導入は何度も耳に残っている。


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