リトルマイヒーロー
小学生ひのてん

「君はああいうのも得意なの?」

テディベアの景品に悪戦苦闘する親子を指差して彼が尋ねる。んー、と天子は頭の後ろで手を組みつつ考えた。

「UFOキャッチャー? そんな威張れねえけど、あの親父よりは俺の方がうまいと思う」

「見てみたいな」

自尊心を羽で優しく撫でられるような感覚。興味が湧いたのか、彼は家族連れの隣の筐体に歩み寄っていく。オファーされては受けないわけにもいくまい。自然と頬が緩み、小走りで彼の後を追う。

(これなら取りやすそうだな)

こちらのテディベアは隣の色違いだ。あちらは白で、今もアームで胴体を掴もうと父親が奮闘している。

「あ。お金出すよ」

天子がポケットの百円を取り出すと、彼はトートバッグをまさぐり始める。

「いーよ」

「いいの。見せてってお願いしてるんだから」

実際に遊ぶのは天子で、彼はただ横で観察しているだけ。金を払わせるなどもっての他だが、彼はさっさと投入口へ五百円玉を押し込んだ。隣台での展開を見るに、一度のプレイではまず取れないだろうと思っての投入だろうが、いきなり大金をつぎ込まれた天子はぎょっとする。

「え、えっと。このボタン1を押してる間だけこいつが横に進んで、ボタンを離したところでストップすんの。ボタン2は縦っていうか奥に進む」

狼狽を呑み込み、彼のためにゲームのルールを説明しておく。一番のボタンが操作を促すようにピコピコと点滅した。

「出口の穴に一番近いものを狙うのが普通だから、俺はあれ狙う」

ぽっかりと空いたシューターは左側。その斜め右上に位置する茶色のクマを天子が指差す。
視線を感じつつ一番ボタンを押し込むと、UFO型のアームがゆっくりと横に動き出す。

「この『く』の字に折れ曲がった二本をアームって言って、開いた時の幅はだいたい『く』の肘のところまでになってる」

「ああ、そうなんだね。ずいぶん手前で止めるんだと思ったよ」

「左に動かしたいなら、右のアームでぐいってするから右ギリギリに寄せた方がいいし」

奥行きを慎重に調整し、アームをぱかっと開いたUFOが楽しげな音楽と共に降下する。右アームのツメがクマの頭部を捉え、左に寄せた頭を両アームがしっかりと挟み込む。首を吊られて僅かに持ち上がったクマは、上昇したアームが重みに耐えられなくなったところでアームをすり抜けて落下し、出口の穴に頭のみをせり出した。あとは首から下の部分を再度寄せて落とせばいい。

「持ち上げて、そのまま穴に落としてくれるわけじゃないんだね。道理で苦労するわけだ」

イメージとの差を実感したらしい彼が、横で焦れる家族をちらりと一瞥する。

「そういうのもあるけど、最近はこういう舐めたやつが増えてきたな。お、取れた」

しゃがみこみ、取り出し口からクマの脚をむんずと掴んで引きずり出す。つぶらな瞳の愛らしいテディベアは、首にオレンジの細いリボンを結んでいる。
立ち上がった天子は逡巡の末、クマを彼の胸に押し付けた。

「やるよ。金出したのそっちだし、俺いらねえもん」

隣の家族もようやく獲得に至ったようで、肩車された娘が嬉しそうに歓声を上げる。
彼は何度か瞳を瞬かせ、クマを眺め下ろした。やがて、トートバッグに彼(?)を優しく迎え入れる。

「ありがとう。もらっておくね」

ドーナツすら嫌いな子供だ。動物もぬいぐるみもかわいいものも、決して好きではないと思う。それでも彼は小さく笑みを浮かべて受け取ってくれた。不思議と心が温かくなる。

「い、いらなかったら捨てろよ」

無性に照れくさくなった天子はぷいと顔を背けるが、筐体にまだクレジットが残っていることを思い出す。五百円投入したので、1プレイサービスで計6回分。クマで2プレイを消費し、残りは4プレイだ。

「これ、余ってるけどどうするの?」

彼も気になったのか、『4』のデジタル表示を指して尋ねてくる。

「店員に言えば、他の機械に移してもらえるけど…」

周囲を見渡しても、それらしい姿は見当たらない。探しに行くのは構わないが、ここを離れては通りすがりの誰かにタダで使われてしまう可能性もある。そんな天子の心境を読んだらしく、彼は提案を述べた。

