この夜のすべて ひのてんR18 |
T. 「えーっと、じゃあ食べたいもの挙げてって!」 師走半ばのある日。 放課後の生物準備室には同部と化学部が顔を揃え、大事な決議を行っていた。議題は冬休み突入後のクリスマス会について。 今年のクリスマスは月曜日だ。終業式は金曜日のため、土日をまったりと過ごしてからここで合同のクリスマス会兼忘年会を行うことになった。 ホワイトボードを部屋の隅からずるずると引きずってきた零がペンを薫に手渡す。幼馴染はおとなしく受け取って書記をつとめた。 「ピザとチキン! これがなければクリスマスとは呼べません!」 高々と手を挙げた彩音が宣言すると、横の凛がその勢いにストップをかける。 「それは家のクリスマスでも出る料理じゃない? イブで一度食べるんだろうし、二日連続は飽きると思うけど」 「全然!」彩音は即答だ。「それに凛ちゃんのおうちって七面鳥食べるんでしょ? フライドチキンとは別物だよ」 「そうだけど鶏は鶏よ。お昼だし、もうちょっと違うもの食べない?」 「唐揚げとか?」 「ちゃうわい」 埒が明かないと見たのか、由姫がおずおずと周りを見渡して提案する。 「でしたら、一応皆様のご予定を伺ってもよろしいでしょうか? ピザですとか、ご家庭で定番のお料理を召し上がる方が多いのであれば一考した方がいいと思うのです」 「そだね! 多数決ってか、前の日に何食べるかで決めた方がいいもんな」 司会の零も賛同し、ほんのりと頬を赤らめた由姫が続ける。 「ええと、はい。もちろん、任意ですので差し支えのない範囲で結構ですわ。私は両親が帰国する予定なので外食になりますが、たぶん和食ですからいわゆるクリスマス的なメニューは頂きません」 「えっとね、俺と薫はデートします!」 言いたくて仕方がなかったのだろう、由姫の言葉尻に被さるように零は声を発する。すかさず薫に後頭部を叩かれ、なんで!と喚いた零によって痴話喧嘩に発展した。 「夕飯の話だろ。昼間は関係ない」 「前の日の予定だからいいじゃん! あ、だから昼は何食べるか決めてないけど、夜は薫の家で俺の家族と合同クリスマスやるから、やっぱケンタッキーとかは用意するよ」 「へー、デートですかあ」 隠し切れないにやけ顔で彩音が頷き(凛も詳細を聞きたそうに目配せしている)、彼女たちも予定を口々に言い合う。 「うちは毎年恒例ですけど定番ですね、お兄ちゃんがケンタッキーのバケツみたいなのを買って、お刺身大量に買って手巻き寿司して、ピザもLサイズ三枚買って、あともちろんクリスマスケーキ! 七号予約してます」 「あんたんちって四人家族よね? 七号って」 「え、普通じゃない? 凛ちゃんは七面鳥だよね」 「そう、イギリス式のターキーね。といっても日本らしくいろんなご馳走三昧!ってわけじゃないから、変わったものはそれくらいかな? ケーキはお母さんが焼くけど」 「うちは親が仕事だからあんまり豪勢じゃなくて、おばあちゃんたちとお寿司や煮物準備してのんびり過ごすかな。ケーキはどうだろ、食べないかも」と直。 「てんこ先輩は?」と彩音に話を振られ、考えるまでもなく天子は即答する。 「何も。今年はあのブスもいねえしおふくろも仕事だっつってっから各自だな」 「いい加減妹ちゃんブスって呼ぶのやめましょうよ。いないんですか?」と凛。 「いねえ。男んとこ行くって」 「ええ! 彼氏いるんですか妹ちゃん。かわいいですもんねえ」と彩音。 天子の妹・舞は某雑誌の読者モデルを務めており、その縁で知り合った年上の男と過ごすらしい。父親は何やかんやと小煩く言っていたが、危険かどうかくらい判断できる年だろ、と天子は全面的に放っておいている。さして興味もない。 「お父さんとなんか食べに行ったらいいじゃん」と零。 「アホか。せっかくおふくろがいねえんだぞ。パチンコ行くに決まってんだろ」 「そっかー、てんこは入れないもんな。えっと、うちっていうか薫の家来る?」 「いらん気を遣うな。行かねえよ」 予定もなくひとり寂しく過ごす人間と思われたようで心外だ。ゲームセンターに入り浸ってもいいし、友人と朝までスマブラに興じてもいい。身軽で結構なことだ。 「僕も特に予定っていうのはないかな」と火野。 「えっ! そ、そんなことってあります…?」 彩音と凛はぎょっとした表情を互いに見合わせている。お前ら、なんでその顔を俺の時にはやらねえんだよ。口にはしないが、天子にも彼女たちの言わんとしていることはわかる。このレベルの容姿を持つ人間として、クリスマスがノープランというのは驚愕に値する事実だろう。 