こてんこ ひのてん |
翌日の放課後。 天子が生物準備室に赴いた時には、化学部も含めて全員が顔を揃えていた。腹が減ったので一度正門を出て、ひまわり商店で焼きそばパンと炭酸飲料を仕入れていたのが遅れた理由だ。 「お疲れ様でーす。先輩もどうですか?」 入口の近くにいた凛がテーブルの菓子を勧めてくる。由姫作の焼菓子がほとんどで、誰が差し入れたのかわからない黒胡椒せんべいを三枚失敬するに留めた。いつものカウチにどっかりと腰を下ろしてせんべいをかじる。 「ぴいぴいー」 忌々しい鳴き声を、ばりりとせんべいを噛み砕く音で消し込む。向かいのソファでは、火野の手の中でごろごろと甘えるミニカンガルーの姿があった。まだ生きていたのか。 「昨日はどうでしたか? こてんこちゃん、先輩のおうちで迷子になりませんでした?」と彩音。 「珍しそうに部屋のあちこちを探検していたけど、迷子にはならなかったかな。方向音痴ではないみたい」 火野が指先で腹を撫でながら答える。天子も道を覚えるのが得意な方なので、そこは遺伝したのかもしれない。 ご飯はどうしたんですか?お風呂は?夜は寝てました?などと他の部員が矢継ぎ早に質問を繰り出し、火野は律儀に回答する。 「ご飯はここのキャベツを持って帰ったよ。夜行性の割に夜はぐっすり眠ってたんだけど、お腹がすいたみたいで朝の五時過ぎに鳴いてて、キャベツを食べさせたら二度寝したね。あ、寝床はクッションでベッドを作って寝かせたんだ。でも夜中に起き出して僕のベッドに来たから、枕元にタオルを敷いてそこで寝てもらったの。お風呂はね、水が苦手みたい。シャワー使ってたら逃げちゃったから。でも浴槽につかってたら、僕が溺れてると思ったのかな。外から一生懸命鳴いててね、大丈夫だよって扉を少し開けて顔を見せたらほっとしてたよ」 「はあ。つまり先輩の入浴シーンもばっちり見て、ついでに添い寝もしたんですね、こてんこちゃんは」 「そういうことだね」 彩音の要約に、黒胡椒せんべいを咀嚼する力が強まる。嫉妬で気が狂いそうだ。ボロ雑巾みたいに捻り潰してやろうかこのチビ。 「眼光鋭いですわよ」 呆れたような由姫の忠告を舌打ちで黙らせ、焼きそばパンのラップを破り捨ててかぶりつく。ソース味が思ったより濃い。別添えでマヨネーズを買えばよかった。 「授業中はどうしてたんすか?」と零。こちらも大盛りカップ焼きそばをすすっている。薫はその横でマドレーヌを嬉しそうに選んでいた。 「さすがに連れていけないからここにいてもらったよ。置いていこうとすると泣いちゃって、朝はちょっと大変だったかな。ケージの中に僕のハンカチを入れたら落ち着いて、それで我慢してもらったの。ここにいればちゃんと僕が戻ってくるってわかってくれたみたいで、午後の授業に行く時はおとなしくバイバイしてくれたよ」 「へー、さすがてんこ。頭いいー! いてっ」 「うるせえ! こんな低能と一緒にすんな!」 立ち上がった天子がぺしんと零の後頭部をひっぱたけば、カンガルーがガルルと不穏な声で威嚇を露にしてきた。それをちょいちょいと撫でて落ち着かせ、さて、と火野は腰を上げた。 「今日はこてんこのために菜園ビュッフェを予約してあるんだ。ちょっと早いけど夕ご飯に行こうね」 「ぴいー??」 恐らく内容はわかっていないが、火野と出かけられるのは嬉しいようで、こてんこはピョンピョンと慣れた様子でジャケットのポケットに収まった。 「菜園ビュッフェってなんですか?」 「気になるならついておいでよ」 質問者の直を始め、事情を知らない誰もが顔を見合わせて席を立った。 ーーー 「まあ、もしかしてビニールハウスへ向かうんですの?」 「そうだよ。構内で菜園といえばあの畑だからね」 由姫にはおおよその見当がついたようだ。 グラウンドを左手に、ぞろぞろと一行は校舎裏へ向かう。動くものが気になるのか、こてんこはポケットから顔を覗かせ、陸上部やサッカー部の学生を興味深そうに目で追っていた。 体育館を回り込んだ先、北校舎裏をさらに北へ進むと、敷地の縁にあたる雑木林の近くにビニールハウスが二棟並んでいた。 「こんなとこあったんすね。こっち全然来ないからなー」 「目立たないですもんね」 零と凛がビニールハウスの周囲を回って目を凝らす。半透明のビニール越しに、ふくよかな土に植えられた赤や緑の作物が窺えた。入口には錠前がついている。 「ここは園芸部の畑だよ」 火野がポケットから鍵を取り出しながら言う。 「園芸部って、前に俺たちに鍋の材料くれた人たちっすか? あの渡り廊下に部室がある」と零。 「ああ、俺とお前で段ボール運んだやつか」と天子。 「じゃああの時の野菜ってここで育ててたんですね」と彩音。 「どうかな。このハウスは量産用ではないみたいだよ。少量生産か、あとは試しに育ててる野菜が多いんだって、部長の園田くんは言ってたけど」 がちゃりと錠が外れ、取手を引いてハウスに足を踏み入れる。入口のすぐ横に黄色のコンテナが置いてあり、『火野くんへ どうぞ 園田より』の張り紙があった。