あたらよの宴
ひのてんR18

年季の入ったテレビゲーム機。元の塗装はゴールドだが、掠れて素地の黒がぽつぽつと浮き出している。三本足の宇宙船のようなコントローラーを掴む手は汗ばみ、ぬるりと滑ってスティック操作が乱れる。
その一瞬の隙をついて、画面上の黄色い電気ネズミが宙を舞った。稲光と共に弾き出されるどこかの王女。ゲームセットだ。舌を打った天子がぽいと宇宙船を投げ出して呟く。

「飯」

傍らの友人が小さく微笑んだ。

「空腹で集中できなかったってことにしたいみたいだね」

「したいも何もそう言ってんだろ」

ふて腐れながらコンビニ弁当のパッケージを破る。チェスト代わりのカラーボックス上にある電子レンジに突っ込むと、サイズオーバーのためか回転できずにじっと光を浴びていた。局所的でも温まればいいのだ。温める必要のないハムサンドイッチをお先にとかじり、彼は話題を振ってきた。

「ずいぶん機嫌悪いけど、テストの結果でも返ってきたの」

「ニートは知らねえだろうが、中間も模試もまだ先だ」

部分的に熱い唐揚げ弁当を取り出して天子も食べ始める。彼はつるりとした顔でふうんと頷き、飲みかけのドクターペッパーを口に持っていく。上下する喉仏は小さく、生白い首と相まって青瓢箪ぶりにますます磨きがかかっていた。今年の夏はほとんど外出していないに違いない。
天子をよそに、彼は一切の悪気もなく「じゃあ先輩さんのことだね」とのんびり言い切ってみせた。質素な床張りに行儀悪く足裏をぶつけたくもなる。

「てめえ」

「図星だからって怒るのはよくないよ。ぼくに聞いてもらいたくないならいいけど」

きょとんとした顔が尚更怒りを増幅させる。が、どれだけ威嚇しても暖簾に腕押しだ。諦めた天子は割り箸と弁当容器をいったんテーブルに置き、眉を寄せて重い口を開いた。

「――最近、全然相手にされねえんだ」

「へえ。倦怠期? にはちょっと早いのかな」

天子の表情が思ったよりも深刻だったせいか、彼も胡坐をやめてそっと膝を抱える。

「そっけない感じなの?」

「家に行きたいって言うと秒で断られる」

「秒で? 即決だね。最初から断ろうって決めてるみたいだ」

やはり第三者が聞いてもそう感じるか。胸に刺さった刃物がぐずぐずと傷口を広げてくる。

「何かきっかけでもあったんじゃない? ワガママ言い過ぎたとか」

「ねえよ。礼を欠いてる以外は変わらねえ」

「自覚あったんだ。それは今に限ったことじゃないから違うよね」

「別に、家に行くのだけがダメなわけじゃねえんだ。その、部室で……」

どう説明したものかと口をもごもごさせていると、合点がいったらしい彼は鷹揚に頷いた。

「いちゃいちゃしようとすると避けてくるってこと?」

他に適当な語彙はなかったのか。しかし自分で言わずに済んだのならと、天子は肯定しておく。

「天子がそう感じたのはいつからなの?」

「二週間、前くらい」

「割と煮詰まってるね。訊かないの?――って、訊けないか。三年生はテスト期間が違うって聞いた気がするけど、そこも関係ない?」

「ない。そもそもあの人テスト勉強しねえし」

「ふうん。じゃあ謎だね」

彼はサンドイッチの片側をめくり、ホットスナックのチキンを無造作に挟んで食べ始める。レタスとハム、チキンの三位一体。二口ほど食べてから、「やっぱり別々のがよかった」と再分解する。このくらいマイペースだからこそ天子も気を遣わず物が言えるわけだが、中身がまるでない女子の相談の如く『謎』の一言で片づけられては堪らない。

「お前に言ったって仕方ねえのは当然だけどよ」

なんかねえのか、とつっけんどんに尋ねる。そう言われてもねえ、とマヨネーズの波を浴びた哀れなファミチキをついばむ彼。早くもこの話題に飽きている。

「もう少し詳細を聞かないと何とも。やっぱりほら、空腹だと集中できないじゃない? ぼく食べてるから幸せな時代からくどくど話してよ」

改まった態度を霧散させてファミチキに食いつく横顔を睨み、天子はおもむろに携帯を開いた。最後のメールは昨日の夜中。『今週末は用事があるから』という、こちらの問いに対する答えのみの返信だった。