しかし、続いたセリフで彼女たちはまた別の興奮に苛まれる。 「だから毎年、だいたい輝の家に遊びに行ってるね。クリスマスっぽい食べ物は準備するよ。僕はあんまり食べないけど」 「へええ!」 目を爛々と輝かせる彩音を肘でどつくと、彼女はかわいそうな子犬を見るような目で『残念でしたね』と天子を慰めた。やかましいわ。由姫が総括を述べる。 「そうしますと、ピザやチキンを召し上がる方は案外少ないのですね」 「じゃあ買ってもいいよね? ね?」 賛同の声が多く上がる中、天子はソファの背もたれに寄り掛かり、ちらりと彼を横目で見やる。メニューが書き込まれていくホワイトボードを、火野は楽しそうに眺めていた。 ――大学入試センター試験まで、あと一か月。二月には自由登校となり、三年生は自宅で勉強に励むこととなる。三月初日には卒業式、その後は各々入学準備。リミットのカウントダウンはもう始まっている。 (どうするつもりなんだ?) 彼の志望は関東随一の某理科大だ。ここからでは当然通えないので、そちらに引っ越して大学生活を送ることになる。 想いを伝え、受け入れてもらってから早数か月。どうすることもできない物理的な距離を、彼は何とも思わないのだろうか。離れていても、会えなくても、今の関係を継続してくれるつもりなのだろうか。 弱音を聞いてほしいとか、大丈夫だと慰めてほしいわけじゃない。天子はただ、現時点での彼の意志が知りたいだけだ。あの聡明な彼が、自分と交際するにあたって卒業を考慮しなかったはずがないのだから。けれど。 〈あの。卒業しても、俺と付き合っててくれますか?〉 (くっっっそ重い) 交際相手から訊かれると想定しても、天子すら胃もたれを起こしかねない重々しい台詞。どうなるかわからない未来の出来事を、何故今、ここで約束しなければならないのか。嘘をつきたくないからこそ、天子も、そしてきっと彼も、答えるのが憚られる問いだ。あまりにも重すぎるし、何なら尋ねられた時点で気持ちが冷めても無理はない。自分が彼を想うくらい、彼が自分を想っているのなら耐えられるかもしれないが、そもそも好かれている自信があるのならこんな質問を繰り出したりはしない。 いつかどこかのタイミングで、さり気なく尋ねたいとは思っていたが。『さり気なく』の『気』を彼に勘付かれぬよう振る舞うことなどできるわけがなく、こうして師走まで過ごしてしまった。 (いや、別に訊く必要はねえんじゃね? 俺がどうしたいかを言えばいいんだし) 要は告白と同じだ。 相手に『自分をどう思っていますか?』と小賢しく尋ねるのではなく、ただ『好きです』と宣言するだけでいい。そうすれば相手も同意か拒否か、二択くらいは返してくれるだろう。堂々と俎上に上げてしまう方がこちらも気が楽だし、変にさり気なく訊こうとするから難しいのだ。ようやく気づいた。 あとはタイミングだ。学校では二人になれる時間も限られているので、できればその『何も予定のない日』とやらに会ってくれれば幸いだ。天子自身は、イベントだから恋人と、という風潮にこだわる気はないが、如何せんのんびりもしていられず、また別日の予定を彼に尋ねるのも手間がかかる。というか、あの鼻持ちならない生徒会長宅に押しかけるほど暇なら、自分と過ごしてくれたっていいだろう。そうした僅かながらの自負はある。 「てんこ」 やがてクリスマス会の話し合いが決着し、議事録と役割分担が零からメールで送信されてくる。流し読みしていたら、自分を呼ぶ優しい声にぱっと背筋が伸びた。 「帰ろうか。今日、図書館に用事があるんだ」 敢えて訳を付けるなら『駅まで一緒に帰ろう』か。歩く距離が伸びるのはもちろん、何よりこうして誘ってくれることが嬉しかった。 「お父さん、パチンコ好きなの?」 正門を出て真っ先に尋ねられた話題は少し意外だった。心配されてはいないだろうが、ギャンブル漬けで家庭崩壊を起こすような父親でないことはきちんとフォローしておく。 「つってもたまーに行くくらいで、何万も突っ込んだりはしねえし。おふくろがいると行かせてもらえねえから、息抜きにこっそり遊んでくるだけです。勝つと景品くれたりする」 「てんこって、お父さんのことは好きなんだね」 母親や妹の話題よりも滑らかな口調に気づいたのだろうか。天子も否定はしない。 「ま、テキトーなところはあるけど口うるさくねえし、成績褒めたり飯に連れてってくれたりするから嫌いになったことはないです。親父いなかったらとっくに家出してる」 「……」 「ん?」 相槌が返ってこないので彼を見上げると、ううん、と微笑んで緩く首を振る。 →next ×
|