これが『予約』か。コンテナにはきれいに土を落としたキャベツ、人参、カブなどが詰まっている。 「さあこてんこ、好きなだけ食べていいよ」 火野の手でポケットからコンテナに下ろされたカンガルーは、クンクンと野菜の匂いを嗅ぎ、みずみずしいカブにかじりついた。咀嚼しながら、ぴいい!と機嫌良く鳴いてみせる。旨いらしい。カリカリとカブを削り、続いて人参にも歯を立ててかぶりつく。尻尾がフリフリと楽しげに揺れた。 「園田さんてあの園田さんですよね。えーと、蓮商の近くで、おうちが農家の」と彩音。「わたし、中学が同じだったので知ってます。爽やかな好青年タイプの人」 「ええ、私も存じております。園芸部の野菜は地産地消の取り組みとして近隣のスーパーでも販売していますから。売り場を何度か視察しましたし、園田さんにもお話を伺いましたわ。誠実で人望に厚い方です」と由姫。 蓮商、蓮華商業高校は蓮華高校の裏手を下って川を越えた先にある。園田農園はその途中にあり、先祖代々の広大な土地でいくつもの作物を育てているという。週末には野菜の直売や芋掘りなどのイベントも行うらしく、家族全員で農業に携わっているのだ。家業も農家、部活も農家。根っから野菜づくりに向いているとしか思えない。 「こちらで売り物にならなかったり部分的に悪くなっているものは、実験生物用のごはんとして分けて頂くのです」 「そっかー、昨日こてんこちゃんが食べてたキャベツはここのだったんだね」 由姫の説明に彩音が頷く。 パリパリカリコリと小気味良い音を立てて食事に勤しむこてんこは、特に人参が気に入ったようだ。葉っぱまできれいにむしり取って食べている。つやつやとした太陽色の人参を指差して火野が解説を挟む。 「これは蓮華スイートという品種でね、園田くんが改良に成功した人参だよ。普通の人参に比べて特有の風味が抑えめで甘味が強いから、子供でも食べられるって人気みたいだね」 「直、あんた人参キライでしょ。ちょっと食べてみてよ」 「やだよお、しかも生じゃん!」 凛と直のやり取りをよそに、こてんこは小ぶりな二十日大根を食べ進めている。野菜はどれも見るからに新鮮で、売れない要素があるとは思えない代物だ。 「それにしても、こんないい野菜ばっかり食べてたらスーパーのカット野菜なんて絶対食べなくなりそうですよね。わたしだってシャウエッセン食べちゃったら業務用ウインナー食べられないし」と彩音。 「グルメになっちゃうね」と薫。 「まぁね。でも市販の野菜は農薬の心配もあるから、ここの食べ物なら安心なんだよ」 農薬は基本的に『人間が摂取しても害のない』量を基準としているので、未知の動物であるこてんこには与えたくないのだろう。園芸部産なら費用もかからず、農薬の有無を直接尋ねることもできる。 「ああ!!」 「なんだよ。うっせえな」 突如として大きな声を上げた彩音を天子が睨む。興奮しきった様子の彼女は、あのですね!と食い気味に火野へ詰め寄った。 「昨日思いついたんですよ! こてんこちゃんは、てんこ先輩とカンガルーの細胞で爆誕したんですよね! てことは、カンガルー細胞の代わりに火野先輩の細胞を入れたらーー」 「おまっ、何言っ……!」 耳まで人参色に染め、盛大に狼狽えた天子が慌てて彩音を止めにかかる。あまりにも突飛な、しかし実体験を踏まえた大いなる仮説に、他の部員はぽかんと口を開ける他ない。 「ああ、もうやったよ」 「は!?!?」 あっさりと火野が肯定すれば、天子は驚きに目を剥いた。 「といってもずいぶん前の話で、てんこの細胞ではないけど」 はーっ、と深く息をつく天子とあからさまに肩を落とす彩音。 「当然、人間の胎内で行われる神秘がシャーレの中で起きるわけもなくてね、何ともなかったよ」 「まぁ、それは残念ですわ。いえ、人間ではなく絶滅危惧種の動物に応用できればと思いましたの。体外受精という形で種を引き継ぐ未来もあるでしょうから」 由姫の真面目なコメントで話題が締め括られたところで、ぴい、と鳴いたこてんこが膨れた腹部をぽんぽんと叩く。お腹いっぱい、のアピールだ。 火野はこてんこをすくってポケットに戻し、食べかけの野菜たちを持ち帰るためビニール袋に詰めていった。 「そうだ、彩音ちゃん」 帰り際、彩音と凛に近づいた火野が意味ありげに微笑む。 「パソコン研究会が開発した、試験段階のプログラムなんだけど。二人の人間の絵や写真から特徴を抽出して、『もし子供が生まれた場合』の子供の画像を出力できるらしいよ。もちろん同性同士でも」 「マジですか!!!」 彩音のみならず凛もしっかりと食いついた。夢にまで見た、零と薫の子供が実現するのだ。早くも彩音は携帯を構えて天子に駆け寄る。 「てんこ先輩! ちょっと写真撮らせて下さいよ!」 「なんでだよ、嫌に決まってんだろ」 →TOP ×
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