リトルマイヒーロー
小学生ひのてん

造形はほぼカップ麺の容器。安っぽいスチロールの丼に、針山の如く突き刺さった無数のフライドポテト。一本ずつ食べるのが面倒になり、数本をまとめて口に押し込む。美味というほど美味ではないが、いくらでも口に運びたくなる絶妙な塩味だ。

「久しぶりに食うとうまいな」

「そう。よかった」

「食わねえの?」

「好きじゃないから」

ドーナツ屋といいフードコートといい、だったら何が好きなんだよ、と天子は涼しげな彼を睨む。『特にないよ』と言われたら悔しいのでわざわざ訊いてはやらない。

「具合、もういいのか」

「おかげさまで。君は?」

「大したことねーよ」

額の絆創膏をちょちょいと撫で、天子はふんと鼻を鳴らした。

――あの後。
息切れ状態の彼を背負ってゲームコーナーを抜け、エスカレーターを駆け下りた天子は、脇目も振らずにフードコート手前の薬局へ向かった。病院まで連れていくには地理に疎く、薬を扱える大人なら自分より的確な判断を下してくれると考えたのだ。おぶった質量は驚くほど軽くて、それがまた不安を掻き立てた。
薬局は他に客もなく、薬剤師の女性は訳を知るなり彼に椅子を譲ってくれた。彼の病気にまつわる話が双方で交わされたが天子には理解できず、彼女が渡してきたミネラルウォーターを飲ませてやることに注力した。
自前の薬を服用した彼は少しずつ回復し、彼女は応急セットで天子の擦り傷も手当てしてくれた。そして後で必ず病院にかかることを彼に約束させ、彼が払おうとした水や絆創膏の代金もしっかりと固辞して天子たちを送り出した。


「せっかく連れてきてもらったのにごめんね」

「なんで謝んだよ。別に悪いことしてねえだろ」

ポテトの牙城がようやく崩せそうだ。あ、と天子は不意に顔を上げた。

「もうすぐ俺の親が来るからさ、車で家まで送ってもらえよ。家がどこだか知らねえけど、歩けないだろ」

病気がちとはいえ、さすがに常日頃から保険証や診察券は持ち歩いていないかもしれない。病状をあちらの親に知らせるためにも、まっすぐ病院へ向かうよりは家に送り届けるのが先決だろう。ここで買い物を済ませる予定の母も、事情を知ればさっさと車を走らせてくれるはずだ。
彼は微笑みながらゆるゆると首を横に振った。

「大丈夫。すぐ近くではないけど、タクシーで帰れるから」

「金かかるじゃん。これとか、いろいろ金出させてんのに」

これ、とポテトの山を指差してむっとする。資産家であるのは察しているが、ドーナツといいゲームといい、何から何まで奢らせては居心地が悪い。気にしないで、とひとまずは体調を取り戻したらしい彼が告げる。

「お金はともかく、お礼を言うのは僕の方だよ。助けてくれてありがとう。楽しかった」

「……うん、まぁ」

不良を蹴散らしたことで、彼にとってのゲームセンターという場所に嫌な思い出を刷り込んでしまった懸念もあったが、そこはうまく処理して呑み込んでくれたらしい。素直に感謝を伝えられてくすぐったい気持ちになる。
今だけの邂逅で終わらせてしまうのが少々惜しくなり、彼の個人情報を探る決意を固めた。

「あ、のさ。名前、まだ訊いてなかったよな。俺は――」

「しゅーんー!」

「おにーちゃあーん!」

聞き慣れた声につい飛び上がり、天子は椅子を蹴って背後を振り返る。
東側の立体駐車場に車を停めてきたのか、女子向けの雑貨店の辺りをこちらに向かって歩いてくる母娘が見えた。二人とも天子に手を振っており、妹がスカートをはためかせて駆け寄ってくる。

「なにたべてるのー? あーぽてとだ! まいもたべるー」

机のメガポテトにいち早く目をつけ、妹は立ったままフライドポテトに手を伸ばした。天子はすかさず、ひょいとポテト容器を彼女から遠ざける。

「食うなよ、お前またニキビに――って、あれ?」

今の今まで彼が座っていたはずの席。そこにはもう、誰の姿もなかった。天子は慌てて周囲を見渡すが、それらしい人影はどこにもいない。
近づいてきた母が不思議そうに問いかける。

「どうかした?」

「今、ここにいたの見た? えっと、中学生っぽい奴で…」

「え? 誰もいなかったけど?」

「そんなわけねえだろ! だって――」

「おかーさあん! おにーちゃんがぽてとくれないのー!」

「ああくそっ! ほら! 食えばいいだろ!」

泣きながら母の腰に抱きつく妹へポテトを押しやり、天子は木製の椅子を再度蹴って苛立ちをぶつける。

「なんだよ…馬鹿野郎」

無駄に大人びて、どこか冷めていて、好き嫌いばかりで。決して友達になりたいタイプじゃなかった。
けれど話を聞くのは面白くて、気前よく奢ってくれて、悪知恵がよく働いて。そういうところは嫌いじゃない。目の前から忽然と姿をくらまされても、すんなり諦めたくはなかった。

(でも、もう知らねえ)

平気で嘘をついたくせに。不良を殴っても咎めようとしなかったのに。景品をもらって微笑んでいたのに。大事な話の途中だったのに。最後の最後で、彼は天子を裏切ったのだ。

こうなったら意地でも忘れてやる。
あんな奴、大嫌いだ。

◆◇◆

「――ここにいたんだね」

つぶらな瞳は黒のビーズ。
薄く被った埃を払い落として、やや色褪せたオレンジのリボンをそっとなぞった。
バタバタと廊下に足音が響き、ドアの隙間から天子が顔を覗かせる。分厚い洋書を何冊も胸に抱え込んでいた。

「これどこにしまったら――って、なにサボってんですか」

「あ、バレた?」

クマの四肢を繰りながら、ごめんね、と甲高い裏声で謝ってみる。呆れを滲ませた天子は、この部屋におよそ似つかわしくないメルヘンな物体に視線を注いだ。

「ぬいぐるみ? そんなのがなんでこんなところに」

「見つけるまでは僕もすっかり忘れてたよ。懐かしいねえ」

「ふーん…」

ちらりと意味深な一瞥を天子に送るも、彼は至極どうでもよさそうに頷くばかりだ。まぁそうだよね、と火野は静かに嘆息するが、少しばかりの意趣返しを即興で演じて見せた。

「実はね」と神妙な表情を作り、

「昔、行きずりの相手にもらった品なんだよ」

「!? ゆきっ……」

「今頃どうしてるのかなぁなんて、考えていたらつい掃除の手が止まっちゃって」

内心で舌を覗かせつつも天子の様子を窺えば、彼は苦虫を噛み潰したような顔で腕の中の本をぎりぎりと締め付けていた。重厚な硬表紙に爪が食い込んでいる。
やがて嵩張る洋書を手近なデスクにドンと置き、天子は徐に手のひらを突き出した。

「それ、俺にください」

「もらってどうするの?」

「捨てる」

当然と言わんばかりの即答に小さく吹き出し、火野はガラスのショーケースにクマを優しく座らせる。

「ダメに決まってるでしょ。はーい、これからはここにいてね。――ほら、片づけしないと今夜中に終わらなくなるよ。この本は棚にスペース作ってあるから」

積まれた洋書をぽんと叩いて促せば、天子は憮然としたまま再び本を抱えた。
先を進む火野がドアを大きく開けると、目を合わせようとせずにそっと尋ねてくる。

「…一応訊いてやるけど、どんな奴だったんですか」

過去の出来事にこだわる性分ではないはずだが、火野がわざわざ口に出してきた辺り、何か意味があると察したのだろうか。
わかりやすく唇を尖らせる表情に、今は無きデパートのノスタルジックな光景が重なる。

「そうだねえ」

きゅっと持ち上がった意志の強い瞳。体格や髪の色が変わっても、彼の気質を象徴する双眸はいつか向けられていたものと同じだ。
触れても拒まれることのない手で、慈しむように頬をひと撫でする。

「かっこよかったよ。とても」



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