幸せな時代とやらに溺れていた戒めなのだろうか。想いを受け入れてもらえた喜びに乗じて、予定外のあんなこともこんなことも許してしまったけれど、自分の意志で選んだ結果だ。体を繋いだことも後悔はしなかった。
求めれば与えられ、求められたければ与える。羞恥や不安が介在しても、それを凌ぐ幸福感が全てを打ち払った。夏休みの夜にふと会いたくなり、終電に乗り込んでマンションの呼び鈴を鳴らしても快く迎えてくれた。
ことばにできないほどの気持ちを、いつだって汲み取ってくれていたのに。

『今日はダメ』

二週間前の放課後。
ノートパソコンのキーを軽やかに叩きながら、ほんのりと困った顔で火野は告げた。

『明日、朝早いんだよ。東京に行くの』

『何しに?』

『図書館。特急のチケット取ってあるし、週末は向こうに泊まるから』

天子はあくまでその夜の予定を尋ねたのだが、目的を見通すように先々まで教えられて少々恥ずかしくなり、それ以上の追及はできなかった。そして次週も何だかんだと断られ、ついには昨日もメールでこの有様だ。
目的が達せられるなら場所はこの際どこでもいい。が、一人暮らしで部屋の数も広さも申し分なく、かつ備品が揃っている火野の家が結局一番都合が良いのだ。天子の自宅は家族がいるのはもちろん、自室の荒れ具合はとてもお見せできるものでない。大人がしけこむような宿は金銭的にも世間的にも憚られたので、あちらのマンションか、もしくは細心の注意を払ってこっそり部室で、という二択に限られる。

がっついているように思われたくないな、と自覚しつつも――実際そうに違いなかったが――これでも恥を忍んで、プライドを叩き折って甘えてみたつもりだ。そうして何とかキスまではこぎつけるわけだが、触れようとすると即座にストップがかかる。言い訳は様々で、筋肉痛がひどいとかそういう気分じゃないとか読みたい本があるとかetc.…と一方的に喋られているうちに煙に巻かれてしまい、さあ帰ろうねと優しく促される始末。
最初の一週間ほどは天子も納得できずに食い下がっていたものの、期間が長引くにつれ、本当の理由を尋ねるのが怖くなった。火野が嫌いな人間にとる態度はよくよく知っている。愛想笑いで面倒事を全てかわすのだ。その対応がいま、自分に選択されているのだとしたら。考えただけで足元から崩れ落ちてしまいそうになるが、だとしたらいつまでも同じ部内に自分を置いておくのもおかしな話だ。恐らく嫌われてはいない。若干あるいは結構、ウザがられている可能性ならある。
火野のことが嫌いで仕方なかった頃の自分を、逆に火野は好いていたように思う。生物部に勧誘したのもその時の天子が気に入ったからだろう。実際深い仲に転じてみて、その辺りの乖離が大きくなったのではないか。性格に限らずとも、どこかで『予想と違っていた』部分があったのかもしれない。
可能性が高いのは彼が最も避けている行為に関することだが、そこは正直、何が正解であるかが人によるのでピンポイントに特定できない。声が大きいとか、狭いとか痛いとか、身体のつくりが好みじゃないとか、挙げ始めたらキリがない。
抱かれる側として身だしなみには気をつけていたものの、火野は自身の部屋を見ても察せる通り相当な綺麗好きだ。情事自体が清潔とは程遠い概念で存在しているにしても、やはり何か我慢ならないところがあったのだろうか。 

「ところでさ、天子」

体育座りでドクターペッパーを飲み干した彼が不意に口を挟む。

「バイトしない?」

「……てめえ、人に散々喋らせといてそれか」

「結論は出たじゃん。先輩さんにそのまま疑問をぶつけてきなよ」

こいつマジでぶっ飛ばしてやろうか。腕押しの効かない暖簾をへし折ってやりたくなる。飄々とした声で親友は続けた。

「学校行かないなら働けって、相変わらず大叔父さんがうるさくてさ。湯花原温泉なんだけど」

「ゆかはら? 露天風呂の掃除でもすんのか」

天子及び彼の住むこの地は駅名で言えば蓮華から三つ南の、蓮華、塩本、花村、の次に当たる高浪だ。湯花原はその一つ前、花村の駅裏を中心とした昔ながらの由緒正しき温泉街を指す。市内でも温泉=湯花原というイメージを持つ者が大半だろう。日帰りの格安公衆浴場に通う高齢者も多く、旅館の数も質も随一だ。


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