「店員の人を探してくるよ。君はここで待ってて」

「うー、やっぱそれしかねえか。カウンターのとこにいるか、見回ってるかはわかんねえけど」

「わかった。行ってくるね」

メダル貸出などのカウンターに最低一人は常駐していると思いたいが、メンテナンスやトラブル対応で巡回する場合もあるのでとにかく探し回るしかない。
年上にしてはいまひとつ頼りない背中を眺めながら、天子はぽりぽりと頭を掻く。

(あいつ残らせて、俺が探す方がよかったかな)

ーーー

クレーンゲームなどの万人受けする筐体をいくつも通り過ぎ、フロアの奥へ近づいていく。
レースゲーム、格闘ゲームの間をすり抜け、パチンコやメダルゲームなど客層も徐々に家族連れから大人のみに変化していく。メダルがジャラジャラと払い出される音があちこちで耳を障り、立ち込める煙は申し訳程度の換気設備に吸われる。あまり長居したくない場所だ。
奥に位置する半円型の赤いカウンターは無人だった。ならばゲームコーナー全体を虱潰しに探すべきだが、天子の方が先にスタッフと出会っているかもしれない。一度戻ろうかとUターンしたところで、軽く目を瞠った。

「お前、金持ってそうじゃん。ちょっと貸してくれよ」

中学生と思しき男が三人、ぞろぞろと詰め寄ってきた。中央のキャップを被った男がヒラリと手を返し、残りの二人もニヤニヤと笑みを浮かべて金銭を要求する。
面倒なことになった。揉めるのはごめんだが、おとなしく金を渡すほどお人好しでもない。緩く首を振って拒絶する。

「お金の貸し借りは親に禁止されてますので」

「んじゃ貸さなくていいからよこせよ」

「何故ですか? 遊ぶ金欲しさなら納得できません」

「うるせえな! とっととよこせっつってんだよ!」

毅然と言い放たれた男は早くも堪忍袋の緒が切れたようで、胸ぐらを掴むなり背後のカウンターに押し付けてきた。背中を強かに打ち付けられ、拳に圧迫された胸がにわかに苦しくなる。こんなところで過呼吸とは笑えない。とにかく意識を落ち着けなければ。
心臓さえ庇えれば逃げ出せないこともないが、目の前の男を振り切ったとしても取り巻きが黙っていないだろう。

「お前ら! 突っ立ってないで財布探せ!」

焦れた男の怒号が飛び、残りの二人もはっとしたように手元のトートバッグににじり寄ってくる。
と、その時。スロット台の裏側から一迅の風が巻き起こった。

「うぐううっ!」

「おい、どうし――ぐええっ!」

眼光鋭く駆け込んできた天子は、取り巻きの膝裏を勢いのままに蹴飛ばした。弾かれた男は近くの筐体に頬をめり込ませ、その場でずるずるとうずくまる。天子はもう一人が反応する前に低い姿勢で床へ手をつき、片足を振り上げて顎に一撃を見舞った。
そして着地した両足をバネに、カウンターまで一足飛びで殴りかかってくる。

「そいつを離せええええ!!」

「て、てめっ―――ぶえっ! ぐふおっ!」

天子の剣幕に気圧された男は弱々しい打撃を何度か繰り出すも、拳を振りかぶった隙に体当たりを食らわされ、さらに蹴りをもらってあえなく撃沈した。急所を外し、足の甲側で蹴ったのは天子の優しさらしい。

「けっ、バーカ!」

床にのびた男たちへ侮蔑を送り、天子は彼の手首を掴んで促す。

「逃げるぞ! 騒ぎになったら殴った俺が悪いってなるからな!」

いくら正当防衛とはいえ、コテンパンにやっつけてお咎めなしとは考えにくい。巡回のスタッフや警備員に見つかる前にさっさとこの場を離れなければ。そう思って華奢な手首を引いたのだが。

「! おい!」

カウンターにもたれながらしゃがみこんだ彼は、ぞっとするほど青白い顔で胸の辺りを押さえている。

「逃げていいよ」

やかましい筐体音に呑み込まれそうな細い声がした。屈み込み、吐息が触れるほど近くまで耳を寄せる。

「僕は走れない。歩くのも、できないかも」

「何言ってんだよ! あいつらになんかされたのか!?」

周囲の客が、痛みに呻く中学生たちに気づき始めたらしい。ざわざわと落ち着かないどよめきの中、天子は忌々しげに舌を打ってくるりと背を見せた。肩越しに振り返って叫ぶ。

「おぶってやるから乗れよ! 早く!」

瞳から失われていた灯火がぽっと明らむように彼は瞠目し、ぎこちなく、ゆっくりと天子に手を伸ばした。


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