リトルマイヒーロー
小学生ひのてん

「僕も一緒に行っていい?」

一人称がようやく判明する。天子の友達はみな『俺』なので新鮮だ。彼の容姿にはよく似合う。
むぐむぐとカレーパンにかじりついていた天子は、さりげなく付け足された言葉に瞳を見開いた。

「なんで? ゲーム好きなのか」

「好きじゃないしよく知らないけど、どういうところなのか見てみたいから」

「あ、そ。いいけどさ」

ひとりきりの自由を満喫するのも悪くなかったが、こうしてドーナツにありつけた恩もあるので譲歩を決める。応じながら、改めて彼の容貌と仕草に目を留めた。

「あんた、年いくつ? 何年生?」

天子の予想は中学一年から二年。ドーナツに目もくれない態度といい、落ち着き払った瞳や雰囲気といい、大人へのステップを確実に踏み出している只中と言えた。口にはしないが、きっと体もあんなふうでこんなふうに成長しているだろう。
おかわりを注ぎに来た店員を丁寧にあしらい、彼は僅かに声をひそめた。

「たぶん、君とあんまり変わらないよ」

「は? 俺、四年生だけど」

「僕は五年生」

「はああ!? んなわけねえだろどう見てもちゅうが――むぐっ!」

「しーっ」

片手で掴んだドーナツを天子の口に突っ込み、彼はもう片方の人差し指を自分の唇にそっと当てた。至近距離で視線が絡むと、整いすぎた顔の造形に思わず息を詰める。

「静かに」

「む、むっ……!ぷはっ」

口を塞ぐドーナツを彼の手から奪還し、やや小声で天子は訴える。

「――俺、騙されたってこと?」

「そうなるね。昔から年上に見られるんだ。君も大人も疑わなかったでしょ? 」

彼が本当に小学生ならば、注意書の『小学生のお子様のみのご利用』に該当する。つまり天子を誘ったのも、天子や店の人間に実年齢を見破られないだろうと確信しての行動だ。ちぇ、と天子は面白くなさそうに舌を打つ。

「嘘ついたことは謝るよ。ごめん」

「別に。これ食えたしどーでもいいや」

本来ならここで飲食すらできなかったことを思えば、年齢詐称も大した問題ではない。外見であっさり騙されてしまったのがちょっと悔しいだけで。
揚げたてのカレーパンは程よくスパイシーで美味しい。辛味が好きなのに、家庭でのカレーは妹に合わせていつも甘口にされてしまう。よく咀嚼し、脂をコーラで押し流すとスッキリする。

(変なやつ)

澄ました横顔を一瞥する。独特の憂いを帯びた表情に、ランドセルは全く似合いそうになかった。想像を膨らませた天子が小さく吹き出す。

「どうかした?」

「なんでも。よし、行くぞ」

グラスの底までコーラを吸い上げ、椅子からひょいと下り立った。トレーを持ち出そうと手を伸ばしたところで、彼に待ったをかけられる。

「なんだよ」

彼のカップは既に空だ。今更おかわりが欲しいわけでもあるまい。
肩にかけていたトートバッグをまさぐって、彼が取り出したのはポケットティッシュ。一枚引き抜き、あろうことか天子の口許をぐしぐしと拭い始める。

「んむ、んっ!」

やけに滑らかで柔らかいティッシュだ。擦られる唇がくすぐったい。

「さっき僕が押し込んだせいで汚しちゃったから。はい、いいよ」

「早く言えよ! てか自分で拭けるっての!」

丸めたティッシュと共にトレーを持ち、彼はすたすたと返却口へ歩いていく。子供扱いされた羞恥を背中にぶつけながら、天子も後を追った。

ーーー

「え。あの駅ビルなくなんの」

「すぐってわけじゃないけど、もってあと五年かな。南口の再開発事業が進んでいるんだ」

ドーナツ屋を出た二人は、駅を左手に見ながら駅前通りを東に向かっていく。古くから続く珍しい個人商店が軒を連ねる中、新しいホテルやマンションが点在しており、時代の移ろいを感じさせる。
天子は今来た道を振り返って駅ビルを眺めた。特に何があるというわけでもない、感慨すら覚えないような場所でも、取り壊されると知ればなんとなく記憶に留めておきたい気持ちにさせられる。

「駅ビルなくなったら都会じゃねーじゃん」

「新しい駅ビルができるんだよ。さっきのお店の向かい側、道路を挟んだ先に百貨店があるでしょ。あの建物をちょっと変えて、お土産屋さんや図書館を入れて、他にもいろんなテナントを呼び込む予定みたい」

彼は街の地理に詳しく、話を聞いているのは存外飽きなかった。都会人はみなアンテナが高いのだろうか。
あと五年経てば高校入学も目前だ。それまでには再開発とやらもかなり進むとみて間違いない、と彼は締め括った。

「着いたな。すげー久々に来た」

子供の足でも、ゆっくり歩いて十分程度。七日堂の西口をくぐればフードコートは目の前だ。油っぽくて甘くてしょっぱくて――様々な匂いが漂う中、家族連れや若者たちがテーブルを囲んでいる。時間的にがっつりと食事をしている者は少数で、軽食やデザートをお供に談笑、というパターンがほとんどだ。名物である山盛りフライドポテトの看板を横目に、エスカレーターを上がっていく。

「七日堂も、いずれはつぶれると思う」

「えっ」

緩やかな上昇に身を任せていると、彼が不意に呟いた。天子は驚嘆の声を上げる。

「つぶれんのか? その、さいかいはつってやつ?」

「ううん。今はこうして賑わってるけど、そのうちあまり人が来なくなるんじゃないかなって」

「なんだ、ただの予想じゃん」

てっきり駅ビルのような再開発の余波を受けてのことかと思いきや、立地と今後の需要を見越した彼なりの意見だったらしい。
ほっと息をついて、四階へ誘うエスカレーターを待ちきれずに駆け上がった。ガヤガヤと騒がしい音に耳をくすぐられ、気分はすっかり高まっている。

「すっげー」

四階フロアの一角に位置するゲームセンターは、エスカレーターの周りをぐるりと取り囲むように、あらゆるゲーム筐体が設置されていた。
薄暗くて、じめっとして、煙草の香りが染み付いた高浪の遊技場にも愛着は湧くけれど。それに比べればこちらは明るく開放的で、休日ということもあってか子連れもちらほら見かける。

「なんだあれ」

若い女の子が何人もカーテンをくぐり、嬉しそうに箱の中へ入っていく。とてもゲームセンターとは思えない異様な光景だ。エスカレーターでのんびり上がってきた彼が疑問に答えてくれた。

「プリクラじゃない?」

「プリクラ?」

「プリント倶楽部っていうんだけど。あのカーテンの中にカメラの機械があって、撮った写真がシールになって出てくるんだよ」

「シール? なんに使うの?」

「さぁ。記念写真みたいなものかな」

全くもって女の考えることはわからない。彼も曖昧に首を捻っていた。

「ま、いーや。とりあえず両替して――」

せっかく来たからには、時間の許す限り遊んでいかなければ。手近な両替機に千円札を吸わせて百円玉を得ると、天子は格闘ゲームの筐体へ向かった。四角い椅子に腰を下ろして百円を投入し、ボタンとスティックでキャラクターを選択する。

「…あの、見てなくてもいいけど」

後方でモニターを眺める彼を振り返るが、気にしないでと告げられ再び前を向く。ギャラリーの視線を感じるとやはり負けられない気持ちになり、まずは肩慣らしにとCPUの強さを中程度にして挑む。
2D対戦の画面で火蓋が切られ、素早くコマンドを打ち込んで相手の体力ゲージを三割ほど削る。滑り出しは順調で、その後も畳み掛けるような攻撃でパーフェクトゲームを完遂した。筐体のメンテナンスが行き届いており、スティックやボタンの操作性も悪くない。運良く必殺技が決まり、高レベルの敵も何とか撃破することができた。
しかし達成感に意気揚々と振り向けば、彼の姿は忽然と消えていた。

「あれ?」

椅子を蹴ってきょろきょろと辺りを見回す。クレーンゲームで小さなテディベアを取ろうと意気込む家族連れを、彼は少し離れた場所から静かに見つめていた。駆け寄ってきた天子に気づくと、そっと微笑みを向けてくる。

「楽しかった?」

「楽しかったけど…」

「けど?」

「……なんでもない」

見なくていいと告げておきながら、実は成果を披露したかったなんて恥ずかしくて言えるものか。
こういった場所で遊ぶのは同年代の友達ばかりで、親はもちろん、理解ある年長者に見守られることなどなかった。一つしか違わないのなら彼も『同年代』の範疇に入りそうだが、実年齢を知った今でもどこか大人びた雰囲気を感じてしまう。


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