あたらよの宴
ひのてんR18

「ん……ふ、っ」

シャワーブースの床に膝をついた体勢で、降り注ぐシャワーと口づけを受け止める。浴衣はとうに脱がされており、身にまとうものは何一つない。
椅子代わりの台に手をつかされ、つい先程まで彼を咥えていた場所を指で探られる。まだ頭がふわふわと覚束なくても尚、注がれたものが体内から溢れ出す感覚は言葉にしがたいほど恥ずかしかった。中で出されるくらい別に構わないから、後始末は自分でさせてほしいと度々思っているのに。
羞恥と理性が完全に戻りきる前に済ませようと、キスで時間を稼いでくれていることは天子もわかっている。だからこそ抵抗せず、甘んじて始末されているのだ。

「ぁ……、っ」

腫れぼったくなった唇が解放される。吸われた舌が痺れるように痛み、やたらと甘い唾液を喉に落として息をつく。
火野はシャワーをフックに戻し、膝から下がぐっしょりと濡れた浴衣を絞った。そこまで濡れるなら脱いでしまえばいいのでは、とぼんやり思いながらよろよろと立ち上がる。
外はすっかり日が昇っている。早朝ながら陸橋を行き交う車の音も微かに鼓膜を揺らし、竹製の庇の先で青空が広がっていた。
どうせなら少し浸かっていこうとデッキにしゃがみ込み、足先から檜風呂に入る。シャワー後の体にはやや温い。そのまま肩まで沈み、ぎこちない足腰をほぐすように伸縮させる。

「ゆっくりしていきなよ」

湯を吸った浴衣が膝に貼り付かないよう、少しばかり裾をたくし上げて火野が言う。ふくらはぎという名前に似つかわしくないほど華奢な脚が覗いてどきりとした。

「まだ時間大丈夫でしょ? 遅れてもなんとかするから」

高校生からの直電にびくつく支配人を思い浮かべ、天子は苦い顔をする。
のぼせないようにね、と言い残して部屋へ戻ろうとした彼の裾を、なんとはなしにつまんで引き止めた。

「入らないんですか」

火野が僅かに瞳を見開いた。
彼は普段、銭湯やプールの類いを極端に避けている。というのも、他人と同じ水の中にいるのが生理的に耐えられないらしい。こうした風呂付きの客室に宿泊しているのも対策を兼ねてだろう。
だから試してみたくなった。水どころか直接的に肌が触れ合う関係の自分であっても、それは適用されるのか。
一緒に入浴したいというよりは、一度くらいまともな状態で好きな相手の体を拝みたいという気持ちが強い。閨で散々翻弄された頃に晒されても、記憶としてろくに定着した試しがない。

「別に、嫌ならいいけど」

逡巡を遮って浴衣を放し、彼に背を向ける。
天子も他人が素手で握ったおにぎりにはかなり抵抗がある。誰しもそういうものはひとつくらい持っているから、無理にとは言わない。火野が握ったなら三つくらい喜んで食べるけど。
自転車を漕ぐように脚で湯を掻いていると、鳥の鳴き声に混じって微かに衣擦れの音がした。驚く間もなくすぐ横で飛沫が上がり、白い首筋と鎖骨を認めた瞬間に天子は思わず飛びのいた。

「うおああぁ!!?」

「どうして逃げるの」

若干眉を寄せて、彼が不満そうに尋ねてくる。狼狽した天子は何度も首を横に振った。

「いや…マジで入ると思わなくて」

『新聞読みたいからじゃあね』などと適当にかわされる腹づもりでいたので、いささか度肝を抜かれた。しかしいざ眼前に現れるとどこに目をやっていいかわからず、見たいのに見られない矛盾にひとり煩悶する。
余裕をなくした天子に、彼はくすっと笑って近づいてきた。後ろから抱き締められ、背中で感じる体温に頓狂な声が漏れる。湯面から出ているはずの首と耳が熱くて、こめかみで刻まれる脈動は小動物のように速い。

(まぁ……でも、嬉しいって言えば嬉しい、のか)

天子のおにぎり同様、自分も彼にとっては『他人』と違う括りに位置しているらしい。線引きされたエリアの内側にいても許されるのだ。柵をまたひとつ飛び越えられた安堵があった。
彼がせっかく心の殻を取り払ってくれたのだから、そろそろ自分も素直に話すべきかもしれない。
ずっと、訊けずにいたことを。

「なんで、俺と付き合ってくれたんですか」

「え?」

脈絡のない話題で申し訳ないが、今を逃したら二度と尋ねられない気がした。

「女に飽きたんですか」

一時期は月どころか週替わりでとっかえひっかえしていたと時宮から聞いたことがある。当人も特に否定はしなかった。
だから男に、というのはあまりにも短絡的だが、好奇心故にないとは言い切れない。

「俺なんか別に、そこらへん…にはいないかもしれねえけど、取り立ててどうってわけでもないし、見た目だって自慢できるようなもんでもなくて、何がいいのか全然わかんねえ。訊いといてなんだけど、まだ『なんとなく』って言われる方が納得できる」

同学年から後輩、果ては他校の生徒まで、寄ってくる無数の女をはねつけた末に選ばれたのが自分だ。明確な違いなど『性別』しか考えられない。
腕の力を緩め、火野は苦笑をこぼした。

「なんとなくで男は抱かないよ」

適当に選んでるわけじゃないんだけどね、と言いたげな口調にどきっとした。ただ、気分を害した様子ではなさそうだ。

「でも教えない」

「は?」

一瞬、聞き間違いかと思った。唖然としたまま天子が振り返る。

「いちいち言うことじゃないし」

一切悪気のない笑顔で言ってのける恋人に、じわじわとやりきれない感情がこみ上げてくる。
向こう十年分の勇気を振り絞り、恥を忍んで尋ねた結果がこれだ、『いちいち言うことじゃない』。もし立っていたら膝から崩れ落ちていただろう。怒りを通り越してもう泣きそうだ。喜びそうだから絶対に泣いてやらないが。

「というか、てんこは自分を過小評価しすぎだよ。もう少し自信持っていいのに」

今しがたプライドを砕いた人間の発言とは思えず、ああ、はい、と腑抜けた返答に留まった。
が、唐突に湯の中でぐいと体を抱き寄せられ、浮力に任せて彼の膝に乗せられてしまう。

「ちょっ!」

正面から密着する体勢に心臓が轟き、体の奥がむずむずと落ち着かなくなる。湯を介して触れる肌は筋肉も脂肪もなく、ただ滑らかで硬い。触覚を司る脳味噌が瞬時に沸騰した。思わず引いた腰を撫でられ、ぐにぐにと確かめるような手つきに肩が跳ねる。

「こんな体で、自慢できるほどじゃないって言われてもね」

「ん、やっ……」

ウエストや腰、腿に這わされる両手。戯れのつもりか、際どい箇所には触れてこない。

「っ……からだが、すきなんですか」

しがみついて尋ねると、彼は楽しそうに質問を返してきた。

「そうだよって言ったら引くの?」

「別、に。体なんてよっぽどじゃない限り変わりようがねえから、嫌われる心配ねえじゃん」

面白くもなさそうに天子が告げれば、火野はゆっくりと、ひとつ瞬きをして微笑んだ。

「僕には用意できない答えだね」

「え、ちょ……っ、マジで、やめっ…」

今度こそ明確な意図を持って、指先が腰をたどっていく。彼の腹部に触れたものがじくじくと兆し始め、熱を帯びる気配に天子は焦りを滲ませる。すると、したり顔の彼はわざとらしく耳元で囁いてきた。

「ここじゃ昨日みたいにのぼせちゃうね。布団行く?」

「っ……」

敷きっぱなしの布団にこのままなだれ込んだら、水という緩衝材なしに裸で抱き合うことになる。二人きりで、布団の中で、肌と肌を密着させてーーと、思春期の男をぐらつかせるには充分すぎる材料が整っており、あらぬ場所がきゅっと疼いた。

ーーちくしょう、人を煽ることばっかりしやがって。
唇を噛んだところで、ふと気づいた。彼が昨夜、行為の最中に怒った理由。恐らく、余裕がなかったのではないか。
ずっと禁欲状態だったのに『ゆっくりして』などと言われたら梯子を外されたような気分になるだろう。我慢して『ゆっくり』していたら自分はそれだけでアホみたいに感じているし。そう考えれば騎乗位も、ペースを委ねることで天子に負担をかけないよう配慮した結果なのかもしれない。

せっかく体が好き(?)だと認めてくれたのだ。飽きられないよう、こちらも努力しなければ。

「遅刻の言い訳、考えといて下さい」

上から唇を奪って告げる。この身は昨日の分まで堪能してもらいたい。
艷やかな夜はひっそりと続いている。自分がこの部屋を出るまでは、まだ